第60話気が付けば

 夜影ヨカゲの混乱がかれたのは、包帯がほどけた瞬間だった。

 はらりと解けたからとて、見えたわけではない。

 だが、その目が捉えたのは確かに気配。

 それも、残念な。

「あ………ぁ………。」

「夜影?」

「うぁ…ぁ…ぁぁぁ…………。」

 なんとも言えない顔をして、震えるその手は首から離れた。

 声は定かではなく、次第にかすれていく。

 そして…。


「夜影、何を思ったかしらんがそれは無いだろう。」

蘭丸ランマル様ぁ………。」

らん。」

「蘭丸様ぁぁぁ………。」

 主があの主ではないことには気付いたし、今は過去でないこともわかった。

 のは、いいものの。

 その精神への打撃はあまりにも強かった。

 部屋の隅で我が主者への想いが強過ぎる。

それがしが気に入らんのはわかったが、流石に某とて辛いぞ、それは。」

 何気に夜影にこんな反応を取られて少々悲しい。

嗚呼ああ、この片腕をこんな主の為に失うのもしゃくさわる…。」

「今、何と?」

「あんた様の首を守る為に片腕犠牲に致しましたって言いました。」

 いや、言い方的にもそうは言って無かったのだが…。

 そこも気になるが、意識のない内にそのようなことがあったなぞ、思いもしなかった。

 ただ、何故、片腕が斬られるなどということがあったのか気になっていたが。

「そうか、夜影が守ってくれたのだな!」

「だからお一人で行かせません、とあれほど。」

「な、予知が出来るのか!?」

 夜影は気が済んだのか、立ち上がると腕以外の包帯を解いた。

 もう不要であるとばかりに。

「人間様の『死』であれば感ずることは出来ます。」

 いきなり冷たくなった声は驚くべきことを発した。

 影をまとい、包帯をゆるりと解きながら、腕を形成していく。

 すると簡単に腕は代わった。

「蘭丸様でなくとも主であることには変わりなき事実。残念ですが。」

「一言余計だ。」

「主に手を出したことに関してはどんな罰も受けましょう。たかが知れてますがね。」

 どんな拷問にも耐えて見せませう、というような雰囲気をかもし、余裕の無表情で顔を背ける。

 この態度がまた気に入らぬが、たとえどんな罰をしようとも、この忍には効かないことはなんとなく察せられる。

 それに、今回のことは腕を捨ててまで守ろうとした結果であることと、主への忠義の熱さは嫌な形で知ることになったゆえ、見逃すことにしよう。


「して、野川ノガワ殿は?」

「今頃、あの世でしょうね。」

「討ったのか!?」

「さぁて?」

 夜影は目を細めて覆面をすると、木の枝へ飛び乗った。

 そして、尾を揺らして見下ろしてくる。

「夜影は、蘭丸という主の時はあぁだったのだな。」

「忘れて下さい。」

 心底嫌そうな顔をする。

 そこまで嫌がらなくてもいいだろうに。

 あの慣れ明るい態度をされてみたいものだ。

 狐の様に笑う様は、『死』を持たない軽さがある。

 やはり、それだけ蘭丸との主従関係は硬い絆でもあったのだろうか。

 才造も長く居るような気がするが、決してあのような性格ではない。

 この夜影の素顔があれならば、蘭丸という者に嫉妬しよう。

 死して尚まだ夜影を引きずるか。

「諦めぬぞ。」

才造サイゾウがいるじゃないですか。嗚呼、嫉妬しっとするほどお傍に。」

「嫉妬しておるのか。」

「特権を奪われた気分です。」

 意外だ。

 嫉妬していたなんて。

 もしや、それでこんな遠い距離感なのだろうか。

「特権とはなんだ。」

「蘭丸様は自ら選んで下さいましたよ。」

 顔を背けてそのまま飛び去った。

 拗ねておるのか。

 どうやら、夜影にはその気があったのに、此方こちらがそれを遠ざけてしまっていたらしい。

 それを夜影は拗ねて、ならばもうさらさまいとそっぽを向く。

 疑ったのも、牢に投げたのも、そしていたぶったのも全て、夜影を冷たくさせる一因。

 出会い方も良うなかったように思える。

「才造に嫉妬しておるとは。」

「嫉妬されていたとは。」

 此処に現れてそう零す。

 やはり才造も驚くか。

「どうすれば良い?」

「待つのではなく、歩み寄れば良いかと。それと、ワシは嫉妬されるほどの仲ではないと思います。」

「うむ、それは申すな。」


 鍛錬中、ゆるゆると雨が降り始めた。

 そして直ぐにそれは増してしまう。

 だが、どうも雨が己を避けているかのように落ちてこない。

 見上げると、夜影が木の上で傘を広げ、此方が濡れないようにしていた。

「すまぬ。気が利くのだな。だが、夜影は濡れぬのか?」

「濡れて困ることでも?」

 目を閉じて溜め息のようにそう問いを返される。

 困るも何も…。

「風邪を引くではないか。」

 今度こそ溜め息が聞こえた。

 目をゆるりと開いて見下ろされる。

「人様扱いはおやめ下さい。忍は人間様と違い、体温調節も出来ますし、体調管理はしっかとしております。」

 雨の雫の冷たさよりも凍てついた声でそう述べた。

「それはすまぬ。」

 この距離が、いつ縮むのだろうか。

 音を跳ねさせ、傘を打つ雨。

 そしてその雨を受けながらも、濡れて大人しくなった夜影の黒髪は、いつもと違って見えた。

 目元の化粧が雨で流れてつたう。

 それを夜影は指の腹で雑に拭った。

 色が横に伸びれば、また違った印象を与えてくる。

 素顔が見えるわけではなく、雨でさえも流し落とすことは出来ない偽りは、嘲笑うかのように夜影を隠した。

「血の匂いが微かにします。」

「血の匂い?」

「きっとそう遠くない何処かで、誰かが逝くのでしょう。」

 その告げた声は相変わらず冷たくて。

 見えない逝く様を探してしまう。

 そこにない血の香りも探してしまう。

 夜影にはきっと、見えていて、目を凝らすように遠くを見ていた。

 そう遠くない何処かを誰かが逝くのを見届けているのだな。

「雨…ですね。」

「うむ?」

 夜影が何かを含んだように言った。

 それを理解することは出来なかった。

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