第64話笑んで甘えて絆されて

「夜影、ほら、今日こそ笑ってみましょう!」

 まるで蘭丸ランマル様だ、と思う。

 笑えと今日も今日とて、あの時みたいだ。

 逃げるすべはない。

「大丈夫よ、笑ってみましょう?」

 何が大丈夫なのだ。

 こちとらまったく大丈夫ではないというのに。

「どうしたら笑うかしら?」

 ううん、と真面目な顔で悩むから、逆に泣いてしまいそうになる。

「わ、笑えばよいのでしょう?」

 もうこれ以上続けられると過去に戻ってしまいそうだ。

 だから…。

 ふわりと笑んだ。

 一番自然な笑顔はこれくらいで、もっとなんて出来ない。

 恥ずかしいような、難しいような。

「あら、可愛いじゃない!よくできました!」

 頭を撫でられて、まるでやや子扱いだ。

 笑みを無表情に戻して、顔を伏せる。

「そういえば、このお耳は何かしら?」

 今度はこの黒い猫耳を撫でられて体が固まって動けなくなった。

 次はそれか。

「ん…あの、あまり触ら、」

「尻尾もあるわね。」

 話なぞ聞いていないらしい。

 甘えてしまいそうになるから、やめて欲しいのだが。

 何故こういう時に主がいないのだ。


 蝶華チョウカの相手を終えて、忍小屋に戻れば、才造が部屋の前で立ち塞がっていた。

「疲れたような顔をしてるようだが。」

「そう見えるのなら、そこを退きな。」

 苛苛いらいらを抑えつつ睨みつける。

「疲れを癒してやろうか。」

「遠慮する。」

「そうか。」

 その途端抱き上げられる。

 嗚呼ああ此奴こいつも話を聞かない奴なのか。

 夜影は諦めが入り込んで視線を宙に放る。

 抵抗しないのをいいことに才造はそのまま部屋へ入った。

 胡座あぐらをかいて座り、その上に夜影を降ろす。

「何のつもり?」

 それにはまったく答えずその手は頬に添えられた。

 体温が己よりも高い為に、どうしても暖かく感じてしまう。

 その体温に意識を取られた隙にその手は頭を撫ぜる。

 猫耳の裏を撫でられれば、気持ちよさに目を細める。

「猫と同じだな。」

 その呟きにすら気付かなかった。

 手が引いていくのがわかればその手に擦り寄って、もっとを催促する。

 もう、今日くらいは甘えたって許して欲しい。

 疲れたんだ。

 いつの間にか睡魔に踊らされ、才造の手に甘やかされて、深い眠りについたのを主らが知ることはなく。

 癒されていたのは夜影だけでなく、才造も同じだったことも、誰も知らない。


「夜影は、猫じゃらしが好きかしら?」

「……。猫、じゃらし、ですか。」

 嫌な予感がした。

 確かに猫耳も尻尾も生えている。

 だからとてやや子扱いの次は猫扱いなのだろうか。

「試しに遊んでみましょう?」

 目の前でじゃらしが左右に走る。

 それに目が取られてしまうも、仕方がない。

 狙ってしまうのだ。

 体が意識をも奪って、じゃらしに夢中になる。

 仕留めた、と思えば逃げられてしまう。

 それ、と素早く捕まえて我に返れば恥ずかしいことをしたと気付くのだった。

「申し訳御座いません……つい…。」

「あらあら、いいのよ?私は楽しかったわ。」

 うふふ、と笑われて穴があったら入りたいと思う。

 いや、今すぐ掘って入ってやろうか。

 じゃれている場合ではないというのに。


「夜影、私にはかしこまらなくてもいいのよ?」

「貴方様はよろしくても、他がそうとは思いませんから。」

 顔をそらしてそう答えればまた笑う。

「あらぁ、気にしなくていいのよ?もし怒られちゃったら私が言ってあげるわ。」

「そういうわけにも…。」

 いかない。

 それが許されるのであればどれだけ楽か。

「夜影はいい子ねー。」

 喰われた気分だ。

 嗚呼、これが食われる側の感覚。

 空気といい時の流れといい、手綱たづな彼処あちらのモノ。

 初めてだ。

「いいじゃない?私にだけ!ね?」

 わがままだ。

 このお人様の歩幅には、このままでは合わせられない。

「では、少しだけ…。」

 この時から、もう、壁は水のように簡単に手を通せてしまうほどに蝶華の声には氷が溶けてしまっていた。

 後はこの冷たい雪解け水に如何いかに手を通すかだ。

 その暖かい手にはきっと、容易いことなのだろう。

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