第18話初陣

 初陣ういじんに赤の旗、青空広がり風が吹く。

 蘭丸ランマルいな成政ナリマサはそのよろいを身に、そのかぶとを頭に、戦の音を聞いていた。

 しんぞうが、耳元まで這い上がり、いつもより激しく大きな鼓動を立てる。

 睨むように前を見つめる。

 そこには、いつもの忍の姿はなかった。

 落ち着け、と唱えようが収まらない。

「忍殿…。」

 まるで弱音のような呼び声だ。

 これが聞こえるのであれば、いかに耳が良いか、それともいかに近くに潜んでいるのか。

 嗚呼、それを裏切らない忍もまた忍である。

「初陣、おめでとさん。緊張してるようだけど。」

 忍の声で、忍らしくない言葉が後ろから聞こえた。

 振り向けども、そこには誰もおらぬのだ。

 笑い声が聞こえる。

「忍殿か?」

「他に誰が居るっての?」

 我が影から我が忍が顔を出す。

 そればかりにあらず、いつもの忍装束と違い、それは色を変えて形をも変えていた。

「何故お前がおるのだ。」

「そりゃ、お呼ばれされたから、」

「そうではない。忍は、」

「残念!こちとら、忍は忍でも、戦忍いくさしのびなんだよね。つまりは此方こっちが本命のお仕事ってやつ?」

 軽い口調は、あの丁寧さも敬語さえも失っていた。

 あのしかめっ面も、無表情も、面影おもかげすら見せないその笑みは、なんだというのか。

「申した通り、あんた様が今見ているこちとらが、中身ってわけなんですよ。如何いかがです?二度と見ないか、いなか。」

「うむ!俺は此方こっちのお前の方が好きだ!それでい!」

「ありゃ、気に入られちまったらしょうがないじゃないの。此方のが楽なんで、そうさせて貰いますよ、っと。」

 忍刀を逆手に持ち、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 その赤はもう、閉じてはいない。

 久しぶりに見た赤い片目を主は目を細めて見つめた。

「どうやら優勢ゆうせいじゃないの。(って、さっきそう整えて来たんだけど…。)楽勝、かねぇ?」

「う、うむ。」

「あ~らら、おっかなくなっちまったのかい?」

 忍がそう心配したように問い掛ける。

 忍は心得ている。

 幾度いくどとなく主の初陣を見てきたのだ。

 そして、それを支えてきた。

 源次郎ゲンジロウの初陣も例外ではない。

 我が主の心境はみなどれも同じ。

「お前は、どうなのだ。」

「どうもこうもないさ。大丈夫。落ち着いていきな。」

 主の肩に手を置いて、同じ方向を見やる。

 呼吸を、主に合わせる。

「あんた様の背中はこちとらが守る。あんた様はただ、前を見てりゃいい。」

 忍の低めの落ち着いた声が、主を頷かせ、徐々に落ち着かせていった。

 忍は再び笑む。

「あんた様は、強いさ。」

 忍はそういうと、主よりも数歩前へ出た。

騎馬きば隊、出陣しゅつじんせよ!」

 その貫き通る声は、本来指示を出すはずのない忍の口から飛んでいく。

 大きな声がそれに応える。

 戦は始まった。

 忍の声、たった一つで。

 忍は振り返り、主を見つめ返す。

「さぁ、いざ。」

 片膝をついて、頭を下げる。

 嗚呼、主は初めて目にする。

 この忍の服従の証を。

 騎馬に続いて、足軽あしがるが出陣を今。

 軍師の戦法なぞここにない。

 この戦は、源次郎の命令によって忍が用意した大きな舞台だった。

 敵軍、それも此方こちら劣勢れっせいにならないであろう丁度良さげな武将にわざと矛先を向けさせ、事前にこの日に戦をさせる為だけにあれやこれやと仕掛けてきたのだ。

 手の込んだことを、隠れてやっていたのである。

 忍の優秀さが、戦を起こさせた。

 そして、初陣の舞台だと言うのだ。

「名乗りを上げ、出陣を。あんた様の影はこちとらだ。油断だけは、しないよう、息を吸って前へ。」

 忍が、場だけでなく主をも整える。

「我こそは!、」

 その背を見るため、守るため、忍は狂気を浮かばせ影に立つ。

「いざ!押して参る!」

「いざ、忍び参る。」

 二人の声は、戦場を走った。

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