第80話死に絶える時を夢見た

 血の海の真ん中で立っていた。

 暗く何も見えない空間は、月のない夜のようだ。

 恐怖さえ此処に無かった。

 居心地の良い血の上。

 きっとこの海は己が殺した者の血なのかもしれない。

 すくい上げたならば手に残る僅かな色。

 声は要らなかった。

 また影の中に居るのだと思っていた。

 ただ静かなこの暗闇でわかるのは、己とその血だけだった。


 目の前の敵を刺し殺す。

 怒号の声は聞き流して。

 主の背中を守る。

 戦場で息を忘れた。

 気が付けばこの身に刺さる矢の数、主の背にもいつの間にか矢が刺さっていた。

 それが翼のようだと、手を伸ばした。

 血飛沫を上げて揺れる体を無視して主の背を眺めていた。


 暗闇は暗闇のまま。

 音は何一つ聞こえず。

 何の感覚も無かった。

 何かから解放されることを願っていた。

 歩を進めようとすれば、この足を何かが引き留める。

 錆びた鎖が絡みついて、進むことを拒まれた。


 血が毒であると知っておりながら、敵に浴びせた。

 忍刀で切り刻み、はてあの背中に血は在ったかな、と思うた。

 振り返りざまに片腕が飛ぶ。

 それさえ見えていなかった。

 乱戦に陥る我が軍は劣勢であった。

 主が振り返りその目と目が合った。

 その目の強さに貫かれた。

 熱く背筋を這い上がる何かに興奮していた。


 途端に血の海が輝いて、己を下から照らす。

 眩しくて目を細めた。

 なんだか嬉しかった。

 どうしてだろう鎖が、余計に締め付けてくる。

 血の海が白く光る。

 それに惹かれてしまった。


 主の声は聞こえない。

 その目に気を奪われて。

 この身を貫いた刀にさえ気は向かなかった。

 息を弾ませて笑う。

 快感を覚えた。

 殺すことがこんなに楽しかったっけ?

 殺されることがこんなにも待ち遠しかったっけ?


