第67話一度の休息よりも

「夜影、それがし明後日あさってから『旦那だんな』と呼べ。」

「お断り致します。」

 一切の隙間も無く即答する夜影は、最早我が主の方向さえ見ぬ。

 背で返事をする無礼も仕事に頭を悩ませている今だからこそ。

 その姿を珍しいと思いつつも、わかってはいるので怒りはしなかったが、その即答はどうなのだろうか。

「何故だ。」

「明後日には忘れているでしょう。ですから、明後日改めてそう申して下されば対応致します。」

 この忍が今を明後日までに忘れるものかと眉を寄せる。

 大方、普通に嫌だから先延ばしにしてやろうとでも思っているのではないか。

「ならぬ。ならば、今からでよい。」

蝶華チョウカ様との祝言しゅうげんゆえの呼び方でしょう?気が早いのでは?」

 やはり避けるか…。

 そこに座る夜影の真隣に腰を降ろすも、夜影の目が此方こちらに向くことは無く、その紙の束へと落とされたままだった。

 何をそんなに悩んでいるのかわからないが、こんなに悩むなぞ珍しくて仕方が無い。

「何か力になれることはあるか?何を悩んでおるのだ?」

「いえ、大したことではないので。」

 素早い遠慮をくらう。

 大したことのないことで悩む必要はないだろうに。

「そうなのか?」

「ご心配なく。ただ……明後日までに戻って来られそうにも無いものですから。」

 それを聞いてすぐにわかった。

 長期任務になる、ということだろう。

 任務に出れば確実に明日明後日で戻ってこれまい、ということを察しての悩み事だったか。

「ならば他へ任せればよかろう?」

「そうも言ってられません。そもそも、明日も主や蝶華様の祝言準備等もございますれば。今日出て、明日の朝戻るくらいの勢いでなければ困るでしょう。」

 早口で述べられた内容は、先程『大したことのない』と言われたことだ。

 そう言っておきながら、案外此方のことについて気にかけてくれておるらしい。

「何故他ではならぬのだ?」

「部下に任せられる程のものならばそうしております。しかし、これは部下の大きな負傷が予想出来ます。祝言前にそんな事があっては、完璧な護衛に少しの支障があるだけで私は気が収まりませんし…。」

 長々と最早独り言並に様々を呟き始めた。

 いくらなんでもそれは意外過ぎる。

 そこまで気をつかわれると、少々重い。

 腕を組み、ううむ、と一緒になって唸った。

「それは今日や明日等に行かねばねらぬのか?」

「お忘れですか?給料日が明明後日しあさってであることを。それまでに働かねばならぬでしょう?」

 この言葉により破壊される。

 どうやら我が主の為というより、我が給料の為が大きいようだ。

 意地でも働いて稼ぎ、給料を美味しく頂く為だけに、ここまで悩むのか。

 しかも、よく考えれば祝言の支度したくについてもしっかり給料に含まれており、それもそれで大きい。

 どちらも外しては勿体無いわけだ。

「抜け目ないな…。」

「当然です。給料で武器等を新調せねばならない他に、色々と使い処があるものですから。稼がねば次の仕事が出来ません。」

 それは、金の為に働いておるのか?

 働く為に金を稼いでおるのか?

 どっちだ?

 首を捻る主にやはり目も向けない。

「夜影は、給料を全て何に使っておるのだ。」

「仕事ですが?他には主の少々と、部下の少々と。残りは、城や屋敷等の修理費用になっておりますし…。」

 指折りそう答えた。

「ならば、己の為に使っておらぬ、と?」

「何を申しますか。使っております。その使い処全て、己の為となっております。」

 調子を一切変えず即答する。

 つまりは、仕事を趣味とするような性格の忍なのだな。

 給料をしっかと貰い、その給料で次の給料を稼ぐ。

 まさに働く為に。

 その巡りの輪が夜影からすれば己の為。

 そこで納得がいく。

 何故、非番ひばんであっても働くのか。

 非番の意味が無かろう、と言えども休むことを覚えないのだ。

 そうして溜まった疲労は、何処に捨てるというのだ。

「夜影はいつ休んでおるのだ?」

「…………。」

 無言。

 それだけは何も答えまいというふうに口をつぐみおった。

 つまり、休んでおらぬ、ということか。

 以前、非番に休めと言うたせいだな。

「休まねば倒れるぞ。」

「………。」

 意地でもその話はしないということか。

 いくら非番をやろうとも意味は成さないだろう。

 倒れるまで働く気か、倒れようとも働く気なのか…。

「無視とはよい度胸だな。」

「では、休んだ分も有給という扱いにして頂けるのでしょうか?」

 そこで流し目をされる。

 答えはわかっておる。

「有給であっても働くのだろう?」

「祝言の支度までには間に合うてみせましょう。」

 立ち上がり、そう残すと素早く影となって去った。

 なんともずるい。

 むぅ、と不満を訴える先を探すも此処には無いのだ。

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