ジョロキアに誘われて

 最近はバーというものによく行く。

 ここは近所で見つけた、いわゆる隠れ家的なバー『カオスクラブ』。

 さっと一杯やるのもいいし、あえて深酒してしまうのも悪くない。仕事終わりの時間にはちょうどいい。

 だがこのバー――


 スッ―――ガシャーン

 砕け散るカクテルグラス。


「こちら、あちらのお客様からです」


 スッ―――――――ガシャーン

 増える砕け散ったカクテルグラスの破片。


「こちら、当店からのサービスです。……何故受け取っていただけないのでしょうか?」


 カウンターの奥にいる女性客も小首を傾げている。

「なんで?」じゃねえよ。明らかにヤバイ赤色してるだろ!


 このバーは何かがおかしい。


「これ、あれでしょ? 飲んだら魂までお休みしちゃうやつ……名前はそう」

「ハバネロです」


 女性客の方をみると「ハ・バ・ネ・ロ」と口をパクパクさせている。


「嘘をつけ。とりあえずいつものを」

「少々お待ちを」


 そう言うとライムを切っているこのマスター、見た感じでは恐らくだが50後半から60代。細身の黒ベストが良く似合う物腰の柔らかな老紳士だ。

 当たり前だが馴れた手付きで軽くステアをすると、こちらにグラスを差し出す。


「どうぞ、ジントニックです。ご一緒にハバネロはいかがですか?」

「ポテト感覚か!」


 女性客の方をみると「ポ・テ・ト・だ・よ」。

 いやハバネロだよ。今のやりとり絶対聞こえてたよね?


「お客様はジョロキ、ハバネロカクテルはお飲みになられませんか」


 マスター、今ジョロキア言いかけただろ。

 さらっと何を飲ませようとしてるんだ。


「なられませんねぇ」

「それは残念」



 ――カランカラン

 ドアが開く。新たな来客の音だ。


「これはこれは、いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」

「ふう。今日も疲れた疲れた」


 どうやらこの店の常連客のようだ。よれよれになったスーツが目につく、くたびれたサラリーマンといったところだろうか。


「じゃあアレくれる?」

「かしこまりました」


 と言うとマスターは見慣れたあれを差し出したではないか。

 明らかにヤバイ色のアレだ!


 男性客は「そうそう、これこれ」と言うとあろうことか一気に飲み干した。

 お客様、それ対人兵器ジョロキアですよ!?


「ぷはぁ、うまいねぇ! 仕事終わりの一杯ってやっぱり最高!」


 あれ、実はそこまでヤバくないやつなのか……?



「それじゃ、マスター。ここに勘定置いとくからね。ご馳走さん!」

「いつもありがとうございます。お気をつけて」


 あれからと言うものの、俺はあの真っ赤なカクテルが気になっている。

 試してみるか? いや……。


「難しい顔をされておりますね。何か悩み事でも?」


 その様子を見てかマスターが声を掛けてきた。


「いや……あれって普通に飲めるものなのかと思って」

「ではお試しになられてはいかがでしょうか」

「飲んでぶっ倒れたりとか、今までそういう事はなかった?」

「さぁ……? 私にはわかりかねます。なにぶん老眼なもので」


 このマスターは実に掴みどころがない。これだけで判断するのは危険だろう。

 先ほどの女性客のほうに視線を向ける。

 ウィンクからの「ラーメンたべたい、マシマシで」。

 この女が本格的に当てにならないことだけはわかった。



「どうぞ、ジョロキアです」


 もう隠す気もないのねマスター、ジョロキア言っちゃった。

 改めて見るからにヤバイ色だな。

 だが俺も男だ、こうなれば死ぬ気でいってやる……!


「ジョ・ロ・キ・ア・だ・よ」


 トマトだったよ。

 おかしかったのはこの店ではなく俺の頭だったのか?

 いや、そんなことはどうだっていいか。またこの店に立ち寄ろうと思う。

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