16

 一六歳の誕生日がやってきた。


 いつものようにアイヴィーの手を握り、彼女の様子を眺めていたとき、ボクは偶然、机に隠されていたアイヴィーの手記を見つけてしまった。それは、ボクと出会ってから今までの思い出を書き綴ったもののようだった。

 意識が途切れがちで、手を動かすことも難しかっただろうに、その手記は、去年の分までしっかりと書かれていた。アイヴィーは変なところで生真面目だと思う。


 彼女の横たわるベッドに腰かけて、手記を読み、思わず懐かしさを感じたり、笑ったりしながら時間を過ごす。窓から差し込んでいた陽光が徐々に暗くなり、周囲が夜に包まれたとき、ふいに、アイヴィーが瞳を開けた。


 彼女はもう三か月間も眠りつづけていた。

 でも、今日だけは目を開けると確信していた。だってアイヴィーは、そういう人だから。


「おはよう、アイヴィー」

「おは……よう、ございます……ご主人様」


 彼女はロボットだ。それなのに、どうしてだろう? 彼女は、病人だけが見せるような覇気のない顔をしていた。本当に、人と区別がつかない。


「髪……伸びましたね、ご主人様。とても、似合っています」

「ありがと」

「今日は、何日……でしょうか? あれから、何日経ったのですか?」

「三か月経ったよ、アイヴィーが目を瞑ってから。今日は、四月一日」

「四月、一日……」


 どこか感慨深げにそう呟くと、彼女はかすかに笑った。


 それは、ボクが久しぶりに見る彼女の笑みだった。


「誕生日、ですね……。ご主人様の、十六歳の……。ご主人様、おめでとう、ございます」

「ありがと」

「……ご主人様、覚えていますか? この地方では……十六歳を迎えた子に、男児なら黒の革靴を、女児なら白いワンピースを、その子の親がプレゼントするって……」

「うん。覚えてる」

「……そこにあるクローゼットを、開けていただけますか?」


 そしてボクは、彼女の言うとおりに、すぐそばにあった木製のクローゼットを開けた。そこには、一着の白いワンピースが入っていた。


 知っている。知っていた。

 アイヴィーが、これを作っていたこと。


 これは、僕のために、アイヴィーが数年前から、たまに意識が回復したときに少しずつ縫い上げて完成させた、手製のワンピース。


「お誕生日……おめでとうございます、ご主人様……。わたしは、ご主人様の本当の親ではありませんが……。どうか、ご両親の代わりに、それを受け取ってくださ……」

「親じゃない……? それは、違うよ」


 次の瞬間、思わずボクは叫んでしまった。


「アイヴィーは、ボクにとってのお母さんだよっ! ボクを拾って、ここまで育ててくれた! 調子の悪い腕と、足を無理やり動かして、ボクを育ててくれた! それが親じゃなくて、何だって言うの!?」


 初めて見せるボクの激高した姿に、彼女の瞳が大きく見開かれる。


 ぼろぼろと涙がこぼれた。

 溢れ出る決壊した感情とともに、涙がどうしようもなく流れて、地面へと何滴も落ちた。


「ロボットだから!? メイドだから!? 関係ないよ! ボクにとって、アイヴィーはお母さんなんだよ! ボクにとって、たった一人の……この世で、一番大切な、お母さんなんだよ!」


 その言葉に、アイヴィーは戸惑いの表情を浮かべて、小さく呟いた。


「でも、ご主人様……」

「ご主人様じゃないっ! ちゃんと、ボクのことを名前で呼んでよ! お母さん!」


 アイヴィーの瞳から、一筋の涙が流れおちた。


 それが奇跡であるのか、人間を模して造られたロボットの機能なのかはわからない。でも確かに、彼女の瞳からは、次々に涙が溢れ出はじめた。


「……メル」


 と、美しい顔をくしゃくしゃに歪めながら、彼女は語った。


「……貴女を拾ったとき、一緒に入っていた手紙。そこに……書いてありました。貴女の名前――芽瑠。ずっとずっと、調べていました……。名前の、意味。芽は……芽吹き。貴女とわたしが出会った季節のこと。瑠は……瑠璃色……貴女の、その美しい青色の瞳を意味する言葉……」


 ボクは涙を流しながら、彼女の手を握った。彼女の手は相変わらず冷たかった。でも、この手が好きなんだ。


「メル……。貴女が、わたしを親だと認めてくれるなら。どうか、歌ってください。わたしに……最後に、貴女の歌を聴かせてください」

「……っ! お母さん!」


 そして、ボクは歌った。

 かつて彼女に教えてもらった歌を。彼女とともに歩んだ歌を。


 その間、彼女は今までのことを本当に幸せそうに、大切な宝物を一つ一つ取り出すかのように、ぽつりぽつりと語った。それは、今だから笑えるボクの昔のやんちゃ話だったり、ボクが風邪をひいてしまったときの話だったり、苦労した話だったり……。

 どうしようもなく、ボクへの愛があふれるお話の数々だった。


 彼女の意識が消えるその瞬間まで、ボクたちは他愛もない昔話に興じつづけた。


 そして気がついたころには、彼女はもう動かなくなっていて。

 ボクはそれでも、彼女の手を握って歌い続けた。

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