第61話治らずの病

 主の体調がここ最近どうも悪い。

 そこで医者を呼んでみたのだが…。

「『不治の病』なるもので…もって、六、七年かと……。」

「『不治の病』…だと…?」

 その場に居合わせた忍二人は黙っていた。

 しかし、才造のその握られていた拳は確かに震えていた。

 その隣で夜影は、ただ目を細めるだけであった。


 その夜。

「だからとて、休んではおられぬ!!」

「ご自重を!『不治の病』となれば、今無理をなさると更に寿命を縮、」

「だからなんだというのだ!!それがしは休まぬ!!」

 乱暴に障子を閉めて夜風に当たれば、溜め息が何処かで呆れていた。

 それが夜影だと考えずともわかった。

「なんだ。夜影も才造のように言うの

か。」

「言うだけ無駄でしょう。お好きになさってください。」

 振り向けば主の影の上に立ち、そして後ろによりかかるように腕を組んで顔を伏せていた。

 表情は一切変わらない。

「某が死んでもよいと思っておるのか?」

「主が死にたいならばそう思いましょうか。主がそうでないならばそうは思いません。」

「ならば何故才造みたく止めぬ?」

 夜影は主へ目を開けて見やる。

 その目に射貫かれて足が棒になるような感覚を覚えた。

「止めて欲しいのですか?武士あるじならば病であろうと望んで戦へ向かうものかと思っておりましたが。」

 どうやら才造よりもよくわかっているようだ。

 流石、この武雷家で仕え続けた忍だけはある。

 主が望む方向がわかっているからこそ、ならば止めはしないと。

「それに、そう簡単に主を死なせやしませんよ。」

 再びその目を閉じてそう言う。

「どういうことだ?」

 足は棒化から解放された。

 そして夜影に一歩近寄った。

 鈍く床板が鳴く。

 夜影が赤い片目のみを開けて、片手を伸ばしてくる。

 それは主の首を指差して止まる。

「あんた様の首を飛ばさせやしない。あんた様を病なんかで死なせやしない。病が治るまでは、ずっと。」

 鋭い指先は首に触れそうで、ちょっとでも動けば刺さるのではと思わされる。

「『不治の病』であろう?」

 夜影はその片目を揺らがせて影を纏う。

「あんた様にゃ関係ない。」

 そう言うと影となって消えていった。

 それからやっと気付いた。

 夜影の口調が変化しておったことに。


 夜影と共に戦へ何度も挑んだ。

 それでも主は変わらなかった。

 病であることは誰にも察せられないままに、しかし変化があったのは主ではなく、夜影の方であった。

 主が必死になればなるほど、戦えば戦うほどに夜影は弱っていった。

 主がそれに気付いたのは、もう三、四年が経ってしまった後だった。

「フラフラではないか。明日の戦は休み、」

「いえ、お気になさらず。」

 主に何かそういった声をかけられる度に、夜影は影へと身を沈めて去る。

 何度問い掛けても、明かすことはなく、才造や部下に対しても何も言わなかった。


 そして、病だと知らされ七年経ったある日。

 主の目の前で夜影が倒れ込んだ。

 倒れる前までは、胸を押さえ息を苦しげに吐き出すままだった。

 様子が悪化していくにも関わらず戦に参戦し、またそうでない時でも働いていた。

 意識が朦朧もうろうとする中、慌てる主が才造を呼ぶのを聞いていた。

 才造が夜影を抱き上げた時に、その目は閉じられた。


 布団に寝かせ、主と才造は夜影の意識が回復することを待つ。

 主が夜影の頬に触れれば夜影にしては高い体温であることに気付く。

 夜影はいつも氷のように冷たい。

 それなのに、この火照った夜影の頬は人並みの体温だ。

 才造から聞けばこれは高熱であるといっていいらしい。

「…ふ、ぅ……。」

 短く辛そうに息を吐いて、その目をゆるりと開く。

「夜影!」

「夜影、何か喰えるか?薬を飲むのに、」

「そろそろ、説明…しますか…ね。」

 その囁くような弱々しい声が言う。

 それに遮られた才造の声も続きなぞ言おうとしなかった。

 説明、とは何の?と。

「『不治の病』、を……知らされ…何年目、でしょう?」

「あ……7年、経つな…。」

 主が眉間にシワを寄せたのは、己の死を思い出したからだ。

 そうだ、もう、死期か。

「あんた、様は…死に、ま…せ、ん。」

 声を出す度にさらに苦しげに息が途切れる。

 目を閉じたまま耐えるように続ける。

「今、あんた様、の……『不治の病』を、こちとらが………負って、いる…状態、で。」

 夜影が目をまた開いて手を主の頬に添えた。

 死ぬのはお前ではない、と言われた気分だ。

 いや、そうなのだ。

 夜影が主の代わりに、いつの間にか病を引き受けていたなぞ、そんなことをたった今知らされる。

 そして何故夜影が弱っていってしまったかそれで納得してしまった。

「夜影…すまぬ……。逝く、のか?」

 夜影のその手が静かに落ちた。

 顔が横へ反れて目も閉じられる。

 嗚呼、答える隙も無く。

「夜影…!」

「主、まだ、息はあります。」

 才造はそう言いつつ、夜影に触れる。

 目を細めて首を振った。

「『不治の病』であることは、偽りではないようで…。このまま、死す可能性も。」

「どうにかならんのか!?」

「なりませぬ。なるのであれば、既になっております。」

 正論をかまされて、口を噤んだ。

 才造がその場を離れても、主は夜影の傍で悩んでいた。

 きっと、あの夜に首を指差された時に病を奪われたのであろう。

 それ以外、それらしい瞬間は無かった。

 唸って目を閉じる。

「死には致しませんよ。」

 その声に驚き目を見開いた。

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