第56話聴かせろと鳴く

 忍の意識が戻るのは、早いものだった。

 ただ、首を刺したのだから声はあるまい。

 問いに答えられようはずがない。

 それでも知りたいのだ。

「何を思うた。何故、己を刺した。」

 忍は笑まなかった。

『無』ばかりを見せつけられるようで、本当に生き物へ話を投げておるのかと疑いたくもなる。

『生きた屍』のようだ。

 生きておるはずであるのに、この忍は笑わぬと余計に『死』を纏うのだ。

 笑うてようやっと、それが薄まるものなのだと気付いた。

 この忍が笑うておったのは、そのせいなのか、否か。

 どちらにせよ、気味が悪い。

 忍は目を細める。

 逝くことを許されない不愉快を目で訴えるわけでもない。

 せめて、何か感情というものを表情に、目に、表して欲しい。

「もうよい。」

 主が部屋から出て、廊下に立った時、忍はやっと笑んだのだ。

 才造はそれを見て悪寒が走った。

 その扉を閉めた。

 主が盗み聞きでもすれば、答えは得られようかと待つのを、知っておいて忍は口を開く。

「都合良く、消えて欲しいという欲でもあったのかと。」

 声は確かにあった。

「それを理由に自害を選んだか。」

「どうせ、だからね。来世でいいやって話。」

 忍は首に手を当てて、喉で笑う。

 刺したはずが何故自由に問題なくそうしてられるか。

 才造には理解らず。

「今回の戦でお前が『日ノ本一の忍』ではないという疑いは失せた。だが、彼処までする必要はあったか?」

「違う。」

「は?」

 忍はそれきり、口を開かなかった。

 立ち上がると、何処かへ向かおうとする。

 それを引き留めた時首を捻る。

「何処に行くつもりだ。」

「牢。」

 当たり前だと言わんばかりにそう一言。

 そして才造を置いて自ら牢へと身を戻した。


 主が牢を訪れた時、忍の答えを今聞けるものと思っていた。

 嗚呼、そうだ、聞けないのだ。

 忍はうんざりだという顔で、主に向かう。

「何故、己を刺した。」

「殺せ。」

「答えよ。」

「殺せ。」

 何を投げかけても、殺してくればかりを返す。

「何故だ。」

「殺せ。」

 忍は頑なに、それ以外の音を返さなかった。

 何を思うたのだろうか。

 そこへ、足音が響く。

「夜影、話は聞いた。声を聴かせてくれるか?」

「治郎殿…!?」

 驚くそれには構いもせず、牢に手を差し出す。

 忍はそれに従うように、差し出された手にその手を乗せた。

「己を刺したのだな?」

「はい。」

「何故、刺した?」

「己も要らぬと察し、ならばついでに始末を、と。」

 忍の声はどこまでも冷たく、凍てついていた。

 感情はどこにも見当たらない。

 しかし、それでも素直に治郎に応える。

「主が嫌か。」

「否。」

「ならば、何故そう察した。」

「劣勢に戻るな、という命令にて。」

「信用がない、と感じたか。」

「元より。」

「うむ。ご苦労じゃった。」

 我が手に乗ったその手を引っ張ったと思えば治郎はその忍を刀で貫いた。

 忍の口から大量の血が吐き出されても、忍から悲鳴というものも、何も声が響かなかった。

 物を刺したような音ばかりが牢に響くのである。

 主はそれに恐怖を覚えた。

 倒れ込む忍の姿はまるで、壊れた物そのもの。

 生き物ではない。

「な、何故……!?」

「何故、だと?そう思うのならもがけ。わかっておろう。」

 そう冷たく治郎は言い放ち、この場を去った。

 主は忍に駆け寄るが、吐き気ばかりが起き上がる。

 忍は治郎に対し、やはり何も思うておらぬ。

 朦朧もうろうとした虚ろな目はただ、何も思うておらぬ。

 死ぬのであろう。

 このまま…、抵抗もせず。

 恐怖が心を染める。

 忍に触れれば、驚く程に冷たく、これは本当に生きているのかと疑う。

「し、忍…死ぬ…のか?」

 忍はその目を此方に移し、ゆるりとその手を伸ばした。

「望み………の、まま…に……。」

 掠れた声は笑んだ。

主に触れそうで、また触れぬようそこで止めやる。

 確かに笑うた。

 恐ろしい。

 これが、忍というものか?

 人に壊されようと、道具であるから、とこうなるものなのか。

 それが、普通か?

 忍は、そういう『物』なのだろうか?

