第26話邪心殺し忍が如く

 黙々と支度を整える二人。

 片方は忍。

 もう片方はその主。

「忍殿、」

様、朝食も御用意出来て御座います。お早くお召し上がり下さいネ。」

 とげのある声でそういうと、脱いだ衣類を取り去っていった。

 しかめっ面で、さらに昔のように黒い布で顔隠し。

 外に出て、洗い物をと髪をしばる。

 濡れても構わないように少し脱いでから、水を入れ洗い始めた。

 本当なら、洗い物なんてしない。

 いつもするのは、主を起こし、支度を手伝い、朝食を作り与えて片付ける。

 それが朝の一連。

 しかし、いらつきを誤魔化そうと洗濯までも手を伸ばす。

 悪いのは己だ、というのは持っているものの…。

「いいじゃん!ちゃんとお仕事してんだからさ!」

 そんな苛立ちを声に出しつつも、手は丁寧に。

「ちょっとくらい、さ…。」

 次に出る声は弱々しく、しかし手は変わらず。

 そんな上司を見下ろして部下は木の上で顔を見合わせた。

 ねてしまった上司をどうしたものか。

 今の今まで見たことのない風景であるのだ。

「好き嫌いはするもんじゃないな。」

 深く息を吐いてからその手を止めた。

 その目はもう何の感情もなく、しかめっ面も消え失せた。

 それは久々に見る『無』であった。

「面倒臭い。」

 そう呟けば洗い物を干し始める。

 どうやら何か感情を抱えるのが面倒になったようだ。

 怒りも好きも、恋しいも。

 それを続けるには、少々足りなさすぎる。

「『忍の皮を被り、影をまとうモノ。それがお前だ。お前は忍である前に、』。最後まで言ってくんなきゃわかんないよ、先生。」

 抑えた声で、喉で笑う。

 そこに現れる笑みは狂気を孕み、その瞳孔どうこうを開いた。

 わからない、と言っておきながらその顔は全てを察しているかのように何処へにも向けられていなかった。

 突然、何を思い出したかそう呟いたのにも、何の繋がりもなしにそれを見せたのにも、部下はただ不思議がり、否、不気味がった。

「忍殿、『先生』とは誰だ?」

 その声に振り返らず、顔を伏せる。

「さぁて、誰なんでしょうねぇ?きっと、もうこの世にゃいないんじゃないですか?」

 それは面白がるような響きだ。

 恋の次には不気味な何かが現れる。

 主が首を傾げてその手を忍へ伸ばしたなら、振り返った忍の顔に手をはたと止めるだけ。

 その顔に浮かぶ黒の模様も、その忍の纏う影も、その目も、笑みも、全てが主の心に初めて恐怖を落とした。

「あんた様は、知らない方がいいことかもしれませんね。」

 その赤い目を今度は閉じる。

 その次はなく、忍の姿は影となって消え失せた。


「来たか。」

 何も喋らぬ鳥は黒く、赤い両目でそのくちばしに抱えたふみを差し出す。

 それを受け取れば、返事なぞ待たずして飛び去った。

「諦めの悪さは同じか。」

 その血で書かれた文に目を落とせば、脳内にはただその姿が浮かぶ。

 近況についての情報を書かず代わりに、ただ想いを書き連ねるわけでもない、短し文字の川。

 毎届く、文は全て血の墨を使う辺りが己の惚れた者らしいこと。

 こちらも血で応えなければ、その手はこれを受け取らまい。

 最初はこう、申したな。

『受けとんないよ。我が主宛じゃないなら。仕方ないでしょ。忍は綺麗なもんは持って帰れないんだから。血濡れたもんばかりが残るのがこちとらなんだよ。』

 その手は蝶のように振られた。

 悲しげでもなく、その『無』は何も持たなかった。

 それでもその赤い片目にも、黒い片目にも、惚れたのだ。

 その黒髪に、その鋭さに、全てに。

 忍である前に、影である。

 影である前に、お前は何であろう?

 前に呟いた言の葉は、お前の言の葉ではあるまい。

 お前が知りたい。

 ただそう想えど、忍同士であるがゆえ

 我が主を殺すなら、お前を殺す。

 お前の主を殺すなら、お前が己を殺すように。

 感情を持った忍なぞ、あわれなだけだ。

 知っておきながら、最期さいごくらいお前に看取みとられたい。

 この指笛が鳥を呼ぶ。

「頼む、これをあの忍へと。」

 届け、受け取れ、その先は無いだろう。

 それでも、その目に、その手に触れるだけでいい。


「主は…いない、っと。」

 肩に乗った茶の鳥は、その文を差し出してくる。

 それに躊躇ちゅうちょを覚えつつ受け取れば、鳥は首を傾げて返事を待とうとする。

「いいよ、お疲れさん。返事は、また、遠くなるだろうから。」

 鳥の頬を撫でれ、そう伝えれば飛び去りつ。

 この目が触れたは己より長き赤の川。

 目を細めては、溜め息を残すだけ。

 会いたい、は同じでも。

 会えない、が違えども。

 たった少しの血の痕が、心を癒し満たしてく。

 相手に聞こえぬ「ごめんね。」を、呟けばただそれを影に。

 泣きたいのを、堪えれば。

「あんたを殺しに行くよ。看取るから、今、逢いに行くから。最期の、戦、今から行くよ。」

 震えた声が、誰に届くかも知れないで。

 振り返れば部下を呼び、その手は合図を見せつける。

「出陣準備!」

 この声は、誰に違和感を知らせるか。

 いな、きっと、誰も知れずじまい。

 我が主が狙うは三水サンズイ

 その忍の首が残るか否か。

 残してなるものか。

 我が主のままに、己は主の影である。

 それを殺せば、殺せば、殺せ、殺せ!

「主!出陣準備、整ったよ!」

 報告を叫べばこの口角は上がったり。

 主がただ、妙な顔を浮かべる。

「お前は…それでいのか?」

「何をまた、ご冗談を。この忍が、何をしむって?何を残すって?我が主、あんた様さえ居ればそれでいい。」

 歯を見せて笑えばその顔はしかめっ面になる。

 それでも武器を強く握った。

「そう、それでいい。あんた様は何も気にするこたない。あんた様が見るべきは前。違うかい?」

「お前は殺せるのか?」

「…殺せと命令されりゃぁ、殺すさ。誰であろうが、ね。それが忍じゃないの。さぁ、ご命令を。」

 片膝ついて、そう頭を垂れれば何も心に入り込むものはなかった。

 忍は、忍がごとく。

 人は、人が如く、あればいい。

「出陣!」

御意ぎょい!」


 喧嘩なぞ、最早もはやどこにもなく。

 忍の全てである、我が主のお為とあらば。

 邪心じゃしんとされる恋心、それは『無』に消される。

「あの世で逢いましょーや?」

 自虐的な笑みで影は、先陣を斬った。

 誰も、主を殺させない。

 ただ、それだけの思いで。


「やはり、その知らせはせんか。殺しに来い。わしはお前を殺す。それが忍というものだからな。」

 血の道を作り、しかばねに立つ影を見た。

 きっと、あれは、己が惚れた者ではなくなった。

 叶わぬ夢を、互いに持ってしまった。

「我が主を殺させん。だが、叶うなら…儂はお前を殺したくはない。」

 影が言う。

「なら、殺されてよ。あんたの主は我が主の獲物。我が主の害となる者はこちとらが排除する。それが、」

「忍の務め。」

 主や人が知らぬ間で、一時の赤の時間がやってくる。

 それをこう例えれば…

「「忍の時間だ。」」

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