第54話嫌われはその次惚れへと

 おさとなったからとて、そうそう部下を動かすことはしない。

 命令をせぬ長になった忍に、首を捻ったはその部下。

 不快不満なぞ言うておる場合ではないのだ。

 何故、命令をしないのか。

 その忍に与えられた部屋は長の部屋であるが、忍は使おうとはしなかった。

 小部屋を覗いてみれば、紙へ筆を走らせ、大量の書類を処理する背が見えた。

 何度覗いて見ても、一向に変わる様子は無かった。

 主の方へと向かわないのだ。

「何故、此処に留まる。主の、」

「部下も主も納得しないような忍が、そうそう動いたって仕方がないとは思うけどねぇ。」

 振り返る様子も、筆を止める様子もないのだ。

 寝もせず、食事をとらず、ただ筆を働かせているというのだ。

 その言葉を部下も聞いていた。

 才造はそれを見やり想像も何もを上回られる。

 こうも動かない忍であったなぞ、知らぬ。

 そもそも忍が、それを理由として働かないのは、そういった状況を利用した面倒回避くらいかと思う。

 だが、この忍からするとどうやらわざわざ認められもされない己が動く必要は無いのだというのだ。

 主からしてみれば、信用なる部下に信頼なる者に、大概たいがいのことを任せたいものだろう。

 長と自動的になったこの忍へ、水を差し出そうとも飲まなかった。

 勿論、その水には毒薬が含まれている。

 それを忍が察したわけではない。

 他者の水を疑うわけでもない。

 それでも変わらず差し出してみるのも、さっさと去れという意志か。

「水くらい飲め。」

「相も変わらず差し出されると、飲んでもらわなきゃ困るみたいで。」

 そう言いつつも、『飲めば良いのだろう?』というように口にした……ように見せる。

 喉を動かし、音をたたせ、この喉を液体が通ったかのように演技をする。

 そういった偽りがけているのだから、誰しもが騙された。

 才造が、この忍が水を飲んでいないと気付いたのは、その量がまったく変わっていないのを見たからである。

 つまり、量の変化でしか偽りを察することは出来ない。

 此処でもう一つ、飲まずして量を減らされていたのであれば誰も気付かまい。

 そして忍は、そういったことをこんな場ですることによって、部下を騙すことが昔から変わらず容易であることを知る。

 本気を出せば、偽りをまことに出来るのも造作もなかろう。

 笑う。

 才造はそんな忍を見て、喰われたような目をするのだ。

 忍の里でもあったように、喰い尽くせば。

 きっとこの忍は、それをせまい。

 出来る武家では無いのだから。


 才造が次に覗いた時には、忍は机に伏せていた。

 ただ伏せていたわけではない。

 忍の背には刃が刺さり血を未だ流しながら、だ。

 近寄れど、意識はないように見える。

 ここで放っておこうかしばし考えたが、考えている内に必要は無くなったのであった。

 忍が起き上がったのだ。

 あろうことか、伸びをして、意識を失っていたのでなく寝ていたのだというように。

 己のその背に刺さっている其れにはまったく気付いていないのかもしれない。

 気にすることなく筆をとり、仕事を再開し始めたのだから。

 成程なるほど、動じること無し、といったところか。

 いや、これでは此方こちらがその刃の存在等が気になってしまう。

 忍の背に片手を添えて、刃を持ち、引き抜いた。

 するとやっとその忍が振り向いた。

『今、何かしたか?』とでもいうような間で。

「何故に放る。」

 そう刃を見せつけ言えば、忍は溜め息をついた。

小針こばりがちょっと刺さったくらいで。」

 大袈裟おおげさな、という目で。

 お前からしたらこれは小針なのか。

 そうか、それならば確かにいちいち反応はせまい。

「小針、か。」

「小針、でしょうが。なんなら、見てみるかい?」

 何を、とは言わないがきっとその忍装束に隠れた己の背に刻まれる傷跡の全てを、であろう。

 呆れたように笑む表情からも、そうなのであろうと確信は出来る。

「見る、と言えばお前は見せるのか。」

「まぁね。見たいなら脱ぐけど?どうせそうじゃないんでしょ。」

 ひらりひらりと手を振り、紙へと顔を向けた。

 そんな忍の忍装束を掴み引っ張った。

 それに驚くもなくしゅるりとわざとか紐を解いたのは、予想内であったのかもしれない。

 簡単に忍の肌を見ることは出来た。

 そして、多くの傷に、ではなくその体に目が釘付けになる。

 凝視する才造に、忍は不快を言うことも思うこともなく、気が済むのはまだかと待つ。

 そうして少ししてやっとモノを言ったは。

「お前……女…か?」

 簡単に脱ぐだとか、見せるだとか言うあたり、わからぬ性別を男と勘違いしていた。

 その反応に、忍は笑むのではなく眉をひそめて振り返る。

「何か、不満でも?」

 やはり男と思われたか、とわかってはいたが、それにしては妙だ。

 舐めるように見詰められては気持ち悪くもなる。

「ほう……。」

 そう、この反応。

 これが気持ち悪く感じる。

 何なのかは理解らないのだが、どうも不愉快な。

 以前にもこれには会ったことがある気がする。

 なんだったか。

 あぁ、そうだ。

 これは、あれか。

破廉恥はれんち。」

 その忍の言葉に我に返った才造は、目はそらさなかったが身を一歩引いた。

「なんだ。」

「なんだ、じゃないでしょうが。ったく、男だねぇ。」

「男だからな。」

「傷なんざ見ちゃいない。」

 着直すそれを引き止める。

 そういえば、傷を見ていないのだ。

「何。」

「見せろ。」

なこった。あんた傷にゃ興味ないでしょうよ。」

 しっしっ、と虫を払うがごとく払われる。

 見方を誤ったのか、いや、見方を誤ったとも言えん。

 改めて女として下から上へとその背を見やる。

 好みとしては、外見は合格と言えよう。


 早朝、小部屋を覗くと静かな寝息をたてて眠る忍の姿があった。

 どうやらやっと眠れたらしい。

 近付いても起きる様子はなく、その頬に触れれば小さく唸った。

 更にするすると頬を撫でれば、もう一つ唸って才造のその手に甘える猫のようにすり寄ってきた。

 不覚にも、それを可愛いなぞと。

 背に片腕を添え、もう片で机に伏せているのを己の腕の方へと倒す。

 そして片腕で支えてわかるこの忍の軽さに驚きながら、その支えていない方の腕を膝の裏へ通す。

 乱雑にも落ちる手は仕方あるまい。

 姫様抱き状態になるようそっと持ち上げる。

 起きないようだ。

 今度は床に丁寧に下ろして寝かせてやれば、これで眠るのにいい体勢だろうと満足出来た。

 布団等をしいてやればいいのだろうが、生憎あいにくこの小部屋には………。

 まぁ、己の膝くらいなら枕にはなるだろうがな。

 猫のような奴だと、思うた。

 怪しければ牢屋に入れるつもりだったが、いっそ今からでも閉じ込めてしまいたい気分だ。

 逃げてしまわぬように、誰も触れぬように。

 そう、今、眠っている内に。

 この忍がなかなか眠らなかったのは、警戒心からだろうか、それとも仕事ばかりに夢中になったのだろうか。

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