第9話主従
深い眠りについていたはずの忍は、己よりも暖かい体温の手に触れられ、顔を隠したままに目を覚ます。
寝息と似た呼吸を崩さぬように、そして目を覚ましたということを知られないように、動きもそれらしい反応もしないでおいた。
その手が己の頭を、まるで動物にでも接するかのように優しく撫でるから、どうしてよいかわからなかった。
「(なんで、此処にいるわけ?なんで、撫でてるの?愛玩動物じゃなくて、道具なんですけど。)」
内心の焦りと恥、そして居心地の悪さに一寸も動けない。
それでも、撫でられればそれに気持ち良さを感じ、その手を止めてくれるなと無意識に望んでしまう。
嫌なような、嫌じゃないような。
「最近気付いたのだが、俺と寝る時のあれは、寝ておらぬらしいな。」
「そのようで。
「だが、今度の此れは寝ておるな。」
「はい。」
こんな会話を盗み聞きしてしまえば、もう気付いてくれた方が楽だと感じる。
それでも、己から申すのもなんとなく嫌な気もする。
冷たい床が、横たえた体に伝う。
見ずとも気配の距離から、部下や主の座る位置は把握出来た。
もう、気付いているのではないか、という期待があった。
「(うぅ…いっそ起こしてくれていいのに…。)気付いてる癖に。」
その呟いた声を聞き取った主はわざとらしい笑みを浮かべる。
腕をずらして主の顔を見やり、その嬉しげな目とこの目が合わないように背景を見た。
「起きておるのに、寝ておる振りをするからだ!」
「…(本当、)
また顔を隠して溜め息をつく忍の腕を両手で掴み、顔を覆い隠す腕を退かせた主は忍に口を開く。
「意地悪をするのはお前であろう?」
「お
「そうか?」
「寝てる忍の頭を、普通撫でます?」
「嫌だったか?」
「…(嫌だったら逃げてるよ。)意地悪。」
腕の力を抜いて顔を横へ向ける。
目を閉じて、未だ消えない眠気に従い、またゆるりと眠りへと手を引かれてゆく。
「忍殿、俺も此処で寝てよいか?」
「…お好きに……して、下さ…い…。」
眠たそうな声が
もう半分寝ているようなものだ。
部下はそれきり会話を止めた。
顔を隠さず眠る
そのついでに、蘭丸に
「(あー、寝過ぎて頭痛い。)」
目を覚ませば腕枕で眠る我が主。
そして、
手を伸ばせば届くところまで、跳ねるように近付いてきた。
「ごめん。
カァ、と短く鳴いて瞬きをする。
「ぅ…ん……しのびどの…?」
「蘭丸様。」
起き上がって確認するように周囲を見渡す。
忍小屋であるのに気付いて、忍の方を見やる。
忍は烏に餌を与えながら、振り返った。
「次は忍小屋に寝に来ないで下さいね。」
「すまぬ。お前を呼んでも来ぬ
「それは申し訳御座いませんね。」
覆面をして、溜め息をついた。
「腹が
「もうそろそろ
「うむ!お前の料理は旨いからな!」
「そ、うですか。」
走って一室へと帰る背に、目をしばし取られた。
大きく深い溜め息をつきながら、両手はこの顔を
「(嬉しく、なんか、ない!)」
口角が上がるようなこともないが、どうも内心を見られたくないような気がして、唸った。
夕飯が、いつもより豪華に振る舞われた理由を、主が知ることはなかった。
「にゃー。」
にゃーん。
「にゃぅ。」
「何をしておるのだ?」
肩を跳ねさせて、大きくそこから素早く離れれば、三毛猫は驚いて遅れて逃げ去った。
ただ、猫と猫の言の葉での会話をしていただけだが。
「(何してるのか、ってこっちが聞きたいわ!)」
「猫殿の真似か?」
「いいえ。猫と会話をしておりました。」
「そうか!…何故そんなに遠いのだ。」
「お気になさらず。」
冷静を装いつつも、心臓は強く速く波打つ。
見られたくない、といえば少々そう思う。
「猫殿と話せるのだな!」
「大概の動物とは話せますが。猫の情報も、案外使えますからね。」
「そうなのだな。それで、何故お前をお前の部下達は上から見ておるのだ?」
忍は構えていたのを解いて、木々に潜んだ部下を睨みあげる。
そして、息を静かに吸うと目を見開いた。
「散れ!!!!」
耳を
ただ、主だけは感心したような目で忍を見つめた。
「(ったく、
「猫殿は何と申しておったのだ?」
「蘭丸様、その話はここまでと致しましょう。」
「猫殿は、」
「致しましょう?」
「う、うむ。」
圧のかかった声に押されて、主は口を閉じたのだった。
「忍殿!」
「此処に。」
「お前は泣かぬのか?」
「泣きませんが。」
「何故だ?」
「泣き方なぞ、もう忘れてしまいました。」
「嘘だ!」
「(何かあったな、こりゃ。)」
今にも泣きそうな声と目は、忍へ投げつけられる。
忍は表情を一切変えないで、我が主を抱きしめた。
そして背中を撫でる。
「泣きましょうか。我慢はなさらないでください。」
「お前は何故泣かぬ。」
「泣けないのです。ですから、私の代わりに、今、たんとお泣き下さい。」
それには、何の返答もなかったが、いよいよ主は泣き出した。
うん、うん、と頷いたのはわかった。
己の腕の中で泣きじゃくる主に、何とも思っていなかった。
悲しみも、共感してやれない。
「(人間様ってのは、どうしてこうも面倒なんだか。)」
溜め息を押し殺し、降り出しそうな雨雲を見上げた。
「(空まで泣いちまいそうだ。)」
陽の光も受けないで、ただ薄暗くなってゆく景色。
庭の真ん中で、そのまま背中を撫で続けた。
「(こちとらは、あんた様と違って忍だからさ。泣き方も感情も、
揺れるその背中は、小さくて頼りない。
これが虎になるのは、まだまだ遠い先のことのように感じる。
「(虎に成って下さいよ、蘭丸様。そんで、こちとらをその影に入れて下さいね。)」
ただ、それらが口から声となって届くことは無かった。
いつの間にか泣き止んで、静かになった主を抱き上げる。
寝息が耳元へ届く。
泣き疲れて眠ったか、と確認すれば屋敷へと歩いた。
布団へ寝かせても、この手を握って離さない主を見下ろす。
本当なら、この手を解いて逃げるのに。
本当なら。
逃げることは出来なかった。
体が、そうすることを拒んだ。
「お早く、
静かに笑った。
雨が地に落ちてくる。
障子を閉めて、外に一人立つ。
見上げた空は薄暗い。
「ゆるりとおやすみくださいませ。蘭丸様。」
そう主に聞こえはしない言葉を残して、影はその場で消え失せた。
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