第十七章

 休戦宣言から二日。休憩時間で賑やかになっている教室の中で一人、その喧騒とは不釣り合いな深刻そうな顔を浮かべている亜華音がいた。

「謎だ……」

「どうしたの、亜華音。変な顔して」

 そんな亜華音の様子に気付いた美鳥が亜華音のそばに寄り、にやりと笑いながら声をかける。亜華音はむっと頬を膨らませて美鳥を睨む。が、その表情にはいまいち迫力はなかった。

「変な顔じゃない! ちょっと不思議に思って」

「不思議?」

 美鳥が聞き返せば、亜華音はこくりと頷いて自分の疑問を美鳥に言う。

「休戦宣言。何で崎森先輩と宇津美先輩はすんなり休戦を受け入れたんだろう?」

 ナナコから出た休戦宣言を芳夜が受け入れた。その理由が未だにわからず、亜華音の頭の中の疑問を占めていたのだ。それを聞いた美鳥は少し思考したが、あの時の状況を思い出せば答えを出すのは容易だった。

「あの状況で戦うのは互いのためにならないからでしょ。お互い体力もすり減ってたし、……あたしもあのまま戦うのは無理だったかな」

 美鳥は芳夜と対峙したときの事を思い出す。ナナコを攻撃しようとする芳夜を見た瞬間、怒りに任せて攻撃した。しかし冷静に考えれば芳夜に敵うはずもなく戦闘を続ければ美鳥が負けるのは目に見えていた。そんな冷静さに欠けていた自身の事を思い出して、美鳥は小さく息を吐きだした。

「なるほど……でも、二人とも戦おうとしないんだね」

「まだ二日しか経ってないでしょ。魔法を使えば体力もかなり持っていかれるし、亜華音だってあんな魔法使ったんだからきつくなってない?」

 美鳥に問われた亜華音はぱち、と瞬きをする。その亜華音の反応に美鳥が「ん?」と小さく声を漏らして首を傾げる。

「何、その顔?」

「いや、魔法を使うってそんなに疲れることなのかなって」

「え?」

「私、全然感じたことないから。そんなに疲れるものなのかな?」

 首を左右に傾けてみたり、肩を押さえて腕を回してみたりと自分の身体の調子を確認する亜華音だったが、特に変わった様子はなかった。一方の美鳥は自分の身体の内に蓄積されている疲労を身をもって感じていた。きっと、亜華音はまだアカツキに行ったばかりだから、個人差はあるのだろうと納得させていた。

「まあ、いいけど。で、さっきの説明で亜華音も理解できた?」

「うん! 頭の中にあった問題が解決すると、頭が軽くなる感じするよねー!」

「……そう、ね」

 にこにこと満面の笑みを浮かべながら言う亜華音に対して美鳥は苦い表情を浮かべる。

――問題は何一つ解決していない。

 今、自分の目の前にいる亜華音は時雨を消そうとする『赤月』でも時雨を手に入れようとする『レッドムーン』でもなく一人で時雨を守ると宣言したのだ。ただでさえ美鳥の所属するレッドムーンが時雨を手に入れられていない現状があるというのに、新たに敵対する存在が現れるのは厄介で――それが、目の前の友人だという現状は美鳥にとっては大きな問題だった。

「……美鳥?」

 ぼんやりとしているような美鳥の表情を見て、亜華音は心配そうに声をかけた。考えにふけっていた美鳥ははっと顔を上げて、小さく首を振った。

「ううん、なんでもない。そろそろ先生来るだろうから、あたし席に戻るね」

 美鳥は亜華音に手を振り、自分の席に向かった。


 授業中、亜華音は窓の外を見つめていた。ぼんやりとした表情で空を見つめ、授業の内容は相変わらず頭の中には入ってこない。

「アカツキ……、時雨さん……」

 窓の向こう側の空は青い。けれど、二日前までは今の青空とは真反対の、真っ赤な空の下で戦っていたのだ。現実味を帯びていない出来事だったが、あの時感じた緊迫した空気や向けられた敵意、剣を握った拳に込められた力、震える腕――どれも、本物だった。

