第19話戦場の中心で

 我を叫んで走る主の影となった忍は笑みを捨てない。

「うおおお!!」

 大きな声とともにその刃は敵軍の足軽あしがるを刺す。

 忍はそれを見つめた。

 ここが、勝負どころだ。

 人間を殺したことのない人間が、陥りやすいその闇を、さてどう乗り切ってくれるか。

 乗り切れない者は、そこで終わりである。

 動きが鈍ったのがわかる。

 忍の仕事は、ここで主に傷を持たせないこと。

 敵を蹴散らし、さぁ立ち上がれと待つのだ。

「(駄目かねぇ…?)」

 中々その身を動かそうとしない主に、忍はその笑みを控えて主へ数歩寄った。

 無理矢理にでも、立たせるしかないのだ。

「お覚悟は、あったんでしょう?何を迷うの。あんた様は、戦をなんだと思って源次郎ゲンジロウ様のことを追ったの?」

 忍の声が、悲鳴よりも先に耳に届く。

 強く手に力が入るのが見てわかる。

 忍は溜め息をついた。

 こうなればもう、大概の人は終わりだ。

撤退てったい、してもいいんですよ?」

「ならぬ…。」

「(おや?)なら、何故立ち止まっておられるのです?」

「すまぬ、もう、よい。」

 その顔付きが変わった。

 忍の顔色が悪くなったのは、それからだった。

 赤い鬼が、戦場を駆けた。

 その刃で、多くを喰らった。

 誰の声も入らずに。

「(戦どころじゃないっ!)死にたかなけりゃ撤退しな!下がれ!」

 足軽が悲鳴を上げ、騎馬きばは混乱のひづめである。

 忍の指示に従って、早めに引きを見せたが、敵軍はすでに真っ青な状況へと落ちていた。

「(負け戦じゃないだけマシ?)」

 忍の足が鬼へ届くには届くが、この声を聞き入れてはくれない。

 我が軍は、傷は浅く済み、しかし恐怖に震えている辺り、もう動かせそうになかった。

 忍の指示が遅ければ、味方もろとも食われていただろう。

 忍が鬼の前へ立ち塞がる。

「喰らい過ぎだ!もう、」

 血が、地面へ落ちていった。

 その刃が貫くは忍の腹。

 忍は血を吐くと、刃をその片手で掴んだ。

「あんた、帰れなくなるよ。」

 その低い声が、影が、赤い目が。

 まるで、『此方こちらに来てはならぬ』、とでも言うかのように鋭い見えぬ刃で空気をてつかせる。

 心の臓のその音も、呼吸でさえも聞こえはしない、闇夜のように。

 我にかえれば忍は笑顔を浮かべて、その腹に刺さったままの刃を抱えたままに主を殴った。

 その重いような、でも見た目は軽い打撃は主の後頭部へ。

 鬼を忘れた主はそのまま、前へ、忍の方へ倒れ込んだ。

「おはようさん。んじゃ、帰りましょっか!」

 主を支えてそういうと、刃を引き抜いた。

 ただ、これが主の記憶の傷にならないことを願いつつ。

「(恐怖が、快感に変わりゃ、悪鬼あっきもいいとこだっての。ちっと、考えてやんなきゃ次の戦がおっかない、おっかない。)」

 忍の指示により、この戦は幕を閉じる。

 狐のように笑った忍に担がれる主は、その目を閉じたまま意識を放っていた。

 青空を、影鷹かげたかが飛ぶ。

 風が、血の香りを運ぶ。

 この風景を、誰が好むか。

「あんた様は、『此方こっち』に来ちゃいけないのさ。忍は忍だ。武士様はただ、前を見てりゃいいっての。」

 部下が首を傾げるのにも目を細めて覆面をした。

 下がれ、というその手の合図に頷いて従う後には、もう、死体しか残っていない。

 戦場に、泣き言があったのを知ることはないのであった。

 あくまでも、初陣ういじんの為に忍が用意した戦である。

 役者は死ぬのが当たり前と言わんばかりの。

 不気味な赤目が、それらを冷ややかに見下ろすと、嘲笑するかのようにその口は笑んだ。

 人を人として見る、敵をも人として見る。

 それが、この忍には出来ないことであったのだ。

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