第57話鶯瓦

 屋根の上をつい、ついと駆けた。

 それを眺め目を細める。

 そして戻った夜影に、二人は関心をあらわにする。

鶯瓦うぐいすかわらを知っておったのか。」

 踏まば鳴くそれは、鳥の声とは言わぬが。

 夜影が今通ったその瓦は確かに鶯瓦であるのだ。

 しかし、鳴らぬ。

「知らねばならぬことくらいは。」

 冷ややかにそう答える。

 しかし、これでは困る。

「避けるのではなく、踏んで欲しいのだが……。」

「踏みましたが。」

 即答されるも鳴らぬ瓦が一つでないとなれば問題だ。

 眉を寄せる主に、夜影は溜息をついた。

わたくしが踏もうと鳴きません。私では鳴かせられぬので。」

「どういうことだ?」

「では、主を踏んでみましょうか?」

 冗談であってもそれは申して良いものではない。

 そう咎めようとした才造とは逆に、主は足を指差して言うた。

「ならばそれがしの片足を踏め。わかるのだろう?」

「通りに踏みますが、鶯瓦が鳴くに十分か否か一瞬ですよ。」

「うむ。」

 試すとはまたどういうことだ。

 しかし、夜影は少し距離をとって、またついと駆け抜けた。

 主はそのしゅんを目の当たりにするも、首を傾げたのだ。

「うむ?」

 その反応は如何いかがか。

「どうです?」

「踏んだのか?かすったのか?」

「踏みましたが。つまりは重みが足らぬのです。掠った程度の重みで鶯瓦は鳴けぬのです。」

 夜影は主の足をその手で撫でた。

 いや、手で汚れを払うかのような仕草である。

 踏んだのだから、汚れてしまったかと気にしたのだろう。

「少しよいか?」

 返答が無かったが、すっくと立って見つめ返す。

 そんな夜影を主は突然担ぎあげた。

「ふむ。道理で。」

「な、何を!?」

「そもそも夜影は軽いのだな。こう、軽々と持てるぞ。」

 そう、片腕で十分である。

 しかし、夜影からすればそんなことはどうでもいい。

 担ぎ上げられる方が、その行為が問題なのである。

「降ろし、」

「しかし、これではわからぬな。鶯瓦に異常は見えたか?」

「い、いえ。特には…。」

 目を泳がせて、どうしたものかと居心地の悪さを表情に見せる。

 降ろせ、で降ろしてくれる相手か、考えればそうであった主は今までいなかった。

 気が済むまでこのまま、であるのも気が収まらない。

「あれだけ喰ってそれかお前は…。」

 才造の素の驚きには主は笑う。

『あれだけ』がどのくらいか忍隊ならばよく知っている。

 というのも…


 今ままで何も口にせず仕事に没頭した夜影だが、実は部下らはそれを心配していた。

 この上司を主が嫌えども、我らはよく上司のことを知っておるということだ。

 たった一人生き延びたこの部下の他にも後へと伝えることを怠ることはしなかった部下らは、まさに待っていた。

 先輩である彼らが彼女らが語ったおさというものが、どんなに素晴らしい存在かなんて最初はくだらぬと思っておった若い忍も徐々に興味を惹かれて。

 しかしようやっと現れたその長とやらは語られたままではない。

 残念がっているのではなく、むしろ先輩方よりも運が良かった等と感じていたのだ。

 話通りな様はあるものの、どうだ話に在らずこの猫耳はこの尻尾は。

 魅力が増えたといっていい。

 …と、いうのを忍隊は勝手ながら盛り上がってはいたが、その長が何も飲まず食わずで。

 心配しないわけがない。

 才造くらいのものだ。

 本人と関わってからでないと長を好めない等という奴は。

 しかし一つ大きな騒ぎ、そう、主と長とのあれやこれやが過ぎた時にやっと長は物を口にした。

 水を一つ飲んで溜め息をつくと、こう呟く。

「そろそろ何か入れようかねぇ?」

 腹がからであるから何か食わねばそろそろ危ういとでも言いたげに、しかしそうは見えない顔をして。

 ただそれを待ってましたとばかりにくノ一が飯を差し出せば首を捻る。

「……え?」

「長の為、お作り致しました。」

「…良い、の…?」

「勿論ですとも。」

 無表情がそこで笑みをふわりと浮かべたのに部下は呑まれた。

 嗚呼!これぞ!と思うたのは、話で聞けどもいつ見れたものかと悩んだ結果。

 いつの時代になろうとも、そういったものは変わりはしないようだ。

「ん、美味し。」

 一口遠慮気味に飲み込んで、そこからはもう凄かった。

 がっついて食べる様はまさに獲物を喰らう虎を超える。

 それくらい腹を空かせていたのだなと思うたが、いや、しかし、その細い身の何処にこんな大量な食べ物が収まるのか不思議でならなかった。

「ん…はむ♡」

 特に肉は美味しそうに喰らう。

 何だこれは、見ていて飽きない…。

 幸せそうに食べる姿を眺める部下らとは離れて才造は開いた口が塞がらないといった状態だった。

 食べた後は片付けをさっさとして、即行で働きに出た。

 それは別の日でも変わることなく、蛇のようにありえない量を食すのだ。

「長、よくこの量を食せますね…。」

「お腹いっぱい食べると動きが鈍るからさぁ。」

「は?」

「え?何?遠慮するでしょ?」

「では、あれは…。」

「三分の一くらいかねぇ。」

 これを聞いて化け物並みだと部下はしばし固まった。

 つまり、腹いっぱいにさせる為にはあの量を何倍にもせねばならんということで。


 …と、いった具合の忍が、鶯瓦を鳴かせるに十分な重みがないのだと、さらには主に片手で担がれる軽さであるのだと、才造がこうも驚かないわけがないのだ。

 さて、このことを知れば何処の軍も驚くだろう。

 鶯瓦が鳴かぬ忍がおるなどと、もう意味を成していない。

 鶯瓦が鳴いたことに夜影が耳を立てて殺めに影となったのは、主が夜影の尻尾に触れようとする数秒前くらいか。

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