第三章

 黒板に白い線が走り、英字と数字が羅列する。チョークを持つ数学教諭が何かを言っている。そんな中、亜華音はぼんやりと窓の外を見ていた。外に広がる空は青く、雲は白い。少し視線を下に落としてグラウンドを見れば、どこかのクラスが体育の授業でソフトボールを行っている。

「千条、どこを見ているんだ?」

 すぐそばで声がしたので亜華音が声のほうを向くと、つい先ほどまで黒板にいたはずの教諭が亜華音のすぐ隣に立っていた。

のぼり、先生」

「何をしている? 私は、お前に質問をしたはずだけれど」

 数学の教諭であるのぼり晶子しょうこはにこりと笑みを浮かべて、けれど声色にはその笑みから発せられそうな穏やかさを全く含めず亜華音に言った。亜華音は慌てて黒板と教科書を見比べる。気付けば、亜華音が開いているよりも先のページの事が黒板には書かれていた。

「えっと、……わかりません」

「だろうな。では、千条のためにもう一度確認する。教科書の六十三ページ、例題三について――」

 晶子は黒板に向かって歩きながら、はっきりと通った声で再び説明をはじめる。亜華音は指定されたページを開き、例題をノートに書き写し始めた。


 昨日の出来事は、本当に夢だったのだろうか。

 亜華音は授業が終わった後も、ずっとぼんやりと窓の外を見つめていた。亜華音の視界に広がる青空とは全く違う、赤い月が浮かぶ真っ赤な空の空間。あの光景は夢や幻と言うには妙に生々しくて、一晩たった今でも忘れることができずにいた。

「亜華音、本当に大丈夫?」

「うーん」

「ねえ、亜華音」

「へー……」

「あーかーねーさーん?」

「あー……」

 美鳥が目の前にいるというのに、亜華音は美鳥に視線を向けることなく中途半端な声で返事のようなものをしていた。

「ダメだ、完全に世界ぶっ飛んでる」

「うーん……」

 あいまいな反応の亜華音に、美鳥が大きくため息を吐く。そのとき、教室の外がざわついたのに美鳥は気付く。

「あっ、亜華音いる?!」

「え? どうしたのよ」

 一人の生徒が慌てて教室に飛び込み叫ぶ。当の本人はぼんやりとして話を聞いていないようで、代わりに美鳥が事情を尋ねることにした。

「い、今、自治組織の……」

「失礼する」

 生徒が説明をはじめようと口を開いたとき、背後から別の声が上がった。美鳥の目がはっと大きく見開かれた。

「千条亜華音は、ここにいるか」

 騒がしかった教室がしんと静まる。そこでようやく亜華音は視線を教室の入り口付近に向けた。

「あ、なたは……!」

 そこにいたのは昨日、あの赤い空間で出会った女子生徒、透だった。透は教室を見渡して、亜華音の席に向かい歩き出した。美鳥は慌ててその場から離れた。

「千条亜華音」

「……はい」

「少し話がある。自治会室に来てもらいたい」

 透に見つめられた瞬間、また亜華音はびくりと震えた。鋭いなにかが、直接心臓に打ち込まれたかのような衝撃を感じた。

「わ、かりました」

「次の授業の教諭には千条亜華音は我々の元にいる、と伝えておいてくれ」

 そう言って、透は亜華音を連れて教室を出た。すぐそばで様子を見ていた美鳥は眉間に皺を寄せて去ってゆく二人の背中を見つめていた。


 唐突に連れられた亜華音は戸惑いを抱きながら、ただ透の背中を見つめるしかできなかった。

「私の背中に、何かついているか」

「えっ?!」

 亜華音のほうに顔を向けず、透は尋ねる。背中に目でもついているのか、と思った亜華音が声を上げると、透は視線をちらりと亜華音に向けた。

「痛いほど視線を感じる。何か、言いたいことでもあるのか」

「いえ、その……どうして、私を」

「心当たりはあるはずだ。そうでなければ、素直について来なかっただろう」

 視線を前に戻しながら、透は言った。その言葉は亜華音にとって事実であり、反論する言葉は何も出てこなかった。

「詳しくは、これから聞くこととしよう」

 透が立ち止まり、亜華音のほうを向いた。透の後ろにはドアがあり、上には『自治会室』というプレートが貼り付けられていた。

「ようこそ、学園自治組織『赤月あかつき』へ」

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