第42話猫の名と

 武器の手入れをしていた。

 そこへ、黒猫が歩いてきた。

 いつの間にか、猫は主ばかりでなくなっていた。

 猫は己の小さな刀をくわえて、忍の肩に乗った。

 忍は動じることなく手入れを続ける。

 手入れを終えてそれを置いた時、上から小さな刀が落ちてきた。

 それは丁度この片手に乗り、忍は察する。

「ワシで良いのか?」

 そう問えば猫は短く、にゃ、と答えた。

 応、と言ったのだろう。

 忍は紙を咥え直して静かにその猫の刀の手入れを行った。

 その間、ずっと肩の上に器用に乗ったまま、その作業を見下ろされていた。

 済めば刀を猫の口近くまで上げてやる。

 そうすれば確かに受け取った。

 賢い猫だ。

 この忍ならば、手入れをやってくれるだろう、とわかっている。


 猫は、名を呼ばれない。

 主はただ、猫殿、猫殿、と繰り返す。

 その他は、主の猫だ、としか。

 夜のように黒く、ふとした時には不気味な赤い目を光らせて影を纏う黒猫は、きっと伝説の忍の生まれ変わりだ、と思ってしまう。

 でなければ、あやかしの類なる他ありえるか?

 戦で活躍する、戦猫なぞ聞いたことも見たこともない。

 猫、と呼ぶにも違和感さえあるほどに。

 それを、忍はこう名付けた。

夜影ヨカゲ。」

 と。

 初めの内は、猫にさえ呼んでいなかった。

 しかしつい、猫がまた忍一人の作業に現れた時、そう呼んでしまったのだ。

 猫は敏感に耳を動かせて、振り向いた。

 まさか、己が呼ばれたのだ、とわかるまい。

 いや、まさか。

 にゃぁ、と鳴いてその目を細めた。

 まるで、確認するようだ。

「いや、なんでもない。」

 言い訳めいた事を猫に対して呟く。

 しかし、やはり猫は理解しているかのような反応を寄越すのだ。

 にゃぁ?と首を傾け、忍の膝に前足を置いた。

「……夜影、と言ったんだ。」

 にゃぁん……にゃぁ、とまるで何かを喋るように返答をする。

 それがわかれば良いのだが、わかりとうてもわからぬままに。

 それでも猫の尻尾は、天を突く。

 己を名で呼んでくれた、というのが理解出来ていたとするならば、これは、機嫌が良いのか?

 ふみふみ、と前足が忍の膝を踏む。

 にゃぁん、とまた鳴いた。

 嗚呼ああ、やはりそうらしい。

「夜影。」

 もう一度、呼べば今度は満足そうな音を喉で鳴らす。

 それからというもの、主らに隠れてそう呼ぶようになった。

 すると、忍の手からでも餌を食べるようになった。

 それだけでなく、忍の鍛練にも顔を出し、任務にも同行することも。


 猫は、忍になった。

 いや、忍のように忍術を多少扱うようになった、という意味で。

 影分身を覚えたのがまず最初。

「猫忍、か?」

 部類的に、猫か、忍か、いや猫忍か?

 そんなくだらないことを考え始めた己に気付いて、疲れが回ったのかもしれない、と少々落ち込んだ。

 忍隊のそれぞれからも、猫と喋る忍の姿を目撃されて疲労でも溜まったか、などと問われたり。

「夜影、癒せ…。」

 思ってしまうと、疲労が重くのし掛かってきた。

 忍小屋の自室で横たわり、何故かそこで落ち着く猫にそう呟いた。

 猫は忍のその頭に乗っかると、喉を鳴らすのだ。

「乗るな…。」

 にゃぁん、という返答ばかり。

 こんな光景に癒されているのは、それを見ているくの一らの方だった。

 無愛想な忍に、可愛い黒猫が絡んでいるのだ。

 猫にあぁだこうだと言うこの忍にも、無愛想な癖に可愛い一面もあるのだな、くらいに思われてしまっているのを忍も猫も知らない。

「そこで喉を鳴らすな…降りろ…。」

 にゃぁ、と答えつつ何かしら少し動いたか、と思えば崩れた態勢になってくつろいだだけだった。

 見ている方は面白いものだ。

「おい…そこでくつろぐな…。」

 いちいちそう突っ込みを入れる忍も忍である。

 こうして、地味に忍隊の中で人気になっていくのだった。


「可愛いですよね。」

 くの一がそう忍に、猫を指差し言う。

 それに対し、しかめっ面のまま首を傾げた。

 そんな忍の肩に器用に乗っている猫は、くの一を見下ろして睨んでいる。

 そんないつも一緒にいるように見えるが、主の前ではお互いに、その距離を失う。

 名を付け呼んでいるなど許されたことではない。

 猫もそれをわかっているかのようなよそよそしさを身に付けて、主の傍に座る。

 喉を鳴らすこともなく、そこでくつろぎもしない。

 忍と共に主の死角にいるならば、毛繕いだってする、忍の傍で眠ることもある。

 どれもこれも、主にさえしない見せない行動だというのに、もし、知られたら面倒だ。

 猫からすれば、忍と同じ理由を持っての行動かもしれない。

 主にそんな弱味や隙を見せてはいけない、変化を知られてはいけない、と隠し誰にも見えぬ場所でそれを解消しようという行動。

 しかし、誰にも、というのは案外、情を持ったのならば辛いことで、誰か、一人でいい。

 その弱味や隙を知っていて欲しい、ということもあるもので。

 忍には一切なかったが、猫がそうならば忍もついでだ。

 お互いに、晒しくつろぐのだ。

 それがもう忍隊中に広まっているのだから、さて、知られた頃には何を言い訳にしようか。


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