第伍章 明けの花

第129話後の眼を

 両目を閉じ、極めて静かに待っていた。

 死体のように、或いは人形のように。

 人様の話声を盗み聞きしながら、夜風が隙間から吹き込むのを感じていた。

 次なるは、次なるは…そうして流れ流れてゆく出会い別れのその先へ。

 秒をひとつ、ふたつと数えて今三百八重…二。

 ふと、その秒を止めた。

 静かなる夜に訪れるそれは何ぞと目を開ける。

 過去に戻りしは、未来へ進みしは、現在へ止まりしは、今三百八重三の、前…きっと三百七重一の時。

 次三百九重四辺りに。

 身を僅かに動かして避けた予想は畳に苦無が刺さることで正しいと証明される。

 そう、今は焦りなさんな。

 天下分け目も近うなり、嫌にその戦が見えてくる今日この頃。

 あんたもそこで死にたいのなら、今急くことなく潜んでおれば良いものを。

 両目を閉じて身を正す。

 両手を畳に揃えまして、頭をひとつ下げておく。

 一筋に通る光を受け、息を止めた。

「面を上げよ。」

 そうして呼ばれたこの顔を光に晒してやりまして、ゆるりと両目を開きゆく。

 そうして互いが初めて顔を合わせ何を思うか。

 見開かれる目、揺れる瞳、唾を飲んだ喉、逆光に陰るそのお顔。

 何れもゆるりと見ておいて、目を細める。

 畳に刺さる苦無を着物で覆い隠し、何も無さげな面をする。

「真に、これは忍なのでござろうか。」

 その問いに光の奥で誰かが笑うた。

 この赤き瞳に何を思うた。

 この着飾った偽りに何を思うた。

「名を、何と申す。」

 その問いに微笑むだけにして、わからぬように畳から苦無を引き抜いた。

 それを影に沈めておいて、さてこれら潜む者に気付けるのか。

「な、何も言わぬぞ?」

 その目を光の方へ向けた隙に暗闇の天井に潜んだ者を刺し殺す。

 血を畳に落とさぬように、死体を決して見せぬように。

 全てを影で包み隠して。

 また、何かの会話をしているのを聞き流す。

「して、この者をくださるのですか?」

 嗚呼、つい昨日に此処へ帰った忍をそうしてまた。

 この者に仕えるが今か。

 廊下を歩みつそれを背後から伺う。

 一室に身を置いてから改め口を開いた。

「明けましておめでとう御座います。良き年を。」

 そう伝えると振り向いてまたも目を見開いた。

 喋らぬものと思うておったろうに。

「お主、ものを言えるのならば何故黙っておった。」

「ものを言えぬ時も御座います。」

 そこに腰を降ろし、座れと促され正しく身を落とした。

「御年玉に忍をやろう、なぞ言いおって。父上は某をからかっておるのか。」

 腕を組んでそう零すあたり、何処に苛々としておいでか。

 子供扱いか、忍だというところか、それともそのどちらもか。

「目出度いところに忍とはな。それも、お主…来たばかりではないのか?お主のような忍は知らぬ。」

 よくもまぁ本忍の目の前で。

 いや、まぁ、だからこそか。

 それに来たばかりであるのはそうだが、ある意味では忍隊の中では一番長い。

「要らぬと言うても良いのですよ?」

「何を言うか!要らぬとは思っておらぬ!」

 怒ったままのこれを目の前に、何を如何に致せば良いのか。

 着物の端にちらと血が残っているのを見つける。

 先程のあれにかすったらしい。

「お主も、そう着飾られて嫌にならぬのか。」

「此処ではそう珍しいことではありませぬ。慣れて当然、着飾られて当然…でしょう?」

 不思議がるように首を傾げている。

 来たばかりのはずの忍が何故そうものを語るのかがわからぬと言いたげだ。

「知ったような口だな。」

「知らぬはずが御座いませぬ。」

 答えのない答えを返され眉を潜めておる。

 わかっていながらそう返答しているのはわかっておろうか。

「お主はただの忍ではない。そうだろう?」

「夜影、という名の忍をご存知でしょうか。」

「うむ!武雷の伝説の忍だな!」

「はい。」

 そこで途切れたことに妙な空気が流れ込む。

 知っているかと問われ頷けば、終わり。

 だんだんと理解してきたのだろう、恐るるような目になった。

「ま、ま、まさか…お主…。」

「はい?」

「その忍だと、申すのではなかろうな…?」

 今まで仕えてきた主とはまた少し違った反応を示す者だと面白く感じる。

「では何と申しましょうか…その忍の生まれ変わりだとでも?」

「真か!?伝説の忍だと!?なんと!!父上ぇえええ!!有り難き幸せにござるぅううう!!!」

 廊下に走り出て叫んでいる。

 先程喜ばなかったくせに。

 まったく、おめでたい年明けだこと。

 口を隠して忍び笑む。

 今度の主は、さらに手のかかりそうなお方様だ。

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