第91話恋の糸なぞ

「お前は色恋には興味無さそうだな。」

 何の関係性も示さず放られた言葉に、夜影は思わず鼻で笑った。

「なぁに、才造にも好きなお人様が現れたっていうの?」

 才造らしくもない話題だ。

 何か、企みでもあるわけ?

「まぁな。『現れた』な。」

 わざと強調される単語に、振り返る。

 その目は何かを含んでいる。

 それを察せない。

「で?相談でも乗ってくれ、とでも言う?」

「乗ってくれるのか?」

 何を考えているのか、やけに会話に目立つ違和感。

 任務の準備をしながら、まさか暗殺対象がその色恋の相手であるはずがない。

 暗殺対象は男、それもいい歳をしたおっさん。

 才造が好くわけないし、好いていたら距離を置きたい。

 悪いとは言わないけれど、それはない。

 印象といい何といい裏切られたかない。

 有り得ないの一言に尽きる。

「こちとら色恋にゃぁ疎いよ?だいたい、美化されてるだけで恋愛なんて物欲以外の何物でもない。」

 手をひらひらと振って他を当たってくれとばかりに言えば、才造から僅か笑う声がした。

「お前は恋をそう言うのか。」

「間違っちゃいないでしょーが。けど、好きで大切なお人様が相手なら、物欲で構わない。所有欲で結構。」

 才造から目を離し、手元の書類の束に目を戻す。

 費用がこれまたかかる、かかる。

 修理費もかさばって出費が悲しいことこの上ないねぇ。

 気配がふと近くなって、肩に才造の顎が乗った。

「何よ。」

「それは本音か?」

「当たり前。っていうか、そのお人様の所有物にされたい。ま、忍なんでそう簡単に其奴そいつの物にはなってやれないんだけどね。」

 才造の呼吸が耳にかかってくすぐったい。

 最近、才造との距離感が近すぎると思うんだけど。

 物理的距離感が。

「あんた、名付けてくれた時と変わんないねぇ。」

「名付けた?」

「お忘れかい?『夜影』って付けたのは、まぎれもないあんた、才造だよ?」

 勢いよく才造が離れるものだから、何かあったのかと振り返る。

 その見開かれた目に、珍しい表情だとまた思う。

 猫耳を試すように撫でられ、今日は様子が可笑しいとまで思った。

「お前、あの時の黒猫か!?」

「あらま。気付いてるもんだと思ってたわ。」

 なるほど、そりゃ驚くわな。

 なにしろ、あんなにじゃれて『癒せ。』なんて言っちゃって忍らしくもなくだらけてた原因が転生して長だもん。

 こちとらだってもし相手がそうだったら取り敢えず絞め殺すわ。

 冗談だけど。

「あぁ、そうか…あの黒猫か……そうか、あの…。」

 ぎゅっと抱き締められて、思考停止。

 からの、再思考。

 才造の体温が心臓に悪い。

 才造の行動が心臓に悪い。

「そこで色恋に励んでるとこ悪いんだけど、長ぁ、入隊候補到着したぞ。」

「色恋に励んでるのはこのお馬鹿さんだけだよ。」

「え、あ、嘘だろ?抱き締めといて、そりゃねぇわ。」

 十勇士の一人、明朗メイロウが呆れた顔をして言う。

 何の話だかまったく察せない。

「才造ぉ、確かにどの任務より高難易度だけどさぁ。早くものにしちまえよ。」

 才造の目が明朗を睨んで溜め息をつく。

 溜め息をつきたいのはこちとら。

 夜影はわかっていないが、忍隊では才造の恋の相手が夜影であることはだいたい皆知っている。

 それで眺めていてもどかしいくらいに物理的にも距離感が縮まっているというのに、遅々として進まない恋路。

 夜影が相手に恋される分には結構鈍感なことも知っておりながら、だからこそ才造にさっさと告れと念じている。

 というか、見てて腹立つからさっさとくっつけ、と言いたいだけの忍らだ。

 才造も、夜影にあれこれと仕掛けているのだが、上手く誘引出来ない。

 任務での色恋も含めた誘引はあれほど容易であったのに、と夜影の予想以上の高難易度に攻略法を探っている真っ最中。

 そんなことはつゆ知らず、夜影は才造を部下、もしくは親しいだけの間柄としてしか見ていないのだから、他の部下らまで唸るのも仕方が無い。

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