「……私、は」

 そして、そこで亜華音は『時雨を守る』と言った。透から、沙弥から向けられた刃の先には間違いなく自分がいた。正しい決断をしたと亜華音は考えていたが、それを否定する強い意志を感じていた。

「間違ってたのかな……」

 ぽつりと呟いた後、亜華音は視線を窓の外から黒板に向ける。いつの間にか授業は進んでしまっていて、黒板に書かれている内容についていけなかった。どう見ても黒板に書かれているのは今開きっぱなしになっている教科書の部分ではないと察して亜華音は慌てて教科書を捲る。

「亜華音」

「え?」

 隣の席の小春が、人差し指で亜華音の腕を指でつついて小さく声をかける。気づいた亜華音が小春に視線を向けると、小春は小さく折りたたまれた紙を亜華音の机にそっと置いた。

「あんまりぼーっとしてちゃ、だめだよ」

「うん、ありがと」

 小声でやりとりをした後、亜華音は黒板の前で説明をする教師に見つからないように、紙を広げる。

「……美鳥」

 緑色のペンで、『集中せよ!』の文字と教科書のページが書かれていた。誰から、と言われなくてもわかるその丸文字に、亜華音は頬を緩ませた。再び黒板を見て、手紙に書かれていたページを開けばようやく内容が一致した。慌てて黒板の内容をノートに書き写す亜華音を見て小春はふっと笑った。

 授業が終わり、休憩時間に入ると再び美鳥が亜華音の元にやってきていた。

「感謝してよ、亜華音。あのメモなかったらどこのページ開けばいいかわからなくなってたでしょ」

「ありがとうございます、美鳥さま!」

「お礼はデリシャスチョコパンでいいわ。久しぶりに食べたいし」

 美鳥が名前を出したパンのことを思い出しながら「ああ、おいしいよねー」と亜華音は頷いていたが、金額を思い出してはっと冷静になった。

「ちょっと待て美鳥?! あれって、三百円もするじゃん! 高いじゃん!」

「あら、あたしの手紙にはそれ以上の価値があると思うけど?」

「友情はプライスレス……」

「ふっ」

 亜華音と美鳥のやりとりを聞いていた隣の席の小春が我慢しきれず、とうとう吹きだして笑った。その声を聞いた亜華音と美鳥が小春に顔を向ける。

「小春ちゃーん? もしかして、今、笑ったりしたかしら?」

「ごめんごめん、つい。だって、二人とも可笑しいから」

「何が可笑しいの! こっちは真剣なんだよ?!」

 必死な剣幕で言う亜華音に、今度は美鳥がぷっと吹きだした。それから美鳥と小春は顔を合わせて笑った。そんな二人の反応に納得できない亜華音が反論の声を上げる。

「ちょっと?! 二人とも笑わなくていいじゃん!」

「だって、亜華音の顔……面白くて……!」

「その顔はずるいわよ、亜華音。アホっぽくて可愛いわー」

「あっ?! 美鳥いま、アホって言った!!」

 美鳥の言葉に亜華音が声を上げる。そんな二人を見て、また小春が腹を抱えて笑った。


 すべての授業が終わった後、亜華音は教室を出てある場所に足を向けていた。

「……行っても、いいよね。戦うわけじゃ……、ないし」

 言い訳じみた独り言を言いながら、亜華音は特別教室が入っている別棟へ向かう。部室棟から離れていることもあって、放課後はどこよりも静寂に包まれている。廊下を歩く亜華音の足音がやけに響いて聞こえる。そして、亜華音は目的の場所――図書室にたどり着いた。

「誰も、いないよね……」

 亜華音は図書室の扉にそっと耳を当てて、中の音を聞いた。誰かがいるような声や音はしない。小さく息を吐いた後、亜華音は覚悟を決めて扉に手をかけて、ゆっくりと開けた。

「亜華音、来たのね」

 中から聞こえてきた声に、亜華音の胸の奥が高鳴った。

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