第72話我が主の記憶

 可笑しい。

 意識がしっかとしない。

 視界はあるのに、何かが見えていない。

 なんだろうか?

 何かを忘れている気がする。

残崎ザンザキ様!危ないっ!!」

 目の前の背についた刃に気を遅らせた我が主に叫びつつもその背と其奴そいつの間に滑り込んで、刃を弾いた。

 なんだろう、この感覚は。

「かたじけない!」

「まったく、あんた様は隙が多すぎるんだって。」

 そのお顔すらどこかぼやけているような気がする。

 それでも、間違いなく、我が主だろう。

「にしても、キリがないねぇ。」

「あぁ。忍、背中を任せるぞ。」

 その命令が大好きだった。

 いや、違う。

「わかってるよ。あんた様は前を見てな。」

 満たされているような、違うような。

 切り抜ければ、理解わかるのだろうか?

 残崎様?

 残……崎…様…、だと?

 いや、待て、残崎様は……。

 次なる扉を開けようとするその手を掴んで引き止めた。

 やめて。

 開けないで。

 知っている。

 残崎様は、この後……。

「どうした?忍?」

「お願い。待って。」

「らしくないぞ?これで最後だ。行くぞ!」

 嫌だ。

 嫌だッ!!

 手を伸ばしたけれど、届くことは無かった。

 そして目の前は血飛沫ちしぶきいろどられる。

 目を見開く。

「残崎、様……。」

 吐き気がした。

 倒れる身を支えて、即死だと理解する。

 息が出来ない。

 主を抱えて、目の前の其奴を殺した。

「近寄るな………ぶっ殺すぞ……屑共くずどもめがッ!!!!」


 苦しそうに眠る夜影を、ただ見下ろしていた。

「残崎…様…。」

 そう、繰り返される名はきっと、過去の主であろう。

 悪夢なのか。

「才造、残崎殿とはどのような者か知っておるか?」

 振り返り、問い掛けたが首を捻るばかり。

 才造が知らないということは、それほど昔か。

 夜影は己を強く引っ掻いて、苦しげに息を吐き出す。

 悲痛な声で、何度もその名を呼び続ける。

 引っ掻いて血がかすかに流れた。

 その手を止めさせようと、掴んでやると怯えるように身が跳ねた。

 しかしそれでも、その手がこの手をしっかと握った。

 強く、離したくはない、というように。

 強く握るその手は震えている。

「起こしてやった方が良いのだろうか?」

 才造はそれに答えなかったが、夜影の部下が一歩近寄り、声を控えて答えた。

「起こさぬほうがよいでしょう。」

 その答えが何故なのかまったく予想出来ない。

「なぜだ?苦しそうだぞ?」

「ええ。しかし、残崎様はおさの元主。その夢となればたとえ苦しくとも、最後まで起こしてはなりません。」

 部下は頭を下げる。

 それは、お願いをするようだった。

「それは何故なのだ?」

「残崎様に限らず、主の夢は長にとっては大切なモノ。あまり害したくはないのです。」

 部下は夜影のことを詳しく知っているようだった。

 どれ、その話を聞いてみたいな。

「そうか。」

「それともう一つ。過去の主の夢であるならば尚更のことですが、途中で起こすと混乱致します。」

 経験済みであるかのような話だ。

 いや、あるのだな?

 確かに前は蘭丸ランマルという名の過去の主について混乱を起こしておった。

「夜影は、全ての主を記憶しておるのか……?」

「それはわかりませぬ。聞いてみては如何いかがでしょう?」

 その瞬間だった。

 夜影の目からひとすじの血の涙が流れたのは。

 それには驚いた。

 血、なのだから。

 そして手を握っていた力がふっとなくなる。

 目をゆるりと開き、うつろのままに周囲を見た。

「ぁ……。」

 掠れた声でただその一音を呟く。

「長。」

「答えろ。我が主の名は?」

 その鋭い声で問う言葉に迷いなく、部下が答える。

「残崎様に御座います。」

 主はその答えに驚き、言おうとしたが部下は主に首を振った。

 今は、これで良い。

 そう言いたいのであろう。

「嗚呼、今、死んだ……。」

「長、如何なさいますか?」

切腹せっぷく。」

 またも部下の方へ目をやる。

 腹を切るなどと、本当にこのままで良いのか!?

 それでも部下は真剣な顔で続ける。

残影ざんえいに御座います。」

 差し出す『残影』と呼ばれた短刀を、夜影は片手で受け取り、さやから引き抜いた。

 影が一気に広がり、主と才造は後方へ退いたが、部下と夜影だけは動かなかった。

 夜影はその影を真横に斬った。

 影は斬られ消えて、夜影はそのまま刃を鞘へと収めた。

「ふぅ…。」

「お目覚めですね?」

「悪いね。どうも、いい夢だったもんだから。」

 短刀を部下に返し、溜め息をついた。

 すっきりしたというように、伸びをする。

 これには呆気に取られた。

 どこら辺が『いい夢』なのかも、この一連の行為も理解らない。

「な、なんなのだ!?今のは!?」

 主がたまらず声を上げる。

「長が残崎様の死ぬ夢を見た際には、その時の終わりを真似なければならぬので。」

 部下が答える内に夜影は立ち上がり、他へと移っている。

「終わり?」

「話では、残崎様の死後、長は切腹したのだそうで。」

「それを真似なければならぬのか!?」

「でないと、断ち切れぬらしく。」

 まるで、これが我が忍隊の伝統である、と言われた気分である。

 しかし、確かに先程までの夜影の様子と終えた後の様子はまったく違っていた。

「主次第で全て終え方が異なりますので、誰かが対応出来ねば長はそのまま混乱状態ですよ。」

 一瞬、何故こんなにも面倒な奴なんだと思ってしまった。

 だが、それくらい記憶が鮮明に残っているのだろうし、それくらい主のことが忘れないくらいに思いも強いのだろう。

 そう思うと、主への忠義が熱く、良い忍であるとも言える。

 それが少しだけ害あるだけだ。

 となると、主である自分もその内に入っているのだろうか?

「放置したらどうなる?」

「以前あった混乱と同じようになるでしょう。」

 以前あった混乱、は蘭丸のことだが。

 部下は短刀を両手に夜影の方へ振り返る。

 夜影はそれと同時に部下に振り返った。

「長、我が主の名が言えますか?」

「全部は流石に無理。」

「そうではなく。」

「あぁ、六郎ロクロウ様。」

 主はそれを聞き、少し安堵した。

 それと同時に、覚えておる主もおるのだとわかった。

「まぁ、お名前は兎も角、姿、生き様死に様は記憶しております。勿論、六郎様のことも忘るることは無いでしょう。ただ、混乱はしますが。」

 夜影は察してそう言うと、そのまま影へと身を潜めたのである。

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