12.
十子を佐山家に送り届ける道中、染水家の庭を横切ったが、そのときには、例の鼻を突く野焼きのような匂いは微かに香る程度にまで薄くなっていた。
(――あの匂いは何だったのだろう。)
何か変わったことはないかと幹人が庭を見渡すと、
(――あれ……。あんなところに……。)
庭の隅。奥まった影の辺りに煤けた場所ができていた。焼け跡を囲むように小岩が積まれている。焼け落ちた木片も見られた。何かを燃やしただけの焚き火とは少し違う、簡易的な
(――あそこで何かを炊いていたのか?)
縁側から家の中を窺うも、人の気配は感じられなかった。
幹人は疑問を抱えつつも、先を行く十子について行く。
佐山家の前にまで来ると、玄関先の小さな庭に佐山夫人がいた。彼女はこちらの存在を認めると、軽く会釈をした。
「どうも、こんにちは」幹人も挨拶でそれに応じた。
「お母さん」
十子はたったと駈けると、母親の元へと向かった。手に持っていた小鉢を母に手渡す。母はその中身が空になっていることを確認すると、ふぅと一息吐くような表情をした。
二人はいくらか会話を交わし、それからこちらに向き直る。
「どうもすみません。うちの子がまた沢に降りていってしまったみたいで。フミさんから聞きました。ついて行ってくださったんだとか」
「いえ、気にされないでください。散歩のついでみたいなものですから。私も十子ちゃんとお話ができて良かったですし」
母は十子に目線を移動させると、多少困ったような表情を浮かべる。そうして、そろりと自分の頬を撫でながら、
「この子、本当にご迷惑をおかけしたりしませんでしたか?」
「迷惑だなんて。そんなことはまったく」
「おかしなこと言いませんでした?」
「おかしなこと……、ですか? いえ、そういうことも特には……」
(――気にかかることはたしかにあった。しかし、それを面と向かって問うわけにもいかない。まして、死人が還ってくるなど……。)
歯切れの悪さを察したのだろう。
「お話したのなら、おわかりになるかもしれません。この子、自分の思ったことを説明するにしても言葉足らずなところが多くて。慣れた方なら良いのでしょうが、初めての方だときっと困っただろうと」
「いえいえ、本当に何にも。気にされないでください」
「そう、ですか……」
彼女の頬を撫でていた手はいつしか額にあった。垂れ落ちた前髪が、白肌の額を滑っていく。
「その……」母親はおずおずと切り出す。
「フミさんから聞きました。お父様を亡くされたとか。お悔やみ申し上げます」
深々と頭を下げる母の姿を、十子が不思議そうな顔で見上げている。
「いえ、私の父はもう年も年でしたから……。仕方のないことだったのだと思います。それよりも、奥さんのほうが大変だったことと思います。ご主人を亡くされそうで。私が言えた立場でもないですが、気を落とされないでください」
「ありがとうございます。私は大丈夫です。ええ、大丈夫。だからこの子だけでも……」
「十子ちゃんがいろいろと教えてくれました。ご主人がどんな人だったかとか。何をしてくれたかとか。ご主人、すごく良い人だったんですね」
「…………はい。とても、良い人でした」
彼女は視線を落とす。落とした視線の先には、十子から受け取った小鉢があった。その中をじっと見つめている。
「十子ちゃんが食べてたそれ、あくまきですよね」
母ははっと面を上げて、
「……え、ええ。あくまき……、そう、ですね」
母の受け答えには狼狽えている節があった。
「違うんですか?」
「いえ、あくまきです。ここの郷土料理……みたいなものです。この村ではよく食べられていて」
「そうなんですね」
「はい……。その……。えっと――」
母親はちらちらと窺うように、幹人を見ていた。
「はい?」
「いえ。私からは。……」と、唇を噛むようにして口を閉じた。
驚き、戸惑い、逡巡――。
それらを経て、彼女は何も言うまいと決めたかのようであった。
「…………」
沈黙する彼女を見かねて、幹人は、
「……えっと。それじゃあ、私はこれで失礼します」
母親は目を伏せて挨拶をすると、その場に立ち竦んでいた。
「十子ちゃんも元気で」
「うん」
言われた少女はこくりと頷き、母の手にぎゅっと掴まった。
幹人は踵を返し、歩き始める。
一歩、二歩……。
(――あ、ここにも跡が。)
生け垣の内側。その影に――。
黒く煤けた竈のような円ができていた。
幹人は足を止めた。
「これは……。え、まさか」
そこで今までのすべての線が完全に繋がったような気がした。
骨を軋ませて、彼は恐る恐る背後を振り返った。
じっと――。
親子が、表情のない笑みで彼を見つめていた。
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