第77話偽りも真も語らぬ

「何故言わぬ!?」

 怒鳴りつけた先は忍隊のおさ、夜影である。

 主がこう怒鳴ったゆえは夜影の状態から察することが容易に出来たならば周囲はこうも動揺なぞしなかっただろう。

 夜影の影が見えた時、主は瞬に気付いた。

 このような禍々しい影を常に纏っておろうとも見えはしなかったのに。

 そしてそれを、夜影は明かさず黙っていた。

 その影が見える今、夜影の気配さえ消えぬ今、主だからこそわかることは…。

「何故…その状態で戻ってきたのだ。」

 怒りを露わにする我が主に、夜影の表情といったら冷徹で、何も語らない。

「主が気にすることでは、」

「申せ!!今すぐだ!!何を隠しているのか、全て!!!」

 言わぬをさらに遮って、怒鳴る。

 床に置かれた夜影の握り締められた手に気付いた。

 僅かながら震えている。

 怯えでもしたか、それとも怒りでも閉じておるのか。

 それとも?

 それでも、怒りを抑えることは出来なかった。

 黙り込んで口を開かなくなった我が忍の視線は床一点。

 夜影に近付きその視界へ足を入れる。

「言えぬのか。」

 それにさえ返答は無かった。

 影が夜影の腕に絡み付くようにうねっている。

 きっと、腕に重傷を負っているのだろう。

「夜影。」

 名を呼んでも返答はない。

 直感的に、夜影が迷っているのだと思うた。

 言うべきか、否か、迷って声が出せない。

 いつものように、言葉遊びでもして手綱を掴み、逃げ仰せてしまうのではなく、迷っているとはなんとも珍しい光景だ。

 そうではないのなら、何故言葉を発しないのか理解出来ない。

 手を伸ばし夜影の顎の下に差し入れて顔を無理矢理上へ向けた。

 自然とその目はこの目と合ってしまう。

 すると直ぐにでもそらすと思うておったその瞳は縫い付けられたかのように動かなかった。

 揺れるその目はそらすことが出来ないのだろうか、見開かれて瞬きすらしない。

 その時やっと表情が動いたように見えた。

 それは、どうしようもなく途方に暮れた顔だった。

 長である夜影が、こうも迷いを露わにし、答え一つ申せず、ただただそれに揺られている。

 手を離せど、その顔が下がることはなかった。

 何か、夜影の中で引っかかっているのではなかろうか。

 何かが、夜影を大きく動揺させて、考えが着かないように。

 恐怖、不安が映し出された目でもなかった。

 夜影には、『何が何だかわからない』という思いばかりがその目にある。

 理解が出来ていない不確かな事を、忍は口には出さないのだそうだ。

 勿論、主に。

 そういうことだろう。

 夜影は現時点では一切、口に出せる事は無い。

 それでも良かった。

 それでも良いから、何かを明かして欲しかった。

「もう良い。休め。」

 夜影を置いて立ち去ろうと背を向けた時、何か軽い者が倒れるような音がした。

 振り返れば、夜影が静かにそこへ身を横たわらせて影が収まっていく風景が見えた。

 本当に、言えなかったのだろうか。

 もしかすると、声が出なかったのかもしれない。

 もしかすると…夜影にはとおに意識なぞ無かったのかもしれない。

 そう思うと恐ろしくなった。

 また、あの恐怖が蘇る。

「夜影!!」

 駆け寄れば、握り締められていた手が開いており、丸められた紙屑が床に転がり落ちた。

 それを拾い上げる。

 広げて見れども、文字は掠れて読むことは叶わなかった。

 才造を呼ぼうかと思うたが、そういえば丁度長期任務に行っておる。

 夜影を抱き上げれば、こんなにも軽いのかと驚いた。

 こんなにも軽い身を盾にして、軽い、命だと…そう申しては、お前という忍は重い重い何かを守ろうとするのか。

 決して軽くはない命を、軽い道具と表して。

 胸が痛く感じた。

 話の通りならば、それは気が遠くなるほどに長い長い時をそうして……。

 考えるのを止めた。

 もう、もうこれ以上は考えたくなかった。

 自室に連れていき、自分の布団に夜影を寝かしてやる。

 血は無い。

 それでもこの腕は重傷を負っていることに間違いは無い筈だ。

 影が、あぁも絡まっていたのだ。

 その瞬間だった。

 夜影の片腕が瞬きの間に消え失せたのは。

 恐怖した。

 どういうことだ。

 これは…これは?

 心の臓が大きく波打った。

「夜影、お前はいったい…何を隠しておるのだ……。」


 夜影が目を覚ましたのは、夜も深く月のない時だった。

 座ったままうつらうつらとしておれば、ふっと影が通ったような気がして目を開けた。

 そこには夜影が不安そうな顔を晒して、片手をこの頬に添えておった。

「夜影?」

 そう名を呼べば、その手を降ろし目を伏せて顔を少しだけ下げた。

 腕は確かに消え失せたのに、再びそこに現れている。

「夜影。」

 もう一度名を呼ぶ。

 すると応えるように、顔を上げて目を合わせた。

 表情は不安を隠そうとせず。

「主…。」

 力無い弱々しい声がさらに不安だと告げている。

 何があったのだろうか。

 何がここまで夜影を追い詰めたのだろうか。

「何が、あったのだ。」

 怒鳴ることはやめて、答えを催促する。

 迷うように目を泳がせる夜影は、未だに途方に暮れていた。

「隠すでない。申せ。」

 はっ、と短く息を吐き出す様は息苦しそうであった。

「どうか…お見逃しを……。」

 それは絞り出した言葉。

 どうしても、答えることは出来ないのだと。

「何故だ?何故言えぬ?」

 夜影の肩を掴んでさらに問えば、辛そうな顔ばかりをするのだ。

「どんな罰でも受けましょう。どうか…。」

 夜影がその口から、真を答えることは無かった。

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