第7話狐か狸か化け猫か

「狐殿は葉っぱを頭に乗せて化けるというのはまことか?」

いつわりですね。それに、狐全てが化けられるわけでは御座いませんよ。」

「そうなのか?忍殿にはわかるのか?」

「狐は狐でも、『』と呼ばれる狐だけが化けられますが、あやかしの類になりますね。」

 筆を手に紙の上を走らせ続けるその目は主へと向くことは無い。

「では、狸殿は?」

「『古狸ふるだぬき』がよく化けると聞きますね。狸全てが化けられるわけでは御座いませんが。」

「なれば、他に化けられる者はおるのか?」

「猫も『化け猫』、『猫又ねこまた』と呼ばれる猫は化けますが。」

「猫殿もでござるか!」

 驚く声だけで十分どんな表情をしているかくらい安易に予想出来る。

 それに、素直な性格であるがために、余計なことまで喋る口だ。

 問わずとも、見ずとも、勝手に何かあれば申すだろう、と。

「忍殿は、何でござる?」

「はい?」

「忍殿も化けるのであろう?どれなのだ。」

れでも御座いませんよ。(近いとすれば『猫又』かね。)」

 気配が近うなった。

 その手が忍の真っ黒な髪に触れる。

 それは撫でるように、優しい。

如何いかがなされました?」

「お前は猫殿だな。」

「そうですか。」

 何がしたかったのか、何のつもりだったのか、わからない。

 別に、わからなくていい。

蘭丸ランマル様は『猫』でなく、『虎』に成って下さいね。」

「うむ!」

 そこで忍は首を傾げて手をはたと止めた。

 今、己は何と?

 溜め息が流れ出た。

 まさか、己がそんなことを言うようになるなんて夢にも思わなかった。

 痒い。

 酷く痒い。

 体内でうごめく何かが手当り次第に噛み付くようだ。

「(意味わかんない。)」


「忍殿!」

「此処に。」

「鍛錬だぞ!」

わたくしはこれから任務に、」

「相手をしろ!」

「蘭丸様、人様の話は最後までお聴きになって下さいと、前にも申しましたが。」

「聞いておる!」

「(そういえばこちとら忍だから人様にゃ含まれなかったわ。)任務が、」

「任務は後でい!」

 仕方が無い、と思い分身を出し鍛錬はそれに任せて任務へと飛んだ。


「愚か者!」

 その怒鳴り声が誰のものなのか一瞬わからなかった。

 しかし、この痛く鋭い声は忍隊のおさであるこの忍のものの他あるまい。

「深追いするなと言った!」

「申し訳ありません。」

「一つの死が、多くの死に繋がる。あんたの失敗が、主の死を急がせる!慢心まんしんするな!」

「は……。」

「もういい。鍛錬でもして己の腕を磨きな。」

「長、かれるのですか!?」

「足でまといは要らないよ。」

 手で虫を払うように部下に来るなと示す 。

 舌打ちを最後に残して忍は部下の尻拭いへと向かった。

「(怒鳴ったのは久しぶり、かな。)」

 部下だけでなく、忍自身も驚いていた。

 ここまで怒鳴ることは普通ない。

 今まで、そういう類を口に出したこともなかった。

 違和感が体内を蠢く虫へと変化する。

「(ああ、そうか。あの目が『怖い』のか。)」

 主の顔を思い浮かべ、口角が自然と上がった。

 『怖い』、といえば怖い。

 あの目はまた、この影を見て己を見透かす。

 隠しても、その目に射抜かれる。

 怖い。

 嗚呼ああ、怖いのだ。

 覆面ふくめんの黒い布を下ろせば月明かりに不気味な赤と、それに相まる狂気の笑みがその敵に恐怖を与える。

 『化け物だ』、という声が何処かでしたような。

「怖いのか。」

 忍は呟く。

「嗚呼、怖いのか。」

 敵の首を狙って、まだ呟く。

「アハハハハハハハハハ!!!!」

 大きな笑い声は、悲鳴すら掻き消す。

 誰にも理解は出来ない。

 誰にも読めはしない。

「怖い、怖い。怖いから、見ないでよ。蘭丸様。」

 その笑みが敵を殺す。

 その笑みが『死』を意味させる。

 その笑みが『血』を連想させた。

 この片目、『赤き花』と同じように。

 誰にも止められはしなかった。


 かすかに、音がした。

 主は隙間から覗き込む。

 忍が戻ってきたのがわかる。

 外からの月明かりに赤い血と、黒い衣類が浮かぶ。

 雑に脱ぎ捨てられたそれらは畳の上に、下着一枚身につけただけの無防備な忍は月を見上げて立っている。

 その背中には大きな傷の痕があった。

 髪をくしゃりと撫でつける。

 覆面をとっているのは分かるのに、向こうを向いているせいで顔は見えない。

「蘭丸様、お早くお眠りになって下さい。」

 ビクリと肩が跳ねる。

 気付いていたのか、と。

「忍の着替えを覗くのは、悪趣味ですよ。」

「な、何を申す!覗いたつもりは、」

 忍が静かに笑った。

 そして振り返る。

 月の光はこんなに強く眩しいものだったのか、と思わされた。

 月の逆光が忍の表情に影を作って見せてはくれない。

破廉恥はれんち。」

 ただ、からかうように声を控えてそう放たれた。

 主は顔を真っ赤にして走って自室へ戻った。

 初めて忍が笑った。

 初めて、忍が『無』以外の顔をした。

 それでも、見ることは叶わなかった。

 まるで、狐に化かされた気分になった。

 忍はもう一度静かに笑った。

「(まぁ、着替えようとはしてなかったんだけどね。)」

 そこに座り、主の目を誤魔化した術を解き、治療を始めた。

 もう慣れてしまった痛みに、何も思うことはなかった。

 ただ、今夜は気分が良かった 。


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