第12話 ドンさんとゴッドファーザー

「それにしても、行き過ぎた禁煙ファシズムは困りものよねえ」


 ラ・シャットさんは、ふと言う。


「わずかなリスクファクターを過大評価して、その人の前で吸わない人ですら、サードハンドスモークがどうなどと言って嫌う人たちがいる。

 実際にはそのリスクなんてあっても微々たるもので、それを上回る糖尿病のリスクを、お菓子の食べ過ぎで抱えていたりするのにねえ」

「ひどいものですよね」

「ただ、中には共存を図る企業などもなくはないみたいねえ。

 喫煙者は喫煙中休憩している、という不満に対して、非喫煙者の余分な休暇を認めたところ、その企業では嫌煙家の割合も減ったという話を聞いたことがあるわ」

「なるほど。興味深いですね」

「ええ。大事なのは、愛煙家をどこかに押し込めてしまうのでも、毛嫌いするのでもなく、愛煙家と吸わない人が共存する道を探すことねえ」


 妖精さんとそんなことを話していると、チリンと鈴が鳴って、40代ぐらいの恰幅のいい紳士が入ってきた。


「あ、いらっしゃい、ドンさん」

「今日は取引の交渉が難航して大変だったよ。妖精さん、いつもの流してくれ」

「了解」


 彼は、そう言うと、奥のテーブル席の、ふかふかとした椅子にどっかりと腰を掛ける。


 妖精さんは、Moon Riverを流していたレコード盤を、別のものに取り換える。


「そう、これがいいのだ」


 流れてきたのは、映画『ゴッドファーザー』の愛のテーマ。だが、オリジナルではなく、女性がイタリア語で歌っているようである。


「Parla piu piano、イタリア語で『もっとやさしく話して』という意味の曲だ。

 この曲は、各国で歌詞付きになっていて、英語版ではAndy WilliamsがSpeak softly love、日本でも尾崎紀世彦がそのまま『愛のテーマ』として歌っている。

 更に、映画『ゴッドファーザー3』では、シチリア語版の歌詞付きで歌われるシーンが挿入されている。中々、興味深いだろう?」


 そう語りながら、ドンさんは、おもむろに太い葉巻を取り出す。


「妖精さん、いつもの頼むよ」

「了解」


 しかし、いつものMoon Riverから、流れる曲すら変えさせてしまうこのドンさんは、いったい何者なのだろうか?


 私が抱いたその疑問を察したかのように、妖精さんは話す。


「この人、ドンさんは、とある企業の社長さんでねえ。私のこのお店、Smokin' fairyの出資者でもあるのよ。

 だから、曲のリクエストぐらいは、応じるのも筋というものじゃないかしら?」


 出資者にして大口の顧客だから、多少の自己主張は許す、という訳か。だが、Moon Riverに代わって流れるイタリア語の愛のテーマも、また独特の落ち着きを与える。


 ドンさんは、マッチを擦り、葉巻の先にかざし、じっくりと火につけている。


 少しマッチを離して、点火の様子を確認してから、ゆっくりと口にくわえて、一口吸う。


 そして、マッチの火を消して、やっと私に気付いたかのように、向き直って、言った。


「ほう、今日は新顔がいるのか。なら、簡単な葉巻の話でもしようか」


 その間に、ウィスキーにアマレットを加えたロック・カクテルを作っていた妖精さんは、ドンさんのテーブルにこれを差し出す。


「お待たせしました。ゴッドファーザーでございます。どうぞごゆっくり」


 妖精さんから差し出されたゴッドファーザーを一口すすってから、ドンさんは、言った。


「葉巻、あるいはシガーとも言うがね、これは、タバコの葉をタバコの葉自身で巻いたタバコなんだ。

 キューバ産が有名だが、冷戦時代にアメリカとキューバが断交した影響もあって、ニカラグアやコスタリカさんのものなんかもある。更に、格安な小型の葉巻、シガリロなどになってくると、中南米を離れた全く地域で作られているものもある。

 一時期コンビニに置かれたものの、すぐあまり見かけなくなった一箱250円の超格安銘柄、フォルテなんかはインドネシア産だ。

 だが、長い時間、ゆっくり楽しむことこそが葉巻の醍醐味の一つだから、じっくり吸いたいのなら、小型のシガリロよりも、本格派のシガーを吸うことをお勧めするね」

「なるほど」


 私がそう言うと、ドンさんは一口、ゆっくりと吹かしてから、手に持っていたシガーを置いて、言った。


「紙巻に比べて長く楽しめる分、実は作法もいくつかある。今宵は、シガーの吸い方から話していくとしようか」

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