第10話 リスク評価の詭弁とラッセルのパイプ

 センニンさんは、語り始める。


「よく言われているのが、喫煙には健康上のリスクがあるという話だ。それ自体は、膨大なデータが出ている以上、確かに間違ってはいないのだろう。

 だが、そのリスク評価には、いくつか誤り、あるいは詭弁が含まれているんだ」


 妖精さんが、興味を示す。


「なるほどねえ」

「例えば、『喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。疫学的な推計によると、喫煙者は脳卒中により死亡する危険性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります。』などという警告文があるが、喫煙のリスク評価の殆どは、このように、全ての喫煙者を一緒にまとめている。

 喫煙者の中でも、タール1㎎のライトな銘柄を一日1本しか吸わない人もいれば、ショートピースやガラムのような強い銘柄を何箱も吸う人もいる。そもそも小生のパイプのように、紙巻以外を吸う人もいるし、肺喫煙する人もいれば、ふかししかしない人もいる。

 吸い方や吸うたばこによってもリスクが変わるのは当然のはずなのに、それらのデータがないから、全てをごちゃまぜにしたいい加減なリスク評価がまかり通っている。

 だから、あの数字は、真のリスク評価の指標にはならないんだ」


 そう言って、センニンさんはバーボンを一口啜る。


「本当に健康上のリスク評価を行いたいのであれば、最低限、摂取タール・ニコチン量ベースの統計は必要だろう。

 だが、その程度の詳細さや精密さを持ったデータですら、流通する可能性は低そうだ。せいぜいが、喫煙開始年齢ベースでの評価ぐらいであって」

「なるほど」

「だから、結局のところ、我々が今抱えているリスクというのは、実際にはよく分からないのだ」


 確かに、喫煙者全員を一緒にまとめて評価する限りにおいては、そのリスク評価が正確ではないのは確かだろう。


 今度はパイプを一口吸って、センニンさんは続ける。


「そもそも、ネイティブ・アメリカンたちが戦い前の気付けなどにタバコを使っていたころには、タバコによる特別なリスクはなかったという話もある。

 タバコがリスクファクターになったのには、確実にその楽しみ方も影響しているだろう。

 しかも、現在流通しているデータの結構な割合は、タバコが健康にいいと思われていた20世紀中ごろまでに吸い始めた、古いヘビースモーカーの追跡調査になっている。彼らほどには本数も強いものも吸わない現代の平均的な喫煙者が抱えているリスクは、古いデータ上の喫煙者よりは、軽いはずだと言って良いだろう。

 むしろ、警告表示を毎回見せられるストレスによる健康被害の方が、厄介かもしれない。その辺も考慮した調査結果を出して欲しいものだがね」

「なるほど」

「まあ、とにかく、そんなわけで、データにはいくらか詭弁が含まれている。どのみち人はいずれ死ぬわけだし、自らがタバコを愛しているのなら、好きな吸い方で、好きなだけ吸えばいい。

 健康上は、多少のリスクがあるという点だけ認識したうえで吸う限りは、それで十分だろう」


 そう述べて一息ついたセンニンさんは、続ける。


「世界の非核化を望んでラッセル・アインシュタイン宣言を出した二人、バートランド・ラッセルと、アルバート・アインシュタインの二人も、パイプの愛好家で、しかも長命だった。

 特にラッセルは100歳近くまで生きたけど、彼はインタビューでこうも語っている。『喫煙によって救われたことがある』と。

 彼は飛行機事故に巻き込まれたが、喫煙席にいたおかげで助かったという逸話を、かつてのBBCのインタビューで語っているんだ。

 そんなことも起こる訳だから、結局リスクは確率の問題でしかないし、自分自身に実際にそのリスクが襲い掛かるかは分かったものではない。むしろ、吸わない結果として別のリスクを受けることになるかもしれない。

 確率がどうであろうと、小生や君たちの個人的人生がどう転ぶかは、それ自体によっては指し示されない。

 だから、タバコを愛しているのなら、リスクは一応あることは知っておくにしても、気にしすぎないことが一番だ。まあ、これはお酒でも同じことなんだけどね。アハハ」


 自由奔放に生きるセンニンさんらしい考え方だと思いつつ、私は、それを聞いて、何となく安心感が得られる気がした。


 今宵もオードリー・ヘップバーンの歌うMoon Riverが、そんな安心感を優しく包み込むように、ゆったりとした時間を流れていく。

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