第59話道連れにしてでも

「嗚呼…よくも、主を食らってくれたねぇ?」

 刃がこの手に無くとも、夜影には関係無かった。

 血塗れた目で、その手を伸ばす。

 野川の戦は酷い劣勢を見せた。

 主が地に伏せた時、さらに首まで奪われそうだった。

 それを夜影は片腕で庇って、その目を細めた。

「迷いなく腕を捨てたな。」

「主の為ならば片腕なぞ。首さえありゃあんたを殺せるさ。」

 切断された腕からは、血が止まらず流れゆく。

 出血多量で死す未来を想像させるには容易であった。

 夜影はそれに逆らって殺気を立てば、血は止んで、影が腕の代わりというように纏い絡む。

 無表情は笑んだ。

 夜影の殺気が其奴の目を見開かせる。

 人のような情から現れる、人ではない、この世のものとも思えない其れは、恐怖を呼んだ。

 目が赤と蒼を魅せて、頭蓋が音をたてて笑う。

 噂は真なり。

「お前を殺して其奴の首を取る。」

「道連れにしてでもあんたのお命は持ってくよ。」

 夜影の血は其奴を蝕む毒に、其奴の血は夜影をさらに興奮させる毒に。

 斬れば斬るほどドス黒い情と、影が止まることを知らせなかった。

 主が倒された瞬を、夜影は恐怖を抱えて意識を飛ばす。

 殺したい欲を抱えては、守れなかった悔いが押し寄せて、夜影を追い詰めた。

 夜影の腹を貫いた刀、血を吐き出しながらも笑った。

 影は主を最期守るように、包み込んで姿を消す。

「てめぇ……。」

 嘲笑うように、夜影は笑ったままその息を絶やす。

 動かなくなった夜影の、首に刀を添えた。

 ぼろぼろな体を動かして首を斬った。


「蘭丸様……帰った、ら…お団子、食べ……ましょ。蘭丸様、の…大好き……な、いつ、もの…。」

 呟くように忍は言った。

 気が付けば『蘭丸様』と忍は繰り返す。

 忍には何も見えていなかった。

 抱えた主が遠い過去の、主であった者と錯覚していた。

 楽しげに笑う。

「蘭丸様、」

「某、は……蘭丸…ではない、ぞ。」

「蘭丸様の、お好きな……菓子は、いっぱい……ある、から…。」

「夜影?」

 忍には聞こえていなかった。

 様子が可笑しいと思いながらも、この体は動かなかった。

「蘭丸様、寝ちゃ…た、の?」

「夜影。」

 何度も声をかける。

 なんだか怖いような気がして。

「初陣、も……近い、の…に。」

「夜影、戻って、来い。」

 何度呼んでも声は届かなくなっていた。

 声は明るくて、嗚呼、やや子に優しくするようで。

「蘭丸、様…こ、ちと、ら……初陣、に……なったら、」

「夜影……。」

 延々と喋りながら、足を引きずって歩く。

 抱えられたままどうしてよいか、わからなかった。

 忍が何処に向かっているかも、わからなかった。

 野川の戦に、一人で出陣するという無理を、夜影だけが許さなかった。

 何かに怯えて恐れるように、共に行くといって聞かなかった。

 その結果が今なのだろう。

 狐の様に笑うのが、信じられなくて。

 こんな夜影は見たこともない。

 忍は過去を繰り返しているのだろう。

 きっと、忍にとっては……。


 城に戻ると、フッと体が動かなくなって、倒れ込んだ。

 声も息も吐き出せなくて。

 苦しい。

 そんな大将を見兼ねて周囲は青ざめた。

 まさかあの忍の血の毒の所為か。

 いや、まさか。

 忍の毒に対しての対処は出来るようにしていたというのに。

 そのまま、大将は逝った。

「『道連れにしてでも』…そうか、あの忍、真に持っていったな。」

 副将はそう呟いた。

 殺した忍が、主を逃がしながらも、大将の命を道連れにしやがったのだ。

 これが忍の恐ろしさなのか。

 道連れにしてでも命を持っていくとは、しつこさは生死を問わないらしい。

 舌打ちでは済まない状況が、野川を襲った。


「主。」

「才造……か?」

「はい。」

 目が覚めると治療された自分の体はもう、動けるようになっていた。

「夜影は?」

「どうやら混乱しているようで。未だ様子が落ち着かず…。」

 才造は目を伏せる。

 もしや、悪化したのでは?

 そう思い、訪れれば目は包帯、片腕は失く、しかし笑んだ夜影が座っていた。

 寄れば気が付いたようで此方へ顔を向ける。

「蘭丸様、お怪我はいいんです?」

 やはり、そうか。

「某は、蘭丸ではない。」

「ご冗談を。蘭丸様じゃないですか。」

 見えもしないのに、何故そうと言えるのだ?

 夜影は笑って情を晒すように、冷たさは無かった。

 あんな忍でも、こんな忍であったなんて、悲しいような気もする。

 何がそれを殺したのだろう?

「見えぬのに何故蘭丸だと思う?」

「蘭丸様の気配がそこにあるんで。蘭丸様は見ずともわかりますよー。」

 片手を此方に伸ばし、頬を撫でた。

 そんな優しい仕草が、優しい声が、蘭丸という者に向けて発せられている。

「ほら、蘭丸様でしょう?火傷するくらい暖かくって。って、あれ?蘭丸様、珍しく体温が低いねぇ。」

 その手を掴んで、止めさせる。

 過去の主従であれば、距離が近かったのもよくわかる。

 そして、夜影としてもきっと、それが心地良かったのかもしれない。

「なぁに、怒ってんです?」

「蘭丸ではない。夜影、目を覚ませ。」

「ヨカゲだなんて、何処で覚えたんですか。」

 ……夜影…と呼ばれていなかった、のか?

 いや、それどころか己の名も知らぬというのか?

 どういうことだ?

「いつもより大人しいですね?『忍殿』って何度もお呼びするくせに。」

「し、『忍殿』…?だと?」

 と、体が倒れた。

 首に重みがある。

 何だと気付いた時には、夜影がこの首を掴んで怒りを見せていた。

「誰だ。蘭丸様に何をした。」

 この切り替わりは、怯えさせるに十分で殺気さえ孕んでいた。

「蘭丸様を返せ。」

 目なぞ、どうやら見えずとも関係無いようだ。

 我が主を失うことに逆らうそれはまさに従者の様。

 しかし、これは不味い。

「夜影!!やめろ!!」

「邪魔するのならあんたも殺す。」

「主だ!!お前が今殺そうとしてるのがお前の主だ!」

「これが蘭丸様なわけがない。それに部下にはあんたみたいな気配の奴なんざいない。」

 記憶の混乱が、殺意を呼ぶ。

 過去は長として部下を把握しきっているのは大変素晴らしいが、それが今では仇となってしまっている。

 どう止めたものか。

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