第87話死に際告鳥
「夜影は何処で死ぬかわからんな。」
ふと若様を抱えたまま主は呟いた。
その小さな呟きに黒の獣耳は動く。
「死に場所で死にますから。」
夜影は振り返り、笑って答えた。
主の顔が険しくなったのに、冗談だとでも言った方がいいのか、しかしそれだとまさにその時になれば、いくら転生するとて目を見開いては息を詰まらせそうだ。
容易に想像出来る。
否、過去の話だ。
「死に場所とは何処だ。」
主のわがままに、応えてやれるほど忍はそう簡単に選ぶということを許されてはいない。
「あんた様のお傍か、それとも死ぬべき場でしょう。」
夜影の笑みには情は無かった。
それが余計に、偽りに見えなんだ。
「死ぬべき場所とは何処だ。」
「それはその時に決まるモノ。大丈夫。あんた様のお傍で死ねなかったら…。」
そこで夜影は口を噤んだ。
唇を噛んでから目をそらす。
夜影とて、主を残し逝くことも、主を守れず先に逝かせてしまうことも、震える程に恐ろしい。
共に逝きたい、と望んでしまう。
主が泣きながら名を叫ぶ様が記憶に痛く残る、残る。
主が横たわりながらこの名を呟き笑む様が記憶に残る、残る、残る。
思い出す度に、今此処にいる主と重ねてしまい、いつに死すかと伺いたくなるのだ。
恐ろしい。
嗚呼、だから、叶うならば…。
腕を掴まれ引っ張られたのに、はたと我に返った。
「どうした?申してみよ。死ねなかったら、なんだ?」
主の真剣な顔に夜影は眉を下げて笑った。
「影を飛ばして告げましょう。『逝った』と。」
そうして指笛を鳴らすと、その死を告げることになるのであろう影鷹が舞い降りて忍の腕にとまった。
泣きそうに笑む夜影に、主は察することしか出来なかった。
これが真であること、そして過去にこうして主に死を告げたのだと。
若様が泣き始めた。
まるで、拒むように。
主は慌ててあやそうとするも上手くいかず、いよいよ暴れて手を振る若様に、夜影はその頬を撫でて言う。
「きっと、若様が大きくなるまでは生きておりますよ。」
そう囁くように優しく言えば、すっと泣き止んだ。
主はそれに驚いたが、夜影は涼しげな顔をして、手を離した。
夜影の忍装束は黒いが、破ったように欠けているところがある。
それを直そうという気はないようで、不思議に思い首を傾げた。
「それは、どうしたのだ?」
手で触れてやり此処だと示す。
すると、途端に顔をしかめた。
「それの欠片ならば、成政様がお持ちで。」
それだけ言うと逃げるように影を纏って去った。
成政と言えば以前夜影が記憶を混乱させた時に繰り返し言った『蘭丸様』のことだ。
なんだか、ふつりと心にそれが残る。
先程の話と、もしかすれば繋がりがあったやもしれん。
代々夜影の主となった者がしまい込む蔵を探れば、綺麗な木箱が出てきた。
そこには、『開けるべからず』と貼ってある。
構わず紐を解いて開ければ、そこには夜影の忍装束の欠片が一つ入っておった。
木箱の蓋の裏には、『我が忍夜影此処に死を告ぐ』と書かれておる。
途端心がざわついて、木箱を閉じる。
これ、であろう。
息が詰まる。
何故、このように悲しくなるのだろうか。
これらの主らとは違い、絆結びも緩い己がここまで恐れてしまうのは、何故だろうか。
木箱の蓋の上に、滴が落ちた。
水?
「何をそこで泣いておられるのですか。嗚呼、ほら、木箱が濡れますから。」
いつの間にか夜影が目の前にいて、どうやら自分は泣いておったようで。
涙をその指の腹に器用に拭われる。
「夜影、これを、知っておるか?」
木箱を差し出せば、首を傾げて笑った。
「何言ってんの。『開けるべからず』の箱を、開けられるのはあんた様だけ。」
指を差して貼られた札を示す。
開けたことを咎めないのは、主であるからだろうか。
しかし、夜影はその札の字に指をつつ、と添わせて目を見開く。
「これ……。」
「知っておるのか?」
「…成政様の字だ……。」
夜影の手が震えて、そう呟かれる。
そして、手を離して唇を噛む。
その様子に、やはり、と思うた。
箱を開けてやれば、その目は揺れる。
「これは、お前の欠片であろう?」
そう問い掛ければ、夜影は口を抑えた。
震える夜影に蓋の裏を見せれば、その目はさらに揺れる。
「お前の主は、お前を大切に…。」
「言わないで!……下さい…。」
片手でそっと口を抑えられる。
聞きたくない。
そう目が初めて感情を表している。
「止めて下さい…。それを、聞いては…あんた様の忍じゃぁ、いられなくなる…。」
死した後のそれを知らずにいた。
また、そのまま知らずにいたい。
そう言っているようには思えない。
まるで自分を殺すような懇願。
その手を掴んで降ろさせる。
「何故だ。お前の主であっただろう?」
それに首を力なく振った。
「我が主は、たった一人。あんた様ただ一人。あんた様を退けて誰がおりましょうか。」
何故、そうであらなければならぬ。
ただ一人と定めて、今までを押し退けねばならぬ。
主であったのは事実。
それも、死をきっかけとして終えた主従なだけ。
「では、某がお前の主でなくなれば、どうなのだ。」
その冷たい手を握って、身を乗り出す。
「今も過去も、お前には大切であろう!それならばそれでよいではないか!」
そう叫んでから、夜影の視線が後ろにあるのに気付いた。
振り向くと、才造が腕を組んで立っている。
「何のお話で?」
首を傾げて、何を此処で騒いでいるんだと呆れている。
「夜影の話だ!」
「主、は…あんた様だ。あんた様だよ。六郎様だよ。」
掠れた声でそう呟く。
「守るべき背中も、従うべきお声も、全部、全部。」
木箱を抱き締めて、顔を伏せる。
「けれど、どうしてもどうしても、過去の主の声と重なる。それじゃぁ、こちとらは、どれの忍だかわかんないんだよ。」
弱々しい声でそう愚痴った。
そうして何も知らぬままに、或いは知らぬふりでもして、己に言い聞かせないと、いつか間違ってしまうだろう。
見えない背中を追ってしまう。
聞こえない声に耳を澄ませてしまう。
どんなに、逃れようとしても、記憶からは逃れられない。
逃れることを拒む己の心が、深い絆結びを後悔する。
やはり、間違っていたのだと、思うてしまう。
主のそれを間違いだと、思いたくない。
だから、だから!
「主はあんた様だけだと、言って。」
乞う声が、顔を上げて途方に暮れていた。
こんなにまで迷う、迷う。
迷い子のように、ふらふらと。
ゆらりと影が立ち昇る。
夜影に取り憑いておるのか、それとも夜影の一部なのか。
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