第21話何を見やれと

輪丸リンマル。」

 声を控えてその腕を掴む。

 これ以上は間違いだ、と言いたげなこの忍は顔をしかめていた。

 この時、名を夜上ヤガミという。

「だが、」

「学べ。あんた、馬鹿なの?」

 夜上のそれはとげがあり、輪丸という同僚に刺さる。

 その目は『見逃したくない』というなんとも人間らしい慈悲じひだろう。

 それを、『間違いだ』と言うのは、忍であるからだろう。

「このままだと、」

「見りゃわかる。あの親子はもうじき殺される。だから何?」

 夜上の冷たさの中には、己を正当化させる言い訳が存在した。

 『忍なのだから』。

 たった一言、それだけ。

 それが、夜上の手綱たづなである。

 正義感の強い輪丸の腕を引っ張り、『行くべきでない』、という。

「なんで夜上は!」

「任務の内容にない。何故?必要ないから。だからといって助けない理由にはならない?いな。輪丸、忍が手を出していいのは、これじゃないでしょ。」

 夜上の早口で述べられる説明は、輪丸を黙らせた。

 あの日から、あの火柱を見た日から、夜上はこの戸隠とがくれで感情を『忍』という立場であることを利用して、圧し殺したのだ。

 それが、『忍である』、とばかりに。

 いっそ、それは間違いではなかった。

 先生、と呼ばれる二人を含めた忍を育てる者はそれを笑む。

 夜上が、思った以上に『人間らしさ』を望ましい速度で欠いていき、それと引き換えに、『忍として』のあれやこれやを受け入れ身につけ、こなしていくことを。

 この戸隠には、複数の忍となる者が住んでいた。

 そのどれもが、未だに足を引きずるように人間らしいことをする。

 受け入れきれず。

 先生は、夜上を特別扱いをしていた。

 吸収が速いのを良いことに、次々と。


 ある晩のこと、声を殺し泣く忍がいた。

 輪丸は、それに気付いて驚いていた。

 まさか、あの夜上が泣くなんて。

 何の涙か、わからずに。

「夜上?どうした?」

「…わから、ない……。」

「わからない?」

 夜上は言う。

 『何故、己が泣いているのか、わからなくなったんだ』と。

 徐々に失われていく感情の、たった一つ。

「なんで…泣いてん、だろう、ね?」

 今度は笑った。

 泣きながら、自虐的な笑みを浮かべた。

 それを最後に、夜上は、泣くことさえ失った。


 今、忍は言う。

「泣き方なんて、もう、忘れたよ。なんで泣くのかも、わからないんだ。」

 狐のように、喉で笑いながら。

 嗚呼、それは突然忍を襲った。

 今まで繰り返し輪丸が唱えた言葉。

「忍は道具ではない。」

 それが呪いのようであったと感じたのは、何故なのか。

 輪丸は先生にどうやら偽りを吹き込まれたらしい。

 輪丸の目はそれをそのままに語った。

 人となることを望んだ、それは、『呪い』だ。

 夜上に依存した輪丸は、『呪い』だった。


 あの日の火柱がこの戸隠を赤く染めた。

 仲間が血塗れになって横たわり、まさに感情を引きずり出される光景であった。

 夜上はただ、『嘘だ』、という言葉のみが口からこぼれ落としていた。

 息がある仲間をかかえてみれば、その口はこう語る

「あれは輪丸じゃない。」

 その息を止めたのは、輪丸であったのだ。

 絶望を知り、何処か無意識に抱いていた『夢』、『希望』、『幸せ』というものは、完全に夜上から失せた。

 『憎しみ』、という感情さえ、『恐怖』、という感情さえ鈍りきっていた。

 夜上は走った。

 いな、逃げた。

 この時から、夜上の体に、記憶に、逃げることが焼き付けられたのは後々のちのちおおきな傷痕となって現れる。

 いつもならこうはならないであろう、崖に追い詰められ、足場を崩して落ちかけた。

 その夜上の表情は、『意味がわからない』といったことばかりで。

 その手を掴んだ輪丸と、目が合う。

 先生は言う。

「後はそれだけだ。」

 一を聞いて十を知る。


 夜上は目の前で輪丸をも失い、そして、先生とやらを殺し捨てたのだった。

 この時、『夜上』という名を、残った感情を、戸隠を捨てて、全てを捨て、忍は優秀な忍となった。

 多くの忍の里を潰して回った。

 気が付けば、忍には『伝説』という肩書きが置かれることとなる。


「夢を見るな。現実を見ろ。忍に未来はない。」

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