第13話好き嫌い

「お前に嫌いな者がおるか?」

「好き嫌いは致しません。」

「そうなのか?ならば、俺は好きではないのか?」

「……訂正致します。嫌いな者などおりません。」

 ぶっきらぼうに、そう返答をしてその目は主の顔すら見ない。

 どちらかというと、見てられないのだが。

 忍にこれでもかと頼んで連れて来てもらったこの場所は、近々戦が始まるというのにそんな姿を見せない穏やかさだ。

蘭丸ランマル様、気は済みましたか?」

「まだだ!来たばかりであろう?」

 忍はまた、溜め息をつく。

「おぉ!彼処あそこに誰かがおるぞ!」

「ちょ、待っ、蘭丸様!」

 いきなり駆け出した主の手をあと二寸で逃す。

 伸ばした手を逃れられたなら、この足を踏み出せばすぐだったが、忍はそうしなかった。

 その手をゆっくりと戻して、眺めた。

「(もういいや。)」

 少々のけてから、歩き出す。

 止めようとも聞かないその耳に、この声はきっと届きやしない。

 この手を逃れたように、この声も逃れるだろう。

 風がそっと通り過ぎる。

 風に乗った香りを嗅いで、興味もない草木の変化を知った。

「忍だと?」

 その男は何処かの武将だろうか。

 忍を睨むように見返した。

 忍といえば、すぐさま目を反らし我が主を見下ろす。

「お前の忍か?」

「うむ!此奴こやつは俺の忍だ!」

「…まぁ、いい。それより、」

「口を挟んで申し訳御座いませんが、お探しのお方なら彼方あちらでお見掛け致しました。お早く迎えにかれた方がよろしいかと。」

 忍の言葉に顔をしかめたが、そんなことはどうでもよいと言いたげに、去っていった。

 忍を見る目がそうなのは、別に珍しいことではない。

 そういう者の方が多く、それが正しいとまでされている。

 それを忍が何か思うこともない。

「何を探しておったのだ?」

大方おおかた、主様でしょうね。あの様子ですから、右腕くらいのお方かもしれません。」

「凄いな!」

「そうですか。」

「うむ!何故わかるのだ?」

「(そっちかい。)軍師様かそれとも、というような目をしておりましたから。それに、あのように急いておられるとなればそれだけの人物であっても可笑しくありません。」

「うむ?」

「(わかってないな。)帰りましょうか。」

「まだだ!」

 今度はその動きを見切って手をしっかと掴んだ。

 駆け出そうとした主はそれに止められて振り返った。

「危ないので、走るのはお止め下さい。」

「うむ!」

 それを聞けば主は忍の手を握って引っ張る。

 まるではしゃぐ仔犬こいぬ

 人様のお子は、殺し合いをいられることも、毒を飲む必要もない。

 見れば見るほどに、忍はこの手を離したくなる。

 離せば、離せば…何かがあるわけでもないが……。

 拒まれない手が恐ろしい。

 忍というものは好かれるものでもない。

 寧ろ、嫌われるようなものだ。

 感情を持たず、金を払う主の為に働き、平気で何とも思わず人様を仕事であるからと殺せる。

 勿論、道具であるから当然である。

 道具であるから、人様と同等にはなれない。

 扱いはその通りである。

 だがこの主はどうだ。

 道具といえばいなと叫ぶ。

 だから難しい。

 何処のおだって、忍を恐れるようにできているのに。

 その目はなんだ。

 その目が、忍を狂わせる。

 その目がこの忍を殺そうとする。

 忍は考えるのを止めた。

 昔々のそのまた昔、通り過ぎる彼は己に何を与えて消えたか。

 舌打ちは、主には聞こえなかったらしい。

「(あんたにゃ忍は向かない。何処までもお馬鹿さんだったんだよ、)輪丸リンマル…。」

「む?何か申したか?」

「気の所為せいでは?」

「そうか!」

 少なくとも今は、どうでもいいことだ。

 そう、また忘れようとした。

 主の手を離そうと緩めても、主がこの手を離さなかった。

 強く握られる。

 それが、その体温が、酷く熱い気がした。

「(火傷しそうだ。)」

 目を細めて主の意のままに。


「蘭丸様。」

「お前のことなぞ知らぬ!任務でも何処でもくがい!」

「(なら、お言葉に甘えてそうさせてもらおうかね。)わかりました。では、そう致します。」

 忍は何の構いもせずに、それで姿を消した。

 一方通行の喧嘩は、続かない。

 相手を失った主はいよいよ泣き始めた。

 忍がそれをどうこう思うことは無い。

 思うわけがない。

 そんなこと、知らぬのだから。

「忍殿の馬鹿者!馬鹿者…。」

 それ以上の言葉がない。

 ただ一人、雨が酷く降る外を眺めながら、一室の中心で膝を抱えていた。

 それは、夜になっても変わらなかった。

 夕飯も食べないで、まだ泣いている。

「何故帰って来ぬのだ……はよう帰って来ぬか………。」

 怒りは一時だけ。

 次に来るのは寂しさだった。

 分身であっても、近くにいたはずの存在。

 それが今、分身ですらここに居らぬ。

「すまぬ…すまぬ…はよう帰って参れ……一人にするでない。」

 そう呟く声は、雨音が掻き消してしまう。

 何も返事がないよりも、そこにいないことが辛い。


 忍は雨の中を歩く。

 傘をさすでもなく。

「忍、ここで何をしていやがる?」

 それにはまるで気付かないかのように、忍はぼんやりと通り過ぎた。

 無視、したのかそれとも。

「聞いてるのか。」

 声が雨で打ち消されて聞こえていないのかもしれない、と思った。

 忍は目を細めて、それから…。

 それきり、その武士の首はそこにない。

 忍の手の血は、雨が流してしまった。

 歩く。

 仕事、をするつもりだった。

 それをもう、忘れてしまった。

 そういうことにして、歩く。

「(何を考えてんだか。)」

 溜め息を、誰に聞かれることもなく。

「(嫌いだよ。嫌い。人間様なんてわかりゃしない。道具に、何をわかれっていうの。)」

 顔をしかめたまま、雨に打たれる。

 喧嘩というには、少々足らずな気もするし、忍にとっては主がいきなり怒り始めたというだけの話。

 帰りたくない、ではない。

 帰ってはならないような気がする。

 勿論、主がどうとかではなかった。

 部下が背後に膝ついた。

おさ!如何いかがなさいますか?」

「(ふん、丁度良い。)奥州おうしゅうの若武将が通る。」

「キツツキの?」

「真似てやれ。」

「はっ。」

 部下が去ったのを気配の遠のきで知る。

 この目が見るは遠くそこの、騎馬きばが集団となり走りく様。

 その先頭を最近 初陣ういじんをあげたそれが駆けている。

 それらに今、もし、腕の良い忍衆が襲い掛かったのなら?

 狙われは此方こちらだが、なすり付けというやつで、どこぞの大将もとあるじがキツツキの戦法と名付け一度何処ぞに仕掛けていた。

 勿論、別から真似られそれを仕掛けられた時は、面倒だった。

 この忍が足止めだの、キツツキの戦法の阻止だのを任務として投げられ、分身とで片付けた。

「(あんたは如何なさるの?何時いつぞやのお馬鹿さん。)」

 高みの見物と洒落しゃれ込む忍は、激しい雨の中、手で目上に傘を作って身をかがめた。

 そして、その千里眼せんりがんはそれを見やる。

「(あんたの事、なんとなく、嫌いなんだわ。)」

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