第11話虎の巣に残影

 頬を痛みが走った。

 この足は震えてしまって使えない。

 暗闇が、こんなに恐ろしいと知ったのは初めてであった。

 いな、暗闇でなく我が忍を抜いた、忍衆だ。

「忍殿ー!!!!」

 虎の咆哮ほうこうごとき今の状況に逆らう大きな怒鳴り声に似るその呼び声は、確かにこの忍の元まで届いた。

 今や奥州おうしゅうに向かったきりの忍、何故届くか。

 忍は戦の終わりまで見終えて、別の方へと偵察ていさつに移っていたが、その咆哮が我が主から放たれたということを知る手段は無い。

 それでも、聞こえた気がしたのだ。

 嫌な予感、胸騒ぎ、そういう類かもしれない。

「(可笑しい。うちの部下はそんな弱かなかったはずだけど。)」

 そう疑問だってあった。

 だからとて、どうにかしないわけにもいかず。

 上空を飛ぶ黒い赤目のたかに、短く高い指笛を吹けば腕へと舞い降りてきた。

「ちっと、頼むよ。」

 両翼を広げる鷹に掴まって、忍の軽い体は空へと。


 一方、主は己の両手にある短刀の様子が可笑しいのに気付いて首を傾げていた。

 さやから出してみれば、それは鋭く美しい刃だ。

 ただ、何処か影の揺らめきが包んでいる。

 その影がこの腕に這い上がった。

 だんだん、心が落ち着いてくる。

 目の前の、見えはしない敵にその刃を振るった。

 耳元に心臓がやってきて、強く速く波打つ。

 その心地良さと、この感触はなんだろうか。

 見えぬ赤、見えぬ敵、それでも地に伏せるまで。

蘭丸ランマル様!」

 それが聞こえた時には、我が忍の腹にはこの短刀が深く刺さっていた。

「し、忍…殿。」

悪鬼あっきに成るおつもりですか?」

 忍の血が、この刃をつたって主の元へ来ようとする。

 しかし、忍は主から乱暴に短刀を奪った。

「いくらなんでも残影ざんえいをお使いになられるとは命知らずもいいとこですよ。この短刀はこちとらでなければ扱えないというのに。」

「すまぬ…。」

「それに、忍の血は毒なのですから。今返り血を浴びていないのも奇跡ですよ、まったく。もし、血に触れていたならば蘭丸様は、」

「お前は優しいのだな。」

「……………ご無事で何よりです。」

 ぶっきらぼうにそう申した。

 忍は短刀を払うように振る。

 それで刃についた血を払う。

 そして鞘に戻すと、その影は収まった。

「取り敢えず、忍の処理は致しましたから。戻りますよ。」

「忍殿、共に寝てはくれぬか?」

「……治療と着替えが終えたら向かいます。」

 冷たい声、冷たい表情、それなのに何処か許された返答。

 忍の、いつもの『わたくし』という己を示す言葉が失せ、『こちとら』と表されたのに主は気付いていた。

 それが、少しだけ嬉しかったのは主だけの秘密になる。


 蝋燭ろうそくを消し、布団に入り込んだ。

 もう、あの不安はない。

 静かに、影が隣に現れる。

「終えたのか?」

「いえ、奇襲きしゅうのことがありましたから、忍小屋でなくここで済ませることに致しました。」

「そ、そうか。」

「ご安心を。見えぬようには致しますから。」

 布一枚、向こう側で蝋燭を小さく灯した忍は、わずかな音…衣類の擦れる音等以外は静かだった。

 蝋燭の明かりで、布には黒い影が濃く浮かぶ。

 忍が一枚、また一枚と衣類を畳へ落としていく様に、目がいってしまう。

「蘭丸様、治療に少々かかりますが、お先にお眠り下さいませ。」

「いや、待つぞ。」

「そうですか。」

 擦れる音と何かを取り出す音も聞こえる。

 僅かな音だけが、一室にこぼれ落ちる。

 静かだ。

 その向こう側の蝋燭だけが、この一室の明かり。

 部屋の隅は暗くなって、天井の端に何かが潜んでいるような気がしてきた。

「怪我をしたのか。」

「傷を付けたのは蘭丸様ですが。」

「すまぬ。あの刀は、残影と言うのか?」

「いえ、刀に名はありません。残影というのは、こちと…わたくしの残し影で御座います。」

「残し影?」

「蘭丸様には少々難しい話でしょう。」

 布に近付く。

 それに気付いた忍はわざと大きく溜め息をついた。

 それに主の肩が小さく跳ねる。

「如何なさいました?」

「なにもあらぬ!」

「そうですか。お近付きになられたので、てっきり覗こうとしておられるのかと。」

 忍がわざとからかうように申せば、主は顔を真っ赤にして頬を膨らませた顔をする。

「覗くことはせぬわ!」

「ならば何故、布に手を?」

 ハッ、と気が付けばいつの間にか布を掴む手があった。

 慌てて手を離して、見えないであろうが首を横に振った。

「何もしておらぬ!」

「左様で。それならば、」

 そこで言葉が途切れた。

 首を傾げて待っていると、忍の手が布の向こう側から伸ばされて、この腕を掴んで引っ張ってきた。

 そしてその強い力に抵抗出来ず、抱えられた。

「お静かに。」

 控えた声で、針先が刺さるような肌に痛い空気を作り出す。

 主はただ驚いた。

 抱きしめられる状態で、一時いっとき、時間が止まった。

 忍には、気配が聞こえている。

 何者かが、近付いて来ているのだ。

 分身を向かわせて、ただ、警戒が影を濃くする。

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