第70話契りを此処に

 影をまといそこに現れたのは黒い髪に赤の華を咲かせひたいいんを持つ者。

 目は燃えるように紅が吊る。

 そしてその口さえも燃やして。

 しかし眼球は黒いのに瞳は白くある。

 あやかしなる者ではないかと思うた。

 気配さえそこに無いと言うのに。

 もしや、この者が武雷たけらいに語り継がれる話の一つか。

 蝶華チョウカへその片掌かたてのひらを差し出す。

「覚悟こそまことか。添い遂ぐ心此処に在るか。」

 その者の掌に浮かぶ印が揺らいで見えた。

 低い声はまるで背を押すかのようで、優しい。

「はい。六郎ロクロウ様の色に染まるため、今宵こよい此処へお見せします。」

 その掌に利き手を預けた。

 今度は、此方こちらの番。

 その目は此方を射貫くように見つめる。

 まるで見透かされるような気がして、偽りなぞ語れそうもない。

 いや、語る気はないのだが。

「目を晒せ。その心、偽り無きか。」

 試すように目を細められる。

「うむ!偽らぬ!」

 利き手を差し出せばその手はこの手の上にそっと乗せられた。

 その手の甲にはまた別の印がある。

 それがまた揺らいだ。

 その者は目を閉じる。

「偽り、無きや?」

 再び問い掛けるようにその者は申す。

 重なる掌が痛いような気がする。

「迷い、無きや?」

 更に掌に痛みが重なる。

「認めよう。」

 見開かれた目に、心の臓を貫かれた感覚を与えられる。

 何かが通り抜けたような。

 手は離される。

「最後問おう。毒を何処いずこに?」

 杯を進められる。

 それに注がれている液体は蒼、赤、黒。

 直感的に答えた。

 伸ばし手に触れる。

 そして飲み干せば。

「なればこそ。」

 その者は赤の杯を一息で飲み干すと、一礼し影へと消え去った。

 肩の力が抜ける。

 隣で笑みを浮かべる我が嫁となった蝶華に首を傾げれば内緒だと言われたのだ。

 して、あの者は?

 武雷に憑く神であっているのだろうか?


「夜影、お疲れ様。」

「やはり気付かれておりましたか。御無礼を。」

 蝶華は夜影を見るなりそう声をかけ、夜影は罰が悪そうに溜め息をついた。

「いいえ。これも夜影のお仕事なのでしょう?」

「勘弁して欲しいものです。あのような役は。」

「あらぁ、上手だったわよ?」

「勿体なきお言葉…。」

 そう会話する二人をやはりなんのことだろうかと首を捻る。

 わかっているのはそこの二人。

「して、夜影。」

「はい?」

「あの杯に入っておったのはなんであったのだ?」

 夜影が用意したものだということはわかっておる。

 ただ、何の液体であったのかがまったくわからなんだ。

「黒は墨ですが、蒼はある植物の汁ですね。」

「では、赤は?」

「主は知らぬ方がよいかもしれません。」

 夜影は目をそらすと、手の甲で口を拭う。

 元より何も付いてはいなかったが、反射的ともとれる。

「飲めるものなのであろう?」

「飲まぬものです。墨は何色にも染まらぬことを意味し、蒼の植物は健康に良く、赤は……血、に御座います。死を意味するので神はそれを飲み干し去った。つまり、死を遠ざけようという行為となるのです。」

 夜影はまるで気味が悪いとでも言いたげに顔を歪めた。

「血……だと!?」

「何の血であったかはお聞きなさらないで下さいね。」

 主はそれだけは鋭く気付いた。

 夜影の腕を掴み捲り上げる。

 包帯がまだ新しい。

「夜影の血…だな?」

「当たり前でしょう。他の血なぞ用意出来ません。」

 正当化されたそれに主は睨むように、そして次の言葉を怒鳴ろうとした。

 が、それは蝶華によって止められた。

「おやめ。六郎様、怒ってはいけないわ。夜影は、武雷家の伝統を守っているのよ。」

「し、しかし、このような事を…。」

「夜影はしたくてしたのではないの。わかって頂戴。」

 夜影は顔をそらして掴まれたままの腕を残すように身を引いた。

 それは、拒絶を見せる。

 そうだ、誰も好き好んでめでたい日にまで傷付け血を流そうなぞしない。

 夜影は、仕方が無く……。

「すまぬ…。」

 手を離すと、夜影は捲り上げられた袖を直し、さらに身を引いて顔を伏せた。

 このような伝統なぞ、残されておらぬ方が良い、と密かに思うのだった。

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