第十四章

 聞き慣れたアラームの音。閉ざされた瞼の向こう側から感じる、カーテンの隙間から入る陽の光。

「う……うぅ……」

 唸るような声を口から漏らしながら、亜華音は布団の中から手を出す。ベッドの隣にあるタンスの上に乗せた目覚まし時計は、亜華音の指先に当たって床に落ちた。ごと、という音を聞いて、ようやく亜華音は身体を起こした。

「ふあ……」

 あくびをして、亜華音はベッドから出る。カーテンを開ければ、朝の陽ざしが部屋の中に入り込んだ。寝癖が立ったままの亜華音は洗面所に向かって、鏡を見た。

「……いつもと、おんなじ」

 鏡に映り込む自分の姿はいつもと何一つ変わらない。けれど、亜華音の頭の中では昨日の出来事が再生されていた。


 赤い月が浮かぶ空間、アカツキ。そこで出会った図書室の亡霊、時雨。そして、時雨を巡る戦い。

 初めて向けられた敵意の視線。初めて向けられた嫉妬の瞳。笑顔の瞳の奥に閉ざされた感情。そして、唐突な休戦宣言。


 昨日までの出来事を思い出しながらもまだ実感がない亜華音は呆けた顔のままで寝癖がついた髪を何度もブラシで梳いていた。

「そんな気の抜けきった顔してたら、また幟先生に怒られるわよ?」

「う、わぁ?!」

 突然の声に、亜華音は驚きで大声を上げた。慌てて亜華音が振り向けば、そこにいたのはしっかりと髪も整えて制服を着ている美鳥だった。

「み、美鳥?! 何でここにいるの!」

 学生寮はすべて個室で、この部屋に自分以外の誰かがいるはずがない。突然現れた美鳥に亜華音が動揺した様子を見せると、美鳥は呆れたように大きなため息を吐き出した。

「チャイムも鳴らしたし、ノックもしたし、声もかけた。でも亜華音、全然反応しないから心配になって入ってあげたんですけど?」

「ああ……ごめん」

「そんなにぼーっとするんじゃない」

 美鳥は親指と人差し指を立てて銃の形を作り、亜華音を指す。にや、と不敵に笑う美鳥がいつもと同じで安心した亜華音だったが、昨日の事を思い出して表情を曇らせる。

「……亜華音?」

「ねえ、美鳥。美鳥は、私の友達だよね?」

 唐突な亜華音の問いに、美鳥はぱちりと瞬きをする。亜華音は曇った表情のまま言葉を続けた。

「美鳥は、『レッドムーン』にいるでしょ。だからその、対立する立場だから、その……どうなのかなって……」

「亜華音は、あたしにそう言う感じで接して欲しいの?」

「そ、れは」

 接して欲しい、というよりはそうなると思っていた亜華音は続きの言葉を失う。美鳥はまたため息を吐き出し、亜華音の両頬を思い切りつねった。

「い、いひゃい?!」

 亜華音が悲鳴を上げると、美鳥はぱっと手を離す。何が起きたのかわからない亜華音は涙が浮かんだ瞳で美鳥の顔を見た。

「亜華音のバーカ。あたしが、その程度であんたの友達やめると思ってんの?」

「へっ?」

「確かに、『レッドムーン』と亜華音は対立することになっちゃったけど、ここであたしと亜華音が仲良くすることは問題ないわよ。と、あたしは思うけど?」

 美鳥の言葉に亜華音は呆然とした表情で首をかしげた。

「えっと、それって、つまり?」

 亜華音の反応を見た美鳥はがくりと肩を落とした。顔を上げた美鳥の視線は、憐みの色が見えていた。

「……本っ当に亜華音って頭悪いよね」

「え?! そんな悪口ダイレクトに言う?!」

「人に恥ずかしいこと言わせた後に、『つまり?』なんていうなんて、いい度胸してるわよ……」

「恥ずかしいことだったの?!」

「ああ、もう! あたしと亜華音の友情に、組織の対立どうこうは関係ないってあたしは思ってる! オーケー?!」

 少し早口に言う美鳥の顔は赤く染まっている。一通りの美鳥の言葉を聞いて、ようやく亜華音は内容を理解した。理解した途端、亜華音も驚いたような顔をして、顔を真っ赤にさせた。

「うっわ、美鳥恥ずかしい! 何、そのくさいセリフ!!」

「あんたが言わせたんでしょ?! ああ、もう恥ずかしい! 早く教室行くよ!」

 美鳥は苛立ったように言うと、亜華音に背を向ける。それからさっさと歩き始めた。亜華音が「あ?!」と声を上げて美鳥を追いかける。

「待ってよ美鳥! 置いてかないでよー!」

「頭の悪い子の相手するほど、あたしは暇じゃないんですー」

「もー、美鳥のいじわるー!!」

 ばたばたと歩く亜華音と美鳥の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

 それはアカツキと、時雨と出会う前と何一つ変わらない日常の光景だった。

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