第86話茶と共に

 茶を啜りながら、気付いたものに意識的に触れるようにしようとした。

 この茶も、そこに添えられた茶菓子も、確かに好みを貫く。

 夜影の好みは、鋭利なモノ、とだけしか知らない。

 こうなれば他にも知りたくなってくる。

「夜影は味の好みはあるか?」

 隣で静かに茶を啜る夜影に目を向ければ瞬きを二度してから口を開いた。

「味……ですか。穏やかではありませんが血は啜りますよ。」

 その恐ろしいことを遠慮もなく述べたのはきっと、もう、己を主に隠さずとも良いということに気を落ち着けたからだろう。

 が、それとこれとは別だ。

 いやいや、まさか、夜影が人の生き血を啜って生きておるだとかそういった類は……。

「お気付き頂けませんか?あの祝言の日、血を呑んだのは神でもなくこのわたくし。代々あの役をしておりますれば。」

 くふふ、と笑うて茶菓子を口に運んだ。

 それには驚いて開いた口も塞がらない。

「まぁ、あの独特な味は昔からどうも舌に合うので、」

「も、もう良いぞ!」

 ひぃ、とその恐ろしい言葉たちに止めを入れた。

 夜影は小さく笑う。

 主の反応を見て面白がって言っておるだけであれ。

「そういうモノではなくてだな…こう、たとえば茶菓子であるとか…。」

 どうにか恐ろしい方向ではない味の好みを知ろうとそう言ってみれば、夜影は少し考える素振りを見せた。

「そういえば、才造やあんた様の好みは把握しても、こちとら自身が何が好きなのか、まったく…。」

 徐々に口調も解けてきた。

 才造の好みを知っておきながら、自身の好みは、はて何だろう?と言う口に不思議だと思うた。

 隠している風でもなし。

「血の味?毒の味?」

 呟くようにそう零す言葉はどれも普通ではない。

 あぁ、そうか、とようやっとわかった。

 夜影は、忍だ。

 そして、ただの忍というわけでもない。

 どんな過去があったか、わからない。

 まともに、味に触れて、それに意識し、興味を持つことなぞ無かったかもしれない。

 味わう、ということをしてこなかったかもしれない。

 そう考えると、多分だが、自然なことだろう。

「嗚呼、そういえば、遠い昔に主に頂いたおはぎは何よりも美味しかった…。」

 思い出すような目で、それだけを零す。

「おはぎ?」

「一生懸命、手作りしたのだと、不格好なおはぎを小さな小さな両手で差し出してくるんですよ。」

 懐かしいと、穏やかに笑った。

 柔らかな笑みは、どこか幸せそうで。

 嬉しかったのだろう。

 それはもう、こうも優しい笑みを浮かべるほどには。

 夜影は主を大切にしておる。

 そして、主も夜影を大事にしたのではないか。

 忍と武士の間にあるはずもない、強く硬い絆。

 周囲が許さないであろう、その親しげな風景も。

 夜影は漏らすことなくきっと覚えておる。

 忠義のままに、いや、もしかすればそれ以上の夜影自身の心のままに。

 夜影がこの武家に仕え続ける故は、これにあるのではなかろうか。

 そうでなくとも、ありえそうな話だ。

「如何なさったの?何か、お気にかかるようなことでも?」

 小首を傾げてそう問い掛けてくるものだから、我に返って首を振った。

「そのおはぎの味が好きか?」

 話を戻してしまえとばかりにそう言うた。

「味、なのでしょうか。それとも、主のそれ、なのでしょうか。わかりませんね。」

 眉を下げて、少し寂しそうに答えた。

 過去の主の、どれなのかはわからぬ。

『小さな』と申しておったところから、主が幼い頃から共におることになろう。

「まるで夜影は母上のようだな。主らの。」

「『主』に留まりますかね?」

 ということは、他にも?

「主を育てました。部下の子も育てました。他の人様のお子さえも。」

 苦笑して、しかし母上のようであるという言葉を否定はしなかった。

 大方、自分でもそれには反論のしようがないくらいに自覚があったのであろう。

「皆の母だな!」

 恥ずかしそうに笑む夜影を見たのはこれが初めてだな、と一瞬思うたのはまだ見透かされていまい。

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