第73話此処ぞ我が影の中

「お前は何故そう何度も武雷に戻って来ては仕えるのだ?他もあろう?」

 その問い掛けに不愉快だと言いたげな顔を浮かべた夜影は溜め息さえ吐き出す。

「それは、旦那様には話せた話では御座いません。」

 わざとだろう。

 わかっている。

 この瞬間にあの望みを持ち出して、『旦那様』などと言い気を散らせようとしておる。

「何故だ。」

「どうやら、旦那様のことを少々甘く見ておりました。」

 答えを外しにかかってくる。

 夜影の絶妙な言葉遊びが、徐々に気を奪おうと手綱を握ってくる。

 その手綱をいとも容易く見つけられ触れられているのだから、恐ろしいものだ。

 夜影の手綱なぞ、触れるどころか見えぬというのに。

「此処に何かあるというのか?」

「このままでは、効かぬようで。」

 目を細めてその手を、ついと不思議な動きをさせる。

 まだ、奪われてはならぬ。

 その手に乗るものか。

「武雷でなければならぬ故があるのだな?」

「武雷家に代々受け継がれゆくものがなんであるか、当然、知っておられますよね?」

 手綱が緩められた感覚だ。

 なんだ、急に。

 諦めたか?

 ならばそれで良い。

「うむ!忍と、」

「その忍とは?」

「勿論……、言わせたいだけであるな?」

「なんのことやら?」

 目を閉じて顔をそらされる。

 即答しつつ流されまいと睨めば、夜影はそれさえものともしない。

「誤魔化すでない。」

「旦那様にあって、他に無きものとは何ぞと問えばおわかりでしょう?」

 なんだ?

「主は、他と違わず、容易いお方様だ。」

 そう残し影へと去った。

 今更気付けばもう遅い。

 隙を見せまいとしていたが、どうやら隙を突く為手綱を引いては緩め引いて緩めてを繰り返されておったようだ。

 まんまと突かれた。

 さらには逃した。

「やはり……それがしはお前が苦手だ。」


「夜影は武雷に何度も帰って来ているのでしょう?」

 その問い掛けに夜影は先程の会話を思い出す。

 またか、と。

 どれだけ人間様はそういったことを知りたがるものなのだ。

「それが如何いかがなさいました?」

「どうして、他には行かないの?」

 夜影はややこを抱いたまま、さて答えるべきかと悩む。

 別段、言おうと言わまいと問題はないが、それをどう思うか。

「言いたくないのなら明日でもいいわよ?」

「必ず聞く気満々ですか…。何故と問われましても。そうですね、ならば今お話致しましょう。」


 その目にこの目を射貫かれた時より、惹かれたのは己。

 疑心暗鬼の隙間から、その目を望んで刃を向けた。

 一瞬に抉り抜けば我がモノになるだろうか、などと血腥ちなまぐさいことを思うた。

 その目に逆らうこと、まさに死を魅る。

 強き雷鳴のごとき声に、痺れるような思いをしたのもしっかと覚えている。

 このまま殺されたとしても、構いはしない。

 そう感じるほどに、その稲妻いなづまは酷く眩しかった。

 倒れ込む身をその手に掴まれ、其奴そやつは言うた。

 我の忍にならぬか、と。

 有り難き幸せ、どころでない。

 これは夢か。

 これは、まことであるのか。

 ただ、この口は一つを答える。

 おう、とだけ。

 主は言うた。

 この武家は天下を取るのだと。

 天下を取るその瞬を、お前の赤き瞳に刻み込め。

 そう命令を頂いた。

 ただその命令に従いて、忠義を誓って今この時まで続いている。

 天下を取るのだと、言うた。

 それを瞳に刻み込め、と命令を残した。

 主と共に生き、主と共に逝き、天下まで臨もう。

 たった一つの命令の見えぬ鎖に繋がれて、我が影は此処を居場所と定める。

 ゆえにその受け継がれし目を持つ主に仕え、天下の瞬を今か今かと構えておるので御座います。

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