 光に照らされて焦がされる。

 痛みさえ此処にない。

 口の端がつり上がった。

 何かに期待をしていた。


 狂ったように笑った。

 狂ったように殺した。

 刺されて刺して殺して殺されて。

 こんな快感は他にない。


 何かが弾け飛んだような、心の中が酷く疼いた。

 此処にいて欲しい。

 オマエに来て欲しい。


 訳が分からなくなってきた。

 血に溺れる感覚さえ背負って。

 何も見えていなかった。

 目の前を血に染める。


 オマエを此処に惹き入れて、己はオマエと笑おう。

 殺してやろうか。


 背後の気配に振り向く。

 オマエの存在に気付く。

 正面から撃たれた。

 この手から忍刀が滑り落ちた。

 この身がオマエに惹きずり込まれていく。


 オマエに殺せない己を、餌にして。

 どうか此処で笑いましょう。

 鎖に繋がれたまま。


 横たわる水の中。

 血の海の中。

 痛みが走って、見上げたそこには。

 オマエが切なげに立っていた。

 オマエが言った言葉は聞き取れなかったが、それでもいいと受け入れよう。

 影の随に。


 照らされた血の海で、二人で座って笑い合う。

 オマエは己で、己はオマエだと。

 鎖は解けないけれど、オマエさえも繋がれてしまえ。

 共に。



 夜影の様子が可笑しくなったのは戦の真っ最中であった。

 その目を見開いて、笑い始めた。

 そして刺されようともそれさえ楽しむように敵を殺した。

 快楽に溺れるように、目は微睡んでいた。

 夜影の名を呼んでも、何も返答しなかった。

 次に呼んだ時、確かに振り返ったが夜影はその隙に撃たれた。

 忍刀を手から滑り落とし倒れ込む夜影は、望んだ事だと言うように、目を一度閉じた。

「夜影!」

 駆け寄り名を呼んでも、痛みの目を細めながら見上げてくる夜影は、柔らかに笑んだだけで再び目を閉じた。

 才造を呼び寄せて、戦の終わりも同時となった。

 夜影を連れて帰れば、夜影は楽しげに笑んだままだった。

 それが何処か恐ろしく感じた。


 目を覚ました夜影の様子はまだあの目をしていた。

 戦場で目が合った瞬間から様子を変えた夜影は未だに何かを捉えていたのだ。

 夢を見たのだと言った。

 戦場で、夢を。

 暗闇の血の海で鎖に繋がれていたのだと。

 そう語る夜影は興奮が抑えられないというように目を見開いたまま震えていた。

 溺れるように、嗚呼、嗚呼と繰り返し喜んだ。

 息を弾ませて、快楽の狭間で揺れている。

 殺される夢と殺す現実の間隙でずっと立っていたのだと、さらに語った。

 影が見えるほどまでにおぞましく立ち昇らせて、震えている。

 感情に呑まれている。

 これが、伝説の忍か。

 これが、日ノ本一の戦忍か。

 夜影は喜んでいる。

 殺すことも、殺されようとしていることも。

 望んでいた。

 求めていた。

 まだ、足りないのだと言いたげに。

 狂っている。

 才造がそう呟く。

 狂っているのだと、そう、身を引いて。

 夜影は言うた。

 己に殺され、死ぬ時を夢見たのだと。

 己は解放を願っていて、己は己に添う何かを望んでいた。

 何かが抑え込まれていて、何かを発散したい。

 鎖から解き放たれたいのに、鎖から逃れたくはない。

 なんだこれは、なんなのだ、これは!

 そう夜影は興奮したまま言い放った。

 落ち着かない夜影を才造は抱き締めた。

 何を思うたかわからない。

 けれど、その行為を止めなかった。

 夜影を抱き締めて、才造は夜影の頭を撫でた。

 震える夜影は次第に落ち着きを取り戻していった。

 最後には、疲れ果てたようにそのまま、静かに眠りに落ちていったのだ。

「才造。」

「夜影は、怯えているのでしょう。」

「怯えておる、だと?」

 才造は夜影をゆるりと寝かせ直す。

「ええ。震えながら興奮を露わにし、目を見開く様は、夜影特有の怯え、恐怖。それに自覚もないならば尚更酷い状態です。」

 夜影の影はいつの間にか消えている。

 才造には見えていた。

 わかっていた。

 夜影は恐怖を感じると怯えながらそれに強い抵抗を示す為に興奮状態に陥ること。

 そして、興奮状態に陥りながら狂ってしまったり、可笑しくなること。

 その時に見える幻覚も聞こえる幻聴も、全て夜影は夢を見ているという錯覚にすり替えている。

 興奮状態に陥ると周りの音や声、そして感覚さえ鈍り、己に向けられる殺意や痛みさえ快感に変換されて、それに溺れていく。

 それと同時に恐怖となった対象、或いはその周囲のモノを殺すこと、壊すことに酷く強い快感を得てしまう。

 そうして、出来上がった状況を夜影は楽しみながらこういった状態にまでなるのだという。

 自覚が持てないくらいに狂ったということはそれほど恐怖が強かったということ。

 夜影は他と異なり、恐怖に屈するのではなく、恐怖に抵抗し恐怖を殺そうとするのだということ。

 そうしてそれらから逃れようとするのだと。

「今回の戦で夜影がそれほどまでに恐怖した原因があるようには思えませんが。」

「では何故だ?夜影がそもそもそう恐怖するなぞ有り得なかろう。」

「可能性として、あの火事では?」

 才造が答えたそれは意外な方向であった。

「火事?」

「夜影が珍しく冷静を失い焦っていたのです。そして火事の後、よく思いふけっていましたし。」

 主が少し振り返ってみる。

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