第127話何も言えぬ口ならば
幸せ過ぎるのは、嫌いになった。
どれだけ願おうと残される痛みは、幸せの大きさの倍以上に上る。
いちいち物事に病んでられないけど、主を忘れる
幸せと同時にいつ逝くのか不安になる。
主を置いて独り死ぬ時も、主が己を呼んで叫ぶのに応えられない悲しさ。
主に置いて逝かれる時も、己が主を呼んで悔いてばかりだ。
共に逝けたなら、それが幸せだ。
こうして片方が逝くことを恐れるようになったのは、いつ頃だったかな。
こんなに幸せと痛みを覚えたのは、何のせいだろう?
忍の
人間様に近付いていく己が怖くてどうしようもない。
忍でありたいのに、引き寄せられる、その手に『お前も人だ』と。
悪夢のようだ。
天下統一を目に刻むまでの命令が、目前に迫っていると気付いた時から、主を殺してしまおうか、と何度も考えた。
殺して、その命令の終わりから遠のかせたい。
幸せを知った瞬間から、幸せから逃れられない。
終わりから逃れようと、してしまう。
そう、夜影は言ったんだそうな。
震える体を自身で強く抱き締めながら、誰にも打ち明けることのなかった本音を、つい昨日の深夜初めて晒した。
忍だから、何もかもを隠して影に生きなければならないと、誰よりもわかっている。
完璧に思えた夜影も、どうやらガタが来たようだ。
「して、夜影は?」
「修行に行くと。まだ、此処に留まってはおりますが、明日にでも出るつもりだと。」
まったく、夜影という忍はどこまでも自由だ。
忍の
不思議だ。
縛られて鎖の届く範囲でしか動けないのだと見せておいて、実はその鎖はいつでも外せてしまう。
「噂を知っておるか?」
「噂…、長の噂ならば数多くございまするが、」
「夜影は、武雷の者と出会わなければ今よりも素晴らしい忍になっておった、と。」
それは噂というよりは…。
梵丸は初陣を終えて今や
夜影はそれを機に、何処か隙を狙ってこの武雷から消えようと考えているのを、主である墨幸も気付いていた。
そしてそれを敢えて止めずに、行かせてやろうと思った。
「夜影を呼べ。話がしたい。」
丑三つ時がくる。
闇夜、
「修行に出るそうだな。」
「そろそろ、かと思いまして。」
目を伏せたまま、夜影は静かに答える。
それは、この予定を変える気はないということだ。
もし、止めて欲しければ、主にこのことをさりげなく零していたであろう。
部下に零したということは忍隊を空けることになるという知らせを告げただけ。
「『そろそろ』?」
「自覚があるのです。甘え、長居したせいか己が弱くなることを。『日ノ本一の戦忍』と肩書きを名乗るには不足。」
大事な時期は終えたから、離れてしまっても大丈夫であろう、という気がそこにある。
突然の別れは、死ではないことがせめてもの救い。
これが遅かろうが早かろうが、死であったのなら、なんと辛いものか。
死ではないということは、いつかまた会えるのではないかという希望を持つことを許される。
勿論、去った忍に再会することが夢のまた夢であることを知ってはいる。
だが、可能性は
夜影がいくら転生をする忍だとしても、一度死んだならば自身が生きている間には夜影は生に足を着かすことはない。
修行…それに何年かけるというのか。
終えた頃には、またこうして向き合えるか。
「修行に、行くのを…先に延ばしてはくれまいか。」
本音が、つい転がり落ちた。
言うつもりは無かった。
夜影はその言葉に顔を上げる。
「俺が、逝ってからでは、駄目か?」
こうなれば止まらない。
別れが、突然過ぎたのかもしれない。
この言葉が残酷であることもわかっている。
夜影に、死を見て消えろと命じておるのだ。
夜影が最も嫌う主の死を見て、離れろと。
「ご冗談を。死を見るのは修行を終えたこちとらですよ。」
その
その目とこの目が合う。
「ただ、どうしてもそうしろと仰るならば、あんた様の終わりまでこうして甘えていましょうか。」
溜め息混じりにそう言うと笑った。
是非も無し、と言いたげな目が揺れる。
これだから此処を離れられないのだと、夜影は自身に呆れていた。
そして、修行を主の死を
二度の変更はしない。
死が境ならば、逃れようもない。
ただ、己の死が先であるならば、そのまま消えよう。
何も言えない口で、僅か、僅かを零す。
ただ、そう遠くない未来の嫌な予感を感じながら。
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