第12話猫も忍も
それはもう、人や忍やの形を成しておらず、
しかし、布に写った影のみで、影の持ち主、この忍はそんな姿をしているわけではない。
無防備な黒い布一枚、つまり下着一つの格好で。
その花と呼ばれた赤を見開き、布の向こうを見詰めている。
その手の爪は、黒く鋭く獣のように変化してしまった。
主はそれを見て、忍が怒っているのだと気付いた。
呼吸をしていないのではないかというほどに、息が聞こえない。
「化け猫、か?」
そんな呟く声が聞こえた。
「にゃぁん。」
影には尻尾が二つ。
猫の鳴き真似を、忍が一つ。
妙な感覚だ。
畳の上を足が擦れる音が向こうから聞こえる。
影は、一回り大きくなった。
「にゃぁ…。」
重く低い声でもう一度鳴いた。
忍の赤い目が、布を越して見えているのでないかと感じた。
主はやっとこの時、この目が不気味だと感じた。
他者が、不気味と
忍の手は緩んだ。
「ったく、化け猫の真似事なんざ…。」
その自然と零れ落ちた独り言は、当然主にも聞こえてしまう。
「あぁ、
布を
しかし、主の目は忍の目や顔、声にも向いていなかった。
忍の目が揺れるのにも、気付かなかった。
「
「なっ!?」
「何を見ておられるのです?もう、危険は去りましたが。」
忍がからかうように笑う。
「男に興味なぞないわ!」
「そうでないと、困ります。それと、」
「なんだ?」
「いいえ。何も。」
妙な表情を浮かべてから、蝋燭を一息で消した。
何も見えなくなった…わけでなくただ忍の赤い目だけが不気味に浮かんでいる。
「『不気味』、でしょう?何処を『綺麗』と申せますか?」
「綺麗だ!」
「ご冗談を。」
それきり、その赤も消え去った。
「忍殿は?」
「
「そうか…。」
呼べば部下の方が現れ、返答を寄越した。
片膝をつき、口を開く。
「それと、蘭丸様。」
「む?」
「長は女ですよ。」
「
「蘭丸様のお部屋で着替えをするというので、
忍の部下から知らされた事実に、夜に男だと言ってしまったのを申し訳なくなってしまった。
そういえば、あの覗いた時は胸があったな、と思い出しつつ後で謝っておこうと決めたのだった。
「変化で化けても、長は細いですからね。影だとあまり変わりませんし、」
「見ておったのか?」
「いえ、長が申しておりました。それに、そういったことは見たことも御座います。」
「あやつのことをよう知っておるのだな。」
「十数年長の部下をやっておりますから。」
「で、あやつはいったい何歳なのだ。」
「それは誰にもわかりません。何年経とうとも、見た目が変わらぬお方ですので。」
「そうなのか…。」
それには肩を落とした。
なんとなく、気になるのだ。
部下は膝をついたままで、答えてくれている。
本心は、さっさと仕事へ戻りたい。
それでも、蘭丸を無視してはならないのはわかっている。
「忍というのは、わからぬな。」
「そういうモノなので。」
「(好かれないなぁ。蘭丸様。)」
猫には逃げられ、犬には吠えられ。
主は首を傾げていた。
忍の方はというと、腕に
「(ま、最悪
「む、そうなのか。」
犬と主はお互いに恐る恐るという様子で向き合っている。
それを眺めながら、鷹の頬を指で撫でた。
「(我が子なんだか、我が主なんだか。早く立派な虎になんないかなぁ。)」
「忍殿!そういえば怪我は治ったか?」
「えぇ、まぁ、はい…え?そんな早くは治りませんよ?」
気を抜いている隙に問いを投げられ、つい、そのままに返答してしまった。
「珍しいな!何を考えておったのだ?」
「
話題を入れ込めば、ううむ、と考え始める。
こっそりと溜め息をついて、忍は顔をしかめた。
気を抜いたことに対する己への叱りが、主に気付かれてしまうことはなかった。
「お前の料理は何でも旨いからな!何でもよいぞ!」
「そうですか。そう申して頂けるのは嬉しゅう御座いますが、好き嫌いをせず食べて下さいよ?」
「む、それは
「意地悪では御座いません。
「それはできもうさぬ!!」
「(工夫してみるかね。)」
今度は隠さず溜め息をつく。
足元の猫が一つ鳴く。
鷹を腕から離れさせ、猫を抱き上げた。
「あんたの分も用意してやるさ。」
にゃぁ。
「猫殿は人参を食わぬのか?」
「猫に嫌いな物を食べさせようとなさらないでくださいね。」
「わ、わかっておる!」
そろそろ
首を傾げた主に、目を細めた。
「蘭丸様、もし夕飯を残さず食べられたのなら、御褒美を御用意致しますよ。」
「
「けれど夕飯は蘭丸様のお嫌いな献立となっております
「意地悪だな!」
忍は影を
その速さは瞬きでさえ遅いと。
また、主はどう食べきろうかと考え込みながら、猫を降ろし庭から屋敷へ戻った。
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