第110話幼きには勝てぬ

 梵丸は夜影の黒を血が彩っているのを何度も目にした。

 そして触れる前にその血を捨てて、やっと此処にいらえ、疲れを隠して跪く。

「夜影、待っておれ!」

 夜中に戻った夜影が、そこで跪くのを見て何かお礼をせねばならないと、慌てて部屋に戻る。

 待てと申せばいくらでも待つのが夜影だ。

 他の十勇士なら待たぬのに。

 梵丸が抱えて戻ってきたのを、夜影は首を傾げた。

「受け取れ!」

「しかし、若様、これは…。」

「良いのだ!僕は!僕はまだ戦に出れぬ!故に夜影にやれる恩賞もあらぬ!」

 だから、夜影が着れぬと知っておきながら一等綺麗な自分の着物を差し出すのだ。

「忍にはこのようなものは、」

「僕は、夜影が頑張っておるのを知っておるぞ!!僕は、それをお礼したいのだ!!恩賞だ!」

 必死にそう小さな両手で小さな着物を精一杯差し出すのだ。

 夜影はなんと申してよいやら、少々迷う。

 だが、引く気はないのだと目が訴えている。

 受け取らぬというのなら、受け取るまでこうしてやろうという気まで見えてくる。

 夜影はこうべを垂れ両手でそれを丁寧に受け取った。

「有り難き幸せ…。」

 そうする他ない。

 だが、仕方なく、ではなくて心の何処かで喜びさえあった。

 こんな幼いというのに、また主らしさを魅せてくるとは、侮れない。

「うむ!」

 満足そうに頷くのだ。

 嗚呼、我が主様だ。

 これが、己の、己だけの主様。

 その着物は大事に保管することとなった。

 我が主から初めて頂いた恩賞は、これであったのだった。


「夜影、交換だ!」

 今度は両手で刀を差し出す。

 交換…?

「苦無と交換だ!」

 夜影は今この手にある苦無を見下ろしてから、それは如何なものかと思うた。

「駄目です。」

「何故だ!」

「その刀は六郎様が若様にくださった大切な一刀。それを、」

 そこで言葉を切って、後方を振り返った。

 こんな時に敵襲か!!

 苦無を飛ばしてまず一つ。

「若様!下がってください!」

 忍刀を抜いて構える。

 多い…。

 斬り倒し、横から飛びかかってくるのを蹴り弾く。

 不意を突かれて忍刀がこの手から離れた時には鞘をとって一撃をやり過ごす。

 このままではまずい。

 伝説の忍だと気付いた時にはこの身は、岩壁に叩きつけられていた。

 咳き込みながらも、立ち上がる。

 既に目前に迫った刃。

 それを寸でで避けるが、膝蹴りをくらわされた。

 倒れ込んだ時、若様が目に入る。

 何故、逃げないのか。

「若様……お逃げくだ、うぐっ!?」

 鋭い蹴りがさらに遮ってくる。

 流石に、傷で鈍る。

 次の足を転がって避けて素早く起き上がり、じわりと滲んだ血に傷口が開いたかと遅く気付いた。

 なにせ手元に武器が無い。

「夜影!」

 その声と共に刀が宙を舞う。

 それを思わず受け取ってしまった。

 もう、迷っている暇などない。

 鞘から引き抜いた時、その刃の美しさに稲妻が走った。

 その瞬間、これは斬らねばならない、という一心へと変わった。

 迫る伝説の忍に、恐るることすらないが、素早さは互角。

 ぶつかり弾けるその音に余計に興奮してくる。

 早く、斬らせてくれ。

 一撃を入れればもうたまらなくなる。

 いっそ、これでもっと切り刻みたい。

 そうしなければならないような気になって、攻めに転ずる。

 何を察したか伝説の忍は風を唸らせ去ってしまった。

 舌打ちをして、鞘に刃を収めた。

 そして我に返る。

「若様、何故私に!?」

 このような質の良い刀を投げ渡すなぞ、それどころか忍風情に使わせるなぞ、許されたものではない!

「父上から聞いたのだ!一等良い刃を夜影に渡すとな、強うなる!真であったな!!」

 これでは肩の力が抜けてしまう。

 何を吹き込んでおいでか。

 強くなるどころか、何も見えておらぬような危うさであるのだ。

 それを自覚しながらもやはり呑まれる己はさらに悪い。

「あまり忍を甘やかしてはなりませんよ…。」

「うむ!」

 まったく、どうしたものか。

 やはり幼い主が相手というのは、いつになっても勝てそうもないのだ。

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