第16話いきたい

 忍は何杯目かもわからぬそれをいとも容易く食い干す。

 そして、己へ向けられる視線に首を傾げてみせた。

「何か、お気にかかることでも?」

「いや…お前、よく食うな。」

「あー……よく言われますね。」

 新たに差し出されるそれも、また、遠慮なく食い干した。

 細い見た目は見せ掛けなのか。

「何処に収まってんだ?」

「腹ン中ですけど?」

 忍と一人の武将は向かい合った状態でそう会話する。

 別に、大した関係ではない。

 だが、だからといってかどちらにせよ許される風景でもない。

「まぁ、そんだけ美味そうに食ってくれりゃ作ってる方も嬉しいもんだ。」

「へぇ、なんなら、食い尽くしてやってもいいんですけどねぇ?」

「で、情報提供はしてくれるよな?」

「言っとくけど、これ、源次郎ゲンジロウ様の同盟だし、こちとら関係ないんですからね。」

蘭丸ランマル、だったか?同じ軍で言うか?源次郎のつかいだろうが。」

「やぁ、ほんっと、これで引っかかるお馬鹿さんじゃなくて助かるわ。けど、こちとらの素顔明かすのだけは勘弁ね。」

 悪戯な笑みを作る忍は、箸を置く。

 腹いっぱい、というわけではないが、このままだと本当に食い尽くしそうだからだ。

 この忍と武将は、源次郎との同盟のせいで顔を合わせている。

 忍は遣いとして。

 それだというのに、こうして振る舞われる馳走ちそうは、なんなのか。

「お前のことだ。同盟さえなけりゃ俺を殺しにくるのだろう?」

「あっはは、それはそうしたいけど、残念ながら、あんた様は源次郎様の獲物ですからね。手は出せやしないんですよ。」

 狐のように笑う忍の、赤い片目は揺らいだ。

 見れば見るほどに不気味である。

「けど、忍相手にこの歓迎は悪趣味じゃないの?」

 食っておいて、食器だのを指さし頬杖をついた。

 それを武将は笑う。

「あんだけ食って、今更言うのか?」

「そりゃぁ、腹減ってたんでね。」

「いいことじゃねぇか!そんだけ食うってことは、生きたいってことだ!」

 それには、忍は一瞬驚いたような目をした。

 そして、間を開けると目を細めて自虐的な笑みを浮かべる。

「どうだか。」


おさ?」

「報告かい?」

「いえ、そうではなく…。」

 目を部下へ向ける。

 部下のその目は不思議がっていた。

 箸を置いて、既に水を片手にふみを持っていた忍は、食うことを終えているようだった。

 いつもは、何重にも重なる食器がそこにあるはずである。

 しかし、そこにはたった一つだけぽつんと置かれていた。

「食べないのですか?」

「あぁ…食べたくなくなった。」

「お体が悪いので?」

「いや、ちっと、食欲ないだけ。」

 忍の妙な変化を感じ取った部下らは、首を傾げていた。

 生きたい、ではないのだ。

 生きたいんだと聞けば、途端に食べる気が失せてしまったのだ。

 空腹感を、感じていたくなった。

「(吐きそう。)」

「長、お顔色が…。」

 口を抑えて、顔をしかめた。

 その言葉を思い出せば、余計に。

 水を手から滑り落とし、身を伏せる。

「長!?」

 落としたことによっていたてのひらを部下に向けて、「いい。」と止める。

 深呼吸、数秒。

 体を起こして、更に立ち上がった。

「長、休まれては、」

「(本当に、人間様って…。)任務に行く。」

「…は…。」

 部下が忍のその言葉に気付く。

 任務と称した里潰しをおこなうのか、それとも何処かの軍の忍隊を潰しに行くのか。

 そういったところだろう、と。

 忍は振り返る。

「蘭丸様に、一応任務に行ったって伝えといて。多分、もう数刻すればこちとらを呼び始めるから。」

「はっ。」

 軽く手を振って、そのまま影へと沈んで行った。

 沈黙の後に、部下の中から溜め息がこぼれ落ちたのだった。


 満月だった。

 それを背景に、一つの影がそこに在った。

 ただ、静かに、ゆるりと赤が見開かれる。

「報告!謎の影に赤在り、と!」

 これが、最初の言葉である。

 報告を聞けば、あの忍であるとしか思わない。

ぬえ、か。」

 庭でそう呟いたは武将であった。

 鵺と表されたは、影を落として赤い目を瞬いた。

 屋根裏へと忍び込んで、真っ直ぐと目的の武将の方へ進んだ。

「おう。居るんだろ。」

夜分やぶん遅く、申し訳ないね。」

「源次郎の忍が、わざわざ何の用だ。」

「私事ってやつかね?これ、どう思います?」

 天井からゆるりと一枚の文が舞い降りてきた。

 当然、この忍がわざとそう落としたわけだが。

 文を取り、開く。

「あぁ、アレか。」

「いやぁ、何の間違いか、此方こっちに届いちゃったんで、」

「演技だけは、立派だな。忍、お前が奪った文じゃねぇか?」

「…御名答ごめいとう。冗談抜きでお耳、拝借はいしゃく。」

 逆さまで姿を影より現し、武将の耳元へ声を控えて何かを伝えた。

「おわかり?」

「チッ、面倒な…。」

「で、まぁ、同盟組んじゃ貰えませんかね。もれなく、あんた様の忍隊から裏切り者を見つけて殺す、なんてこともやりますが。」

「お前に何の得がある?」

「優秀なもんで。」

 赤い目を閉じ、得意気に笑ってみせる忍は、『己が得るものはお前からは要らない』という意味が込められる。

 それを鋭く気付いた武将は声を抑えて笑うのだ。

「源次郎の命令じゃなく、同盟の話とはなぁ?」

「私事とは申しましたが、誰も命令外とは申しておりません。」

 子供のようなその言葉遊びは、この二名の間で笑みを作り出す。

「で?お返事は?」

おう、だな。文でも書いてやろうか?」

「嗚呼、そうして頂けるのならば、そうして頂きたいものです。」

 不気味な赤が、揺れる。

 この武将はまだ、気付いていなかった。

 この場で同盟をと告げる忍が分身であり、本体が武将の忍隊を片っ端から殺していることを。

 月はまだ、沈まない。

 分身は、その武将の背にゆらりと近付く。

「出来れば、お早く。」

「生意気な忍だなぁ。が、それがお前の素顔か。」

「素顔を見られたからには、ねぇ?」

「殺す、か?」

「御名答。誰一人として、生きていかせるわけにゃいかないのさ。」

 血が飛び散った。

 首が落ちて床を転がる。

「同盟の文、ありがとさん。あんた様の字は、ちっと便利なのさ。」

 三日月の笑みが、その場から消える頃、もう、忍隊の息は残っていなかった。


「(さぁて、照らし合わせといこうかね。)」

 二つの文を片手に目を細める。

 忍の影は、月明かりの中、失せた。

 遠く、主の忍を呼ぶ声が聞こえた気がする。

 それに、僅か笑えば、生きたいというのも、また悪くは無いかと思うのであった。

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