第8話その目とこの目

「忍殿!其処そこにおるのであろう?」

「(なぁんでわかるかなぁ?)」

 木を見上げて、木の葉に紛れ姿の見えない我が忍に声を上げる。

 気配だってありはしないのだが。

「(もしかして、影でも見えてんのかね。)」

「忍殿ー?降りてこぬか!おるのだろう?」

 影でわかるのであれば、どう隠れようものか。

 主を木の葉の中から見下ろす。

 試しに、と枝に紛れたからすに飛べと合図した。

「カァー。」

 音をたて空気を叩いて飛んで行くのと同じに、この口で烏の声を真似てやる。

「む?なんだ、烏殿であったか。忍殿ー!何処におるのだー?」

 そういいながら何処かへ歩いていった。

 忍だという確証はないのに、そこに何かがいるのだという感覚だけで声をあげたらしい。

 それならば、別に構わない。

 それさえも感じさせないようになれば、もう面倒もないのだろう。

 忍は目を細めてただ、己の無意識に気付く。

 見えはしないこの片目の赤を何故、閉じていたのか、と。

「(…こちとらの負け……だよ。蘭丸ランマル様。)」

 ひたいに片手を当てて、覆面を下ろした。

 そう思いつつ、でも地へ降りてやるまではしない。

「(惚れそう。あんなおっかない目は此処だけでしか味わえないんだよなぁ。こりゃ、他のお武家ぶけ様にゃ仕えらんないわ。)」

 沸き上がる謎の感覚に口角を上げて身を震わせる。

 興奮を抑えられないで、うっとりと我が主の背を眺めながら。

 長年、何度死のうとこの武家に仕え続けた故がこれだ。

 この家に受け継がれ続けているこのまなこが、初めて出会い仕えた時からたまらなく好きだった。

 源次郎ゲンジロウもその対象内である。

 ただ、この目を持つ者でさえあれば、いっそ誰が主になろうと構やしない。

 無意識にでも、やはり嬉しくて仕方がないのだ。

 この幼さにして、既にそんな目を見せてくるなんて、とこの目を離せない。

 そんな様子を見ていた部下は、上司であるこの忍から今すぐ距離を置くようにと他の部下に伝達を回していた。

 ご機嫌はご機嫌でも、この目に関した機嫌の上下は、何をしだし何が起こるかわかったもんじゃない。

 新人以外はそれを心得ているから距離を置こうとする。

 巻き込まれれば最悪 しばらくは床に伏せることとなる。

 案の定、この忍の影がおぞましく誰の目にも触れられる程度にまでになり、空気は重くなってきた。

 地に足を着いてみれば。

 それに気付いた主は振り返った。

「忍殿!ここにおったのなら言わぬか!」

「嗚呼、申し訳ありません。つい。」

「どうしたのだ?」

「いえ、何も。」

 覆面をしてこの狂気のにやけを隠す。

 それでも、影が収まるわけではないのだ。

「何があったか知らぬが、いことがあったのだな。」

「そう、思うのですか?」

「うむ!影が喜んでおるからな!」

「ええ、どうも、収まらないようで。」

 目は笑わない。

 声も落ち着きを払っていて冷たい。

 それでも、その開かれる黒い片目の奥には、深い何かが揺らいでいた。

 その目は光さえないがため、風景も反射せず映りはしないのに、黒い何かが揺らぎうごめくのは見ることが出来た。

 その目をまじまじと見やれば、忍は目線を合わせる為に膝をついた。

「何か、見えますか?」

「うむ。目の奥に。」

「そうでしょうね。」

「お前の目はいつわらぬな!」

「(は?)」

「他の者は見えぬのだ。お前だけ、煩くない目をしておる。ゆえに、よう見えるのだ!」

「(それって、源次郎様にも言われたな。)何がお見えに?」

「『お前』が見える。」

わたくしが?」

「うむ。お前の中の『猫』がおる。」

「(あんた様は『猫』って言うのかい?『猫』だって表すのかい?此れを、)『猫』…と?」

「よくはわからぬ。猫殿のようなのだ。」

 忍の目の奥の、それは姿を消した。

 それと同時に影も、この興奮も収まる。

 気味が悪い、と眉間にしわをよせて。

「(そんなら、『猫』だ。また、猫が鳴きそうだ。)蘭丸様、猫を撫でてくれますか?(猫の声を掻き消してよ、その目で。)」

 首を傾げた主に、忍はその目も閉じる。

 わからずと、その手は忍の頭を優しく撫でた。

「(忍相手にあんた様は優しすぎる。そんなんじゃ、殺されちまうよ。こちとらが。)」

 甘えた声で、猫が鳴く。

 欲しがる声に逆らって、影の中へと収まれば、主の呼ぶ声聞こえつつ、飯時めしどき告げる時までは、忍の姿は上がりはせず。


赤目花あかめばな ればぐ うわさり あるじ あか綺麗きれいと しのびごろしを。」

 うたう声が部下を振り返らせる。

 『赤い目』を『花』と表し、己の片目を示す。

 そして、それを見れば『死ぬ』という噂があるのだと続けた。

 しかし、主の目にはその赤は『綺麗だ』と見えるらしい。

 それを忍に言うとは、忍を殺すお人様だと。

 ただ、そういった芸は忍に心得があるわけではない。

「(下手なうた。)」

 また、静かに笑う。

「(人間様の真似事なんてしちゃってさ。馬鹿みたい。)」

 己をけなしながら。

「誰が為、」

「忍殿!」

「…あんた様の忍の死に場所はあんた様の傍なんだからね。」

 呟いたそれを聞き取った者はいない。


「最近、長は無口ではなくなったな。」

「蘭丸様のおかげか。」

「昨日なんか、うたっておられなかったか?」

 部下の会話をこの忍が聞き取ることは無かった。

 それもそのはず、今は久しぶりの深い眠りへと落ちているからだ。

 疲れた顔で、猫のように丸くなり静かな寝息をたてている。

 休息をとる時間が惜しいとまでに働く所為せいもあるが、実際 非番ひばんというものが無いに等しい。

 上司を起こさぬように、声は控えているが今騒いだところで起きそうにない様子ではある。

 そんな忍は寝顔を見られたくないのか顔を隠して寝ているのを部下は残念がった。

 その目が鋭く恐ろしいのは気を張っているがゆえなのだ。

 それを抜けば整った中性的な顔立ちは、魅力的である。

 その覆面さえ外して、気を抜いてくれさえすれば。

 だから、寝顔というのは貴重なものであるがために見たがる。

「忍殿!おるか?」

「蘭丸様、お静かに。」

「む?」

「長は今、寝ております故。」

「おぉ、それはすまぬ。…此奴こやつ、寝るのだな。」

 声を控えたものの、遠慮はせず眠っている忍に近付く。

 そしてその頭を撫でた。

 忍にそれらしい反応は無く、寝息ばかりが聞こえるだけであった。

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