第6話呑まれつつあり

「お前は笑わぬな?」

「忍ですから。」

「忍は笑わぬのか?」

「笑う必要が御座いません。」

 書物を手に立ったままその目をあるじにも向けないで。

 主はそれをずっと眺めている。

「何の書物だ?」

「人間様の心理学に関する書物に御座います。」

「わからぬ。」

わたくしにも理解出来ません。」

「そうなのか?忍 殿どのは、賢いであろう?」

「(心理学自体は簡単だけど、人間様の考えることといったら本当に面倒臭いくらいに、)情や暗黙の了解、忍には必要のないものばかり、ですから。」

「わかっておるのかわかっておらぬのかわからぬぞ?」

わたくしは人間様がわかりません。」

「俺はお前がわからぬ。」

 『忍』という存在ではなく、『この忍ただ一人の存在』を指したことに、主へ目を向けた。

「(いや、おがそこまで頭が回るわけない、か。)」

 そう思い直せば何も残らず書物へと目を戻す。

 どうせ、『お前』というのは結局忍自体を表すのと同じだろう、と。

 そういった細かく難しくもあるところまで、考えられる知識もない。

 そうでなければ、また厄介だ。


「お返し頂けますか?」

「嫌だ。」

「困ります。」

「何故片目を隠すのだ!怪我もしておらぬというのに!」

「(そりゃ、赤い目なんかさらしてたらあんた様は思い出しちまいかねないからでしょうが。)蘭丸ランマル様。」

「返さぬぞ!」

 片目を閉じたまま、顔をしかめている。

 それでも、取り返そうという動きはしない。

 いな、出来ないのだった。

「綺麗だぞ!」

「何がです?」

「お前の赤い目だ!」

「ご冗談を。」

「嘘ではない!」

「でなければ、気の所為せいかと。」

 それも認めたくはない。

 忍が『綺麗だ』などとまた酷い冗談である。

 言う相手を間違えている。

 そうとしか思えないのだった。

「俺は赤い目が好きだ!」

「(悪趣味。)」

 多少失礼であっても、思う分には幾らでも思っていい。

 つまり相手をその程度と見ているわけだ。

 無理もない。

 まだ幼い子が己の主だと言われ、初陣ういじんも迎えられるようなものでもない。

 忍と武士の違いさえわかっていない。

「お前は優しいのだな。」

 目をそらした隙にそう放たれた言葉に、悪寒が背筋を這い上がった。

「わかりました。返して頂けないのならば代わりの物を頂きます。」

 ひょい、と赤い布…主が毎日使っているれを手にとった。

 別に近くにあったわけでもなく、意識して選んだわけでもない。

 何か声を発する前に影へと潜った。

 ふと、その布を見下ろして肩の力が抜けてしまう。

「(嘘でしょ。なんでこちとられ持ってきちゃったの…?)」

 己が無意識に取った行動を思い返して後悔を浮かべる。

 いな、それは後悔ではなく、恥を混ぜた動揺。

 まるでお子同士のやりとりではないか。

 何処かかゆいような気がして、体内を掻きむしりたくなった。

 己がわからなかった。

おさ、如何なさいました?」

「(捨てるにも捨てらんないし、返すにも返せない…。)」

「長?」

 部下の声など耳に入らず。

 ただただ、困惑した。

 やっと我にかえれば赤い布をそっと丁寧に手放し、己の手を鼻近くに持っていき匂いを嗅いだ。

「(人間様臭い。)」

 目を細める上司に、部下は気付く。

 あぁ、なるほど、と。

 丁寧に手放す様も、先程から溜め息を繰り返し頭を抱えていたのも、これで納得がいく、とばかりに顔を見合わせた。

 そして今も、いつもなら嫌がりながら匂い消しを行うというのに、目を細めたままに未だにその匂いを嗅いでいる。

 癖になる、わけでもないだろうに。

 つまりは、意識的には認めてはいないと思ってはいるものの、無意識にそれが主なんだと認めて、むしろそれが大切だと言わずともわかる。

 不器用といえば不器用だ。

 だが、部下の視線に気付けばついでにそれらに気付く。

 そしてまた頭を抱えて溜め息を。

 己が……なんて思いつつ同様を隠せないでいるのだ。


「着けたのだな。」

「赤がお好きとお聴き致しましたが?」

「俺のだが。」

「ならばお返し頂けますか?」

「むぅ、それはならぬ!」

 そのやりとりも、のちにはまた頭を抱えなければならないたねとなるというのに。

 その会話を見ていた客人は大きな声で笑った。

随分ずいぶんと愛想が出てきたなぁ。」

「ご冗談を。」

 この客人は勿論この忍のことをよく知っている。

 それもそうだ。

 源次郎ゲンジロウの古くからの友人である。

 何度もこの客人には、この忍が茶をれてきた。

 それと同時にこの客人は、この忍の淹れる茶が好きなのだ。

「で、その目のはどうした?」

「………。」

「答えんか!いつもそうだったなぁ!ハッハッハッハッハ!」

此奴こやつのことを知っておるのか?」

「おう。そりゃぁな。お前のおかげでコイツも少しは変わったみたいだな!」

「?」

「あまり、余計なことをおっしゃるのは控えて頂けますか?」

「そういうとこも、変わったな!」

「(くそが。)」

 目を反らしてそれでも己の変化を否定出来ずに舌打ちをしたがった。

「茶を淹れてはくれても、お前はいつも『はい』とか頷くだけだったしなぁ。他の忍並みには物を言うようになったか。」

 シュルリと赤い布を丁寧に解けば、片目を閉じたまま、たたみの上へそっと置いた。

 目立つ赤をわざわざ付けた理由も、主への仕返し。

 そんな愛想のある仕返しなんて、珍しいものだと客人が笑うのも、部下は眺めつつ同意していた。

 静かに庭へ向いたその片目が捉えたのは、また静かなる侵入者しのび

「どうしたのだ?」

「すぐに片付けます。」

 問いには答えず影となり姿を眩ませた。

 首を傾げる主と、察してまた笑う客人は、数分後の忍を茶をすすって待つのであった。

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