第34話百忍斬りの噂在り

おさ今宵こよいもまた?」

「さぁて、どうかな。今、殺したって我が軍に得は無し、ってね。」

「そうですか。」

「百人殺すより、百忍ひゃくにん殺す方が骨が折れる。」

「長は子忍から、とうわさがあるようですが」

「フフッ、どうだかねぇ?」


 その山奥には、忍の里があるそうな。

 今や名も失せ、姿は崩れた廃屋はいおくがちらほらと。

 草木に紛れて見えぬそれは、少しの時を戻れば腕のい忍を巣立てる場であった。

 その中に、幼い影が拾われて紛れ込んでしまった。

 その影の片目は赤に、もう片目は黒に。

 誰もがあやかしたぐいなる者と思うた。

 その目は射貫いぬく。

 目前の命に、躊躇ちゅうちょを見せず身を踊らせて、まずの一人をその手であやめた。

 血塗れは、赤の目に相まる。

 男は言うた。

「殺せ。」

 影のお子は冷たき無を持ってして、次々にそれを殺める。

 ある者は、首を失う。

 またある者は、面影おもかげさえ失う。

 くの一となるはずだったそれは、片腕を失う。

 忍となるにもう少し、が殺められ気に入りのまなこと見られればそれを喰われた。

 影は、忍となった。

 地獄を地獄と見ず、人を人と見ず、己を何と見たか。

 その時、きっと百はいたそれらがただの血に染まった肉の塊と化し、その上で立ち男を満足させた。

「百を斬るか。」

 それが忍であっても、人間であっても、忍にはあまり感ずることはないだろう。

 それからしばらく経って、その山奥にある気配は失せた。

 誰も知らぬ間に、随分ずいぶんと静かになったものだ。

 れを一目見ようか。

 そこに踏み入れば、死屍累々ししるいるい

 そこは里に在らず、無と化した。

 その中、血濡れた影がゆらりと在り、その赤を不気味に光らせた。

 のち、その影は伝説の忍となる。

 百の忍を斬り、次に、百の人を斬る。

 それをも超えれば、百でなく、千、万の兵を、忍を殺めた。


「長ならば、噂や伝えに留まらず、事実となりえましょう。」

 忍は大層、面白がって笑う。

 無を今置いて、狐のように。

「(百人斬ひゃくにんぎりも百忍斬ひゃくにんぎりも、大差ないさ。ただそれを斬り殺せば良い。この乱戦の世で、珍しいことじゃないじゃないの。)」

 影をまとう忍は、遠くを見つめる。

 この先、奥州おうしゅうの若武将が騎馬きば足軽あしがるを率いて現れるだろう。

「噂を、見せようか?」

「長、もしや…。」

「大将の首は取りゃしないさ。あれは我が主の獲物だからねぇ。さて、忍の時間だ。散れ!」

「はっ!」

 この薄暗くなりつつある景色に、火を灯したそれは忍衆の奇襲を知らぬ。

 この数秒の後に端から消えゆく命と、悲鳴の連鎖、そして肉の塊と血と化すのを見やるも叶わず。


 嗚呼、其処そこに影が見える。

 死を告げる赤が、揺らいでいる。

 腹を貫かれたか、首が飛んだか、足が消滅したか、腕がもがれたか。

 目を喰われたか、意識を奪われたか、面影を散らされたか。

 痛みは一瞬に、いな最早もはや感ずる暇もなく影に呑まれる。

 血が戦場となる前の地を染め始める。

 騎馬は馬を置いて人が死ぬ。

 噂に在らず、その笑みは心底楽しげに。

「いざ、忍び参る。」

 そんな声さえ一人目で聞こえ。

 影は忍であった。

 目は赤に、黒に、時に蒼に。

 百人の命を喰らった。

 百人の血に濡れた。

 その手の刃に乗った血を払い、任務を終えれば。

 影は影として、姿を眩ませた。


「忍殿、怪我か?」

「いいえ、返り血にございますれば。」

「何かいことがあったのだな!影が騒いでおる!」

「ええ、確かに。あんた様にはいつか、お聞かせ致しましょうかね。」

「うむ!ならば楽しみにしておくぞ!」

「主、さぁ、お眠り下さいよ。まだ、夜は明けておりませんからね。」

「程々にするのだぞ?」

 忍は乾いた声で笑う。

 静かなる夜に現れた、また静かなる敵襲を殺めんとす。

 その手に在る刃も、再び血を吸うだろう。

 赤が蒼に変わる時、頭蓋ずがいは音を立てて笑い、死へと手招く。

 嗚呼、今夜は三日月か。

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