第53話己の死地へ戻れ

 忍は、忍の里を去りて己の居るべきを目指す。

 あれから何時なんとき経っただろうか。

 其れを覚えておる者は生きていようか?

 忍び込んだは、懐かしき。

 そこの忍を一人捕らえて口を塞ぐ。

 その耳にこう囁いた。

「ただいま。」

 驚く次にはじわりじわりと記憶が浮かぶ。

 その口を解放せば、言うのだ。

おさ…お待ちしておりました。」

 過去の部下である。

 今やこの一人が、長であったことを知る者なり。

「どうだい。今度の主は。」

「どう、と問われましても。」

武雷たけらいらしき主であるか否か。」

「少々、荒いかと。」

 忍は笑うた。

 声を控えて話した後は、さて、どうしたものか。

 夜を待てば。

 如何程いかほどか、とでも問うかのように気配を消して影は忍ぶ。

 途端、その目に捉われた。

 しっかと。

 次には刃が突き出されて、頬を斬った。

曲者くせものか!」

 それに何とも答えずに、ただ動かなかった。

「何処の者だ。言うてみよ。」

 警戒心を見せつけられては、関心するばかりであるのも、この月の下。

 首に刃先をつけて睨まれようが、答えは無く。

「この首を取りにきたか。」

「そうならもう既にそこには無い。」

 そう、そのつもりであったならばそこにあるのは首なしである。

 やっと返答をした忍に、血が少しばかり。

「何故逃げぬ。何故動かぬ。刺されれば死ぬぞ。」

「嗚呼、死ぬだろうね。」

「何故か、と問うておるのだ。」

「何故か、と問う前に刺せばいい。」

 あぁ言えばこう返す、というように即答する忍に、人は目を細めた。

 この好けない口はなんなのだ。

 何のつもりなのか、と思う。

「死にたいのか。」

「願望はない。」

「ならば、死にたくはないのだな?」

「願望は、無い。」

 同じ答えを、強調をつけて言う。

 生き死にの願望は今、一切ない。

 そうとばかりの。

「何の用で来たのだ。」

 それには口を閉じた。

 ただただ、笑んでいる。

「お前は客か。それとも何だ。」

 またも、返答はない。

「何故喋らぬ。都合が悪いか。」

 そう問うた時、忍は影となり去った。

 逃したことに気付けば、刃についた忍の血が僅かにあるが見える。

「夢ではあるまいな?」

 目をこすり、頬をつねれども、あの忍がさて本物かさえわかるまい。


 朝に参れば、見覚えのある忍が座っておるのだ。

治郎ジロウ殿!此奴こやつは治郎殿の忍であったのですか!?」

 その声に嬉しげに笑うは、この者の父上に当たる。

 忍はただ黙ってそこで姿勢を正したままに。

「俺の忍ではない。」

「では、」

「いや、待て。此奴はな、我が武家に伝わる代々仕える日ノ本一の戦忍だ。昨日の夜、戻ったのだ。」

 そう聞けば、いつからの長期任務に出ていたのだろうか?と首を捻る。

 己の知らぬ間に、知らぬ忍がいつに。

「話は知っておろう?して、この代だ。お前の忍となる。」

それがし…の、ですか?」

 信じられないという目は治郎から、今度は忍の方へと動く。


「何故、居るのだ。」

「護衛に。」

「要らぬ。」

 其処そこに立たれては、と思いて返す。

 どうもこの忍が嫌いだ。

 その笑みも、片目も、あやかしなる者らしい黒の獣の耳も。

 話に聞く忍であろうと、無かろうと。

 要らぬと言うた主となった者に従い、影へと身を消す。

 気配こそ初めから無かった。

 気味が悪いのだ。

 他の忍の方が良い。

才造サイゾウ、居るか?」

「は、」

「お前はあれをどう思う。」

「長、で御座いますか。」

「うむ。」

 それに一つ無言を置いて、息を吐き眉間にシワを寄せた。

「主が気に入らぬのは知っておりますれば。」

「うむ。嫌いだ。お前の方がよっぽど良い。」

 この会話は勿論、あの耳に届いている。

「嫌われちまったねぇ。」

 喉で笑いながら屋根の上。

 我が主となった其れの傍に居れぬことを嫉妬しっとしようにも、ねたもうにも、才造であるのだからまたその行為となればもう悪趣味である。

「あんたのくれた名、使っちゃ不快だったかえ?」

 誰の答えも求めず独り言を。

 戻り次第すぐに空けられた席へ通されて、お前は此処だろうという便利な道を、知らぬは不快に思うものだろう。

 部下となった新たな面も、認めたくはなかろうに。

 ただ一人の部下のみが、受け入れそうな。

「早くに帰ってきちまったもんだ。嗚呼、どうせならもう少しくらい、遅くて良かった。」

 青い空を見上げては、目を細める。

 眩しいような気がする。

 風が切れた頬を撫でれば、刃を向けられた夜を思い浮かべてしまう。

 あれは、あの目は確かに武雷のモノ。

 しかし、あの様子を見れば………。

「嗚呼、うん。帰って来なけりゃ良かったっぽい。」

「何の話だ。」

 才造という忍の声が横から聞こえた。

 其方そちらへ目を向ける気も無かった。

「何の話だったか。」

 答えようとも出来ず。

 そんなに嫌ならばあの時この首を刺してくれれば、また来世へと遅らせることは出来ただろう。

 何を、寂しがっているのだ。

「毒が入り込んだかな。」

 そう思うてしまうのも仕方なかろう。

 地獄を知れども、地獄と見れず。

 人と会えども、人と見なさず。

 いっそ、いっそのこと、伝説を繰り返しても良かったのではないか。

「お前は、あの話の忍か?」

 その問いを耳に、ふと其方を見やる。

 疑うのも仕方なかろう。

 そういうものだろうから。

「偽りかどうかを判断するのは、あんたじゃない。」

「偽りであるならば、直ぐにでも殺すべきだ。」

「なら、殺せばいい。」

 殺せば、いい。

 そうだ、殺せばいいのだ。

 何を申しているのだ。

 いちいち確認なんぞしておれば、何が危うかろうか考えたことはあるか?

 目をそらせば、この首に冷たい物が触れる。

 刃だろう。

「様子見はする。異常があればろうにぶち込んでやる。」

是非ぜひ、そうして欲しいね。」

 狐の様に笑ってやる。

 それが、凶にならぬがいいが。

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