第9話 作家のセンニンさんと編集者の私

 正直に言うと、私は、このセンニンさんこと珍聞感文先生が、あまり好きではない。


 編集者として接していると、この人はよく昼間から酒を飲んでおり、進行中の連載の締め切りも、どんなに尻を叩いたところであまり守ってくれない。

 しかも、だからと言って書かれた作品が面白いかというと、小難しくて理屈っぽいので、そうでもない上に読みづらい。


 個人的には連載打ち切りにした方がいいのではないかと内心思っているが、編集長の話だと、あの難解な文体や表現にもコアなファンがいるらしく、現時点では連載をやめる気はないのだというから、担当者にさせられた私としては、なかなか相手にするのに苦労する作家の一人である。


 まあ、私が編集に携わっている文芸雑誌は、多かれ少なかれ既に有名なベテラン作家ばかり相手にしているためか、そもそも扱いが楽な作家など、ほとんど一人もいないといって良いのだが…。


 そのセンニンさんは、パイプを取り出し、葉を詰めて、マッチで火を点ける。そして、一服吸った後、妖精さんに向かって言う。


「いつもの頼むよ」

「了解」


 妖精さんは、ケンタッキー産のバーボンウィスキーのボトルを取り出し、ロックグラスに注いでいく。


 センニンさんは、ゆっくりと、一口ずつパイプを楽しんでいる。こうして傍から見ている分には、渋いグレーの髪がよく似合うのだが…。


「ときに、オサム君は、どのようにしてここを知ったのかね?」


 適当にお茶を濁そうと思った。


「たまたまネットで見かけて…」

「それはないね。このバー、Smokin' fairyは、あらゆるウェブサイトへの掲載を拒否しているから」


 即答で遮られて、改めて思う。この人は、頭の回転は恐ろしく速い。

 にもかかわらず、自由奔放に遊び過ぎているから、作家としての仕事には遅れる。昼酒と遊びさえやめれば、30年前のように、再び大ブレイクするかもしれないのに、どうしてそうしないのだろうか。


 彼は続ける。


「それに、こんないい穴場を、わざわざ教養も落ち着きもない野暮な連中に広めようとする馬鹿な客も来ないから、SNS上に流れているという話もないだろう。

 ここの常連は、みんな紫煙を愛する、知識も豊富な愛煙家たちだからね。

 たまたま街をぶらついているうちに、紫煙を纏う妖精の魅力に吸い寄せられるように引き付けられたい真の愛煙家だけが、このお店にやってくる。小生もそうだった」


 そういうものなのか、と思い、私は正直に話すことにする。


「編集の仕事が大変で、その上失恋も重なった時に、ふらりと飲みに行く場を探して見つけたのです。今日は、まだ二回目ですが、世界は狭いものですね。まさか、センニンさんとして、珍聞感文先生にお目にかかるとは、思ってもいませんでした」


 センニンさんは、普段仕事場では見せることのない穏やかな笑みを浮かべて、言った。


「そうか。大変だよな、編集者は。

 特に、オサム君が編集している文芸雑誌は、老舗もいいところだから、相手にすべき作家も癖の多いベテランばかり。大方、それを愚痴る場所を彼女に求めていたのに、それも行き詰まって、流れ着いたのがここというところかな?」


 ミステリー作家であるセンニンさんは、僅かな情報から、次々に私のことを言い当ててしまう。

 図星ではあったが、自分自身を棚に上げてのんびり語るセンニンさんを見ていると、どこか腹が立ってきた。


「あなただって、その一人でしょうに」

「アハハ、まあ、そう言うなって。昔から言うだろう、待つ身がつらいか、待たせる身がつらいか、ってね」

「今は文芸業界もそんなに余裕がないのです。そんな呑気なことを言っている場合じゃありませんよ」

「そう言うなって。そんなんじゃ、新しい仇名は新菊斎になってしまうぞ?」

「とにかく、作家と編集長の間で板挟みになっている私達のことも、少しは考えてくださいよね」


 すると、センニンさんは一息ついて、言う。


「分かったよ。このお店の常連仲間である訳だし、オサム君、君の所への連載だけは、君が編集者である限り、締め切りまでに書くことを約束しよう。

 だから、落ち着いてくれるかな?」


 諭すように言われて、思わぬ形で大人としてのセンニンさんの器を見せつけられた私は、何ともやり場のない気分になる。

 これまでの苦労が思い返され、ぶわっと涙が滲み出るのを、素早く拭って、私は精一杯の笑顔を作って、言った。


「できるなら、私のところ以外の締め切りも、ちゃんと守ってあげてくださいよ?」

「アハハ、そうだな。できる限りのことはするとしよう」


 そこで、妖精さんが、用意していたロックを持って、口を挟む。


「お待たせしました。いつもの、ロックでございます。どうぞごゆっくり、センニンさん」

「ありがとう。さて、今日は何の話をしようか…。

 若いオサム君もいることだし、喫煙と健康の話でも、させていただくとするかな?」

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