「才造!!!」

「はっ、此処に。……っ!?それは、」

「死ぬのか!?此奴はもう、助からぬか!?」

 すがるように才造へ叫ぶ主に、才造はしゅんを考えた。

 間に合うものか、と。

 ここまで出血し、傷は深く。

 息は浅く、この忍は『死』を最初から受け入れ、生きようという気がない。

 これを、どう、治せというのだ。

「忍!死ぬな!」

 そう主が無理を叫んだ時、忍は笑みを作った。

「御意……に……。」

 嗚呼、嗚呼、従うように、忍の目に細い糸のような『生』への気が現れる。

 これが才造を決断させた。


 忍は、意識をぎりぎりな状態のままを維持し、息を止めなかった。

 才造からすると、それがどんなに有難いことか。

 その目を閉じてくれるな、意識を保ってくれと、そうでなければ確実に終わりだ。

 必死であった。

 主は恐怖に呑まれたまま、どうすれば良いかわからなかった。

 ただ、才造にすがっていた。

 治療を終えた時、忍はその糸が切れたように意識を捨てた。

 それはまるで、ここまでくれば意識は無くとも死なまい、という判断であるように。

 主はそれでも恐ろしかった。

「死なぬか?大丈夫か!?」

「後は、この忍次第でございますれば。」


 忍が目を覚ました時、そこには主と才造の姿が傍にあった。

 忍は、『無』のままに身を起こそうともしなかった。

 命令には従った、という顔でもう何も目に宿さなかった。

「すまぬ。」

 主が忍にそう呟くように言うた。

 それを忍は目を細めて見つめる。

「恐ろしゅう思うた。お前が、目の前で殺されそうになった時、わからぬが、ならぬと思うた。」

「それが、如何いかがなさいましたか。」

 忍の冷めた声は、主を黙らせた。

「たかが忍。死したとて、貴方様に何の影響がありましょうか。才造という忍が傍にいながら、わたくしという忍は必要無かったはず。死したとて、何か問題はあるでしょうか。戦場でわたくしを野に放ったように。」

 忍は目を閉じた。

 もう、面倒だ。

 そう言いたげだった。

「忍だからとて、気に入らぬからとて、死してよい者などおらぬと、わかったのだ。」

 主の手が忍の手に触れた。

 その手は冷たかったが、力なぞ入っておらぬが、それでも良かった。

 忍が目を開け、それを冷めた目で見つめても。

「死ぬというのが、あんなにも恐ろしいものだと、知らなかった。」

 苦しげにそう言うた主に、忍は顔を背けた。

「それをわたくしに伝えて、意味なぞないと思いますが。」

「それでもい。生きておるだけで今は良い。それがしはお前を知ろうとしておらぬから、こうなったのだ。お前のことを教えて欲しい。それから、気に入らぬかどうかを決めたい。」

 嗚呼、これが人間の面倒臭いところなのだと、忍の溜め息は語る。

 勝手にそうほざいて、勝手にまたやっていればいい。

 前世の記憶を思い出してはならない、とふたをする。

 体が浮いた。

 持ってかれるのを抵抗もしなかった。

 ただ、理解が遅れた。

 抱き締められたことに気付けば、目を見開きこの体は動かなくなった。

「名は、夜影と言ったな?」

 答えようにも、声が出ない。

 なんだ、これは。

 ただ頭が真っ白になる。

「夜影?」

 心地がいいような気がした。

 蘭丸ランマル様、と名を心で呼んでしまった。

 その暖かな手がこの頭を撫ぜるのを、甘えてしまいそうになる。

 蓋をした過去が、どうしても思い出されて。

 どうしたら良いのかわからない。

「(蘭丸様……じゃ、ない…のに…。)」

 恋しくなるのだ。

 身体中が今ようやっと、痛く感じる。

 このままではきっと耐えられはしない。

 そう感じた夜影は、影となり主から逃れた。

 消えた夜影に驚いて、主は唖然あぜんとしたが、才造は気付いた。

 嗚呼、こういったことをされるのに慣れていないのは兎も角として、そうされることに弱いのだな、と。

 抱きしめ、撫でただけのことを無心でそのまま耐えることくらい造作もない。

 そのはずなのに、逃げたということは、だ。

 この手は使えるかもしれない。

 別に嫌で逃げたわけではなさそうだ。

「才造…夜影はやはり某を嫌うておろうか?」

「今のはそういう意味ではないようですが。」

「そうなのか?」

「あれは、慣れておらぬゆえ耐えられなかっただけにございましょう。」

「そうなのか?わかるのか?」

 わかるも何も、あれは見ればわかるほども反応を示していた。

 耳も尻尾も甘えていたではないか。

 目も驚きの後には、甘えてしまいそうにまでいってはいた。

 惜しいところで理性が逃げろと言ったのだろうし。

「あの忍ならば、地獄の中で育ったも同然。そういった経験は皆無でしょう。耐えられぬのはそのせいかと。」

「嫌がってはおらぬのだな?猫のようだと思うてやったのだが。」

「猫でしょうね。猫は気分屋ですから、いつまでもというわけでもございませんし。」

「ほう。なれば、続けておればその内懐くのだな?」

 主が手懐けるのも案外速そうだ。

 あの忍の弱点は普通ないであろうことだ。

 これは主に負けてはられん。

 先に懐かせてやりたい。

 そんなことをつゆ知らず、夜影は一人小部屋でもだえておるのだ。

 案外、『日ノ本一』も『伝説』も、この距離感には勝てないのである。

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