第2話 妖精さんはマッチがお好き
バーテン「妖精さん」が差し出したマッチで吸ったバットは、これまでとは段違いにうまかった。
これでも、ジッポのそれなりにいいライターを使っていたのだが、ライターと異なり、油のにおいが混じらない。
それに、タバコに火を点けるときに漂う、焼けた木の香りにも、これまた独特の風情がある。
「あなたも、気に入ってくれたようだねえ。マッチはいいでしょ?」
「ええ」
「まあ、この頃はマッチの良さを理解する人が減ったのか、殆どのコンビニではライターしか置かなくなったけどねえ」
「ですね。スーパーや100円ショップだと、意外にマッチを置いてあるところもありますが、それでも、今となっては、マッチで吸う人は、喫煙所でも極たまにしか見かけません。
結局、エコノミックアニマルとも揶揄される日本人にとっては、点火回数当たりの値段が安上がりなライターの方が好まれるのも、自然な帰結でしょう。
マッチの方がライターよりも風に弱いので、屋外喫煙所の多いこの頃では、それもあって流行らないのは、やむを得ないことなのかもしれません」
私がそういうと、彼女はかすかにため息をついて、言う。
「たまには外気に当たって吸うのもいいと思うけど、少なくとも腰を掛けるところは欲しいわね。喫煙は、くつろぎの時間。
それに、タバコは、ニコチンじゃなくて香りを楽しむものなのよ。
いくら紙巻の一本がすぐ燃え尽きてしまうものだとしても、今の日本人は、あまりにもせっかちすぎるわ。立って、せわしなく吸って、そのままそそくさと立ち去らなければいけないなんて」
確かに、思えば喫煙は、喫茶と同じで、本来はゆったりのむものであろう。
「しかし、それも、煙管以来の伝統かもしれませんね」
「まあ、煙管はほんの数口で終わってしまうからねえ。
でも、あれはあれで、味わうという意識があるじゃないの。
今の喫煙者は、『ライト』や『マイルド』を吸って、脇から煙を逃がして中途半端な健康志向を振りかざしたり、安っぽい駄菓子の人工甘味料や人工香料にそっくりな、あの『メンソール』味とやらに移行したりして、この美しい紫煙の香りを楽しもうという気が感じられない。
ライターが流行るのも、せっかちな喫煙スタイルになっていくのも、その象徴だわ」
私が入ったお店は、どうやら本当に愛煙家の集まるバーなのだろう。
この妖精さんからして、独自の喫煙哲学を持っているようであるのだから、間違いはあるまい。
私は、ふと思ったことを口にする。
「ニコチン目的の喫煙スタイルでは、それこそ自らニコチン中毒だと誇示しているようなものですよね」
話しながらも穏やかな笑みを崩さない妖精さんだが、その笑みが少し明るくなったような気がした。
「そうそう。
昔のピース党なんかは、いや、ハイライト派のブルーカラーでさえ、そのあたりはよく分かっていた。
だから、しっかり煙草の味を楽しむスタイルだけは、どんなに身体が性急にニコチンを欲していても保っていたものよ。
それが、今じゃ、その気概も感じられない。
残っている喫煙者は、愛煙家とただの中毒者の区別もつかない自称愛煙家や、斜に構える小道具程度にしか考えないで吸っている似非愛煙家、それに、社会の顔色伺いながらコソコソしているゲリラ喫煙者ばかりよ。
寂しいものねえ」
今度は、その笑みに若干の影が差す。
黙々とJPSをくわえ直す妖精さん。
電球の光に照らされた煙は、確かに紫がかっている。紫煙とはよく言ったものだ、と初めて気づく。
私は、自分の考えを述べる。
「禁煙運動のせいで、喫煙者はどこか世間に媚びざるを得なくなりましたからね。
一つの文化である以上、この頃のマイノリティー運動などと同様、愛しているのであれば、声高に言えるようにしたいものですが」
「そうねえ。でも、それを声高に口にしたら、マイノリティーは怒るでしょうね。健康被害を及ぼし得るあなたたちとは一緒にされたくはない、って」
「それはそうかもしれないけど、私たちが自分たちの仲間内でのんびり吸っている場面にまでメスを入れて、やれサードハンドスモークだのと騒ぎ立てる嫌煙派のせいで、私達は嫌でも愛煙家であることに誇りが持てなくなってしまっています。
きっと、そうした圧力の中で、世間に対して卑下しているうちに、愛煙家のつもりが、いつしかただの中毒者に成り下がってしまうのでしょうね」
妖精さんは、微かにうつむいたまま、それでも、笑みは崩さずに、言う。
「悲しい話ねえ」
確かにそうだが、にも拘らず、私は、もっとこのお店にいたいと思い始めていた。
愛煙家の端くれには入ると思っている私にとっては、このお店は、不思議と心地よいのだ。
Moon Riverが変わらず、ゆったりとした時間に沿って流れていく。
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