6.
それから――フミと話をして、二十分も経ってから。
十子を連れた佐山親子が、ご迷惑をおかけしましたと、挨拶にやって来た。
玄関口で頭を下げる母の後ろで子どもが――おそらくはその小さな子が十子なのだろう――じっと立ち尽くしていた。
ショートヘアに白いワンピース。どこにでもいる普通の九、十歳ほどの女の子のように見える。
変わった様子と言えば、人差し指の爪の先を、突き出した唇に咥えていることである。いじらしい仕草と言ってしまえばそうではあるのだが、年齢の割にはいささか幼い仕草である。
母親に謝るよう急かされたときも、
「ごめんなさい……」と、囁くような声で言っただけだった。
果たして状況を正しく理解できているのか怪しいほどに、たどたどしい反応だった。
そうして、母子を見送ったあと。
幹人は、フミに一階奥の和室へと通された。
「それじゃあ、私はこれで失礼させてもらうわね。あとは好きにしてもらって構わないから」
「いろいろとありがとうございます」
「いいえ。それじゃあ――」
「あの、フミさん……」
立ち去ろうとする彼女の背に幹人は声をかけた。
「はい?」
「ここに来るまでのことなんですけど……」
幹人はこの家に到着してからずっと〝あのこと〟について、聞こう聞こうと思いながら、しかし卓治や佐山親子のことがあって機を逸していた。
あのこと――。
そう、それはあの奇怪な地蔵の群れについて。
「たくさんのお地蔵さまを見かけまして」
それを聞いた途端、柔和だったフミの表情が急激な強張りを見せた。
「あの、えっと……」
彼女のそんな変化に幹人は戸惑ってしまう。
「それで?」
冷淡なフミの声が先が促す。
「あれはいったい何だったのかと……」
頭ではわかっているのだ。
地蔵がひとりでに動き始めるわけなどない、と。
あれは精神的な疲労が呼び寄せた幻覚、あるいは錯覚の類いでしかないのだ、と。
けれど、あれだけの数の地蔵が並んでいる、その現実には何かしら意味があるように思えてならない。
フミは表情を一切動かすことなく、まるで祈りでも唱えるかのように呟く。
「お地蔵さまは私たちを守ってくださっている。導いてくださっている」
「え?」
「神さまのようなものなのよ」
「それは……、えっと。道祖神や地蔵菩薩のような?」
「ええ、そう」と、彼女は頷く。
「それにしてもあれだけの数というは……」
「卓治さんも言っていたでしょう? この村がどんな村だったか。流れついた人たちは不条理な人生を送ってきた人ばかり。村の中でも病気や飢えで人は死んでいった。人はね、どう生きるにしたって心の支えが必要なのよ。この村ではその支えがお地蔵さまだった。信仰を持つ人たちが少し少しずつ増やしていって、それであれだけの数になったの。今ではもうお地蔵さまのほうが多くなってしまったけれど……」
つまりは――。
この村の信仰の対象は地蔵である、と。
そう、フミは言っているのである。
たしかに、日本各地において地蔵菩薩への信仰は広く知られている。
六道の苦行を身代わりしてくれる役割がそもそもの始まりだが、後に道祖神の信仰と交わってからは、子どもの守り神や交通安全の祈願、疫病からの守り手として祀られることも増えた。昔話において彼らに纏わる話が多く見られるのも、民間信仰としての広がりの大きさを示すものであると言える。
――が、たとえそうだったにしても。
それらは、常識的な考えの延長線上に存在する信仰でしかないはずだ。地蔵、それそのものが信仰の主たる対象として見られることは
「悪いものはお地蔵さまが追い出してくださる。我々を守ってくださる。良いものはお地蔵さまが村へと導き入れてくださる。だから、ここには良いものだけが、幸せだけが集まってくる」
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