第85話気付かば

 戦場には贈った短刀が顔を覗かせていた。

 夜影は大事そうにそれを持って、今か今かと戦の開始を待ち侘びているように思える。

 表情にその嬉々とする笑みでさえ浮かべて、やはり、抑えられないほどに嬉しかったのだろうと察せた。

「行くぞ、夜影。」

「御意に。」

 舌舐めずりをしながら、目を細めて答えた夜影の声はいつもの冷たさを失い、感情を露わにした明るさを魅せていた。

 戦が始まり、余裕ある隙にでもその短刀をわざと使う夜影を一瞬見る。

 これでもかと敵兵を切り刻み、目を爛々とさせている。

「はぁッ、最っ高。」

 そんな一言でさえ耳に届いた。

 夜影が素顔を露にしながら、こんなにも戦を楽しんでいる。

 徐々にその雰囲気に乗っ取られて、主も楽しくなってきた。

 息の詰まるような気が滅入った戦はどうしても好かない。

 今の夜影のように、開放的になってしまえば、いつの間にか劣勢を覆し優勢へと一歩も二歩も進んでいた。

 戦の勝利と共に、手を止める。

 夜影へ振り返れば、短刀を振って血をまっこと綺麗に払った。

 ついた血を綺麗に一滴残さず跡さえ残さずあぁも払えるのは簡単に見えて実は難しい。

 やっと鞘に収めて、ふぅ、と息を吐いた。

 胸に手を添えて、まだ興奮しておるのだろう笑んだままだ。

「夜影、珍しく楽しそうであったな。」

 そう声を投げれば、振り返り目を細めた。

「癖になりそうなんだよ。これが、もう、たまんない。流石だよ、あんた様は。目が利く。」

 目はまだうっとりとした気配を孕んだままだ。

 そして少ししてから我に返ったようだ。

「申し訳御座いません。御無礼を。」

 口を抑えてそう言うののだからにしゃりと笑んでやった。

「よい。畏まるな。某も夜影のお陰で楽しめた。」

 そう返せば、なんとも言えない顔をして、短刀を持つ手に力を込めた。

「うぅ…。」

 その小さな可愛らしい呻きを漏らし、顔を伏せる。

 それは、ついはしゃいでしまったことを反省するお子のようで、なんと忍らしくない顔だと嬉しくなった。

「夜影なら上手く扱えるだろうと選んだ甲斐があったな!」

「扱い切ってご覧に入れましょう。」

「何を言う。既にあぁも扱い切っておったではないか。」

 即答すれば、夜影は悪戯に笑んで口の高さまで短刀を浮かせた。

「いえ、これはまだ、序の口というやつですよ。ただの短刀、なんぞと思うて扱っていては、この刃が泣きましょう。」

 夜影は刃物に限らず、道具の扱いをよくわかっている。

 いや、道具だけじゃない。

 動物も、部下も、何もかも。

『扱う』ということに長けているのだと、気付いた。

「帰ったら、茶にせぬか?」

「では、茶菓子をご用意致しましょう。嗚呼、主のお好きな団子がよろしいでしょうか?」

 いつの間に好みを知られていたのだ。

 いや、待て。

 此方が気付いておらぬだけで、今まで食した夜影の手料理全てが、我が好みであったではないか。

 それどころか、夜影が選び差し出す色も、好み一色とそれを引き立たせる色を添えていた。

 夜影は、とおに全てを知っておるのだ。

 影から知ろうと目を凝らしていたのだと、そしてそれを伴おうと影で努力しておったのだと思うと、存外可愛いらしい一面が沢山あったのだなと気付いた。

 それに気付けばまた嬉しくなり、自然と頬が緩む。

 拗ねて距離を置かれていたと思い込んでいた。

 夜影は夜影なりに様子を伺いながら、可愛らしくも小さく少しでも傍に在ろうとしておったのだ。

 そうだ、物理的に傍におる時は多い才造を嫉妬だとか何だとかしておったのだ。

 目に見えるはずの、そう、例えば道のど真ん中に立っているほどのモノなのに、見つけることも気付くこともできなんだ。

 少し前に訪れた客人が話してくれた夜影の言葉はそういう意味か。

 人は慢心しておると言い、何度も笑ったそうだ。

 たとえ目立つこの目を見開いて目立つところへ居ようとも、わざと見つかってやらないと見つけることは出来ないと述べたそうな。

 夜影はきっと、客人を案内しながら愚痴ったつもりだったのであろう。

 もしかすると、見つけて気付いて欲しかったのではないか?

 気分を害さないように素顔を明かさず最低限の出来る限りを探って色々とわかりやすく示しをしていたのだろう。

 舌にも、目にもわかるそれら。

「如何なさいましたか?」

「いや、夜影は存外、可愛らしい事をすると思うたのでな。」

「刃に喜ぶような忍を、まさか。ご冗談にしては…と、またも御無礼を。」

 絶対、わざとだろう。

 喉を使って笑うておる。

 健気な忍だ。

 そして、鈍感な己であった。

「畏まらずともよいぞ。」

 そう放れば少し困った顔をした。

「それを嫌うたのは他でもない貴方様でしょう?」

 ほれ、まだこれを守っておる。

 ここまで来て、好きの一つを覚えるばかりでなく、嫌いの一つまでずぅっと気にしておったのだ。

 此方が何とも言わず気付かぬのを、それでもよいとばかりに。

「夜影の事を知らぬ頃の某は嫌うておった。だがな、今は違う。知りたい、見たい。そうようやっと思うた。」

 もう隠さずともよい。

 そう暗黙に伝えれば、察しのいい夜影には伝わったのだろう、目を泳がせた後に、息を僅かに吐いた。

「と、取り敢えず、帰ってお茶にしましょぅ…?」

 言葉の後ろが少し小さい声になっておったが、それには何も言わぬままにして兵に戻るぞと指示を出した。

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