第117話毒が利けば

 毒にも、ものを救う毒とものを殺す毒とがある。

 それを見分け、作れ、扱えなければならない。

 才造はそれが誰よりも優れていた。

 夜影は才造よりも強力な毒薬を作り、味でり分け、体内に飼いつ扱う。

 だが、夜影自身も才造より劣っているという自覚はあるのだ。

 夜影には、救う毒は作れない、うまく扱えない、そしてそれらを見分けることは出来ない。

 あくまでも、主を守る為に殺す毒を選り分け、作り、扱うだけ。

 そして、才造ならば殺す毒を救う毒へと変えることも、その逆も出来た。

 それが、違いだ。

 何を極めているか、それがそれぞれ違う。

 才造の毒に夜影が耐えられるからといって、それは実にどうでもいい話で実際はその毒が相手に効くか効かないかではなくどう使ってみせるかだ。

 効かない毒でも使う意味はある。

『毒』であるだけで、その名称があるというだけでいい。

 中身が毒でなくても『毒』だと称してしまえばそれは毒であり、毒と同じ効果でさえ発揮する。

 致死性がない毒、というだけであって。

 才造はそれをよくわかっているし、夜影にとって毒は殺す毒でなければ意味はないのだ。

 毒が利けば、薬が利けば、なんと便利なことか。

 夜影は才造のそれをよくわかっている。

 だから、それに頼っているのだ。

 荒々しい雑な対応とは異なる、薬や毒に対する繊細で丁寧な対応。

 それを好いては眺めるのも悪くは無い。

 夜影が薬を才造よりも上手くなったのは、実は才造のその作業を眺めていたせいである。

 ほぼ勘で、より強力なものを生み出してやりながら、さらにこの薬の使い所を考えて改善点を見つけ、さらに…という風に夜影は薬を暗殺などに使う為だけに生み出していった。

 気付けば、才造よりも優れた薬を作れるようになっていて、それでも夜影は才造を超えたとは思っていない。

 ただ一点を極めた程度で越えた気になる馬鹿ではない。

 そして、夜影もわざわざ自ら薬を作ることはしない。

 才造が居るのだし、それでいいじゃないか、と。

 才造の薬が効かない奴が現れた時にやっと作ればいい。

 才造を信頼し信用しているからこそ、そこまで至ろうとしないのだ。

 才造も、その点はわかっている。

 今日も今日とて夜影は才造の薬を手に笑う。

 敵が才造の薬を夜影の薬であるとおくしたのも、また毒と称したそれと同じ効果である。

 夜影の毒は一点を刺し、才造の毒は多点を見る。

 それが違いで、その違いさえ見分けられないのでは話にならない。


 夜影は今まで食した毒の味を全て記憶している。

 だから、一度でも食した毒であればどんなに僅かであってもわかる。

 一口で、毒という違和感に気付きそれがどういった毒なのか瞬時に判断、そして処理しつつ誰がこの毒を混ぜたのかを探す。

 最初は主に出される食べ物全て毒味をしていたのだが、だんだん毒を発見してからの作業の面倒さに、自分で主への食べ物を作るようになった。

 勿論、才造でも毒に気付ける舌と目をしてはいるが、夜影が許さないのだ。

 主の口へ運ばれるものについては、誰も信用していない。

 毒が利けば、色々と便利だ。


 夜影が毒を体内に飼うというのも、毒の耐性があるというのも珍しい話ではなく、子忍の間に毒を飲んで慣らしたりはする。

 忍隊十勇士全員、血肉に毒が混ざっており、また毒の耐性は多少なりともある。

 そんな体にも効くくらいの毒を口の中に忍ばせていることを知らない者も多くいる。

 そして、それを知らぬままでも構わない。

 その毒は忍自身を殺すものであるからだ。

 情報を敵に吐かされる前に守る為に自害する。

 その時に飲み込む為の毒である。

 勿論、口吸いを求められた時に相手に飲ませてもいいのだが、普通ない。

『情報を守る為の死処』と夜影が言うように、捕まってしまい主の危機となるくらいの情報を抱えているのであれば、その場で忍ばせていた毒を飲み込みそこで死ぬことは当然である。

 脅しで「動けばこの者の命はないぞ」と仲間が捕まった状態で言われれば夜影はこう答える。

「好きにしなよ。」

 夜影からすれば、情報を抱えた忍が捕まってまだ生きているということはない。

 つまりそれは此方の仲間ではない。

 仲間であったとしても、そこで死んでもらって構わない。

 寧ろ、死んで貰った方が良いし、気にしない。

 任務を達成する為ならば、主の為ならば、そういった脅しなんぞいちいち気にしてはいられないのだ。

 真に仲間であり、尚且つ生きたまま戻ってくるようなことがあれば夜影はその頬を叩き怒鳴るだろう。

 何故、捕まったのだ。

 何故、死ななかったのか。

 情報をどこまで吐いたのか。

 主の死を見る気なのか。

 厳しい、酷い、という話ではなくこれは当たり前でありそれに同情する生温なまぬるさは必要ない。

 恐れるのならばね、ということだ。

 これもまた、毒というものである。

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