第二章

 先ほどまでいたはずの図書室から全く違う空間にやってきた亜華音は驚きを通り越して呆然とするしかなかった。

「夢? なら、どこから夢なの……?」

 頭を押さえながら、亜華音は歩き始める。一歩、二歩、三歩と足を進めていくが、周りに図書室のような風景どころか学校の校舎すら見える様子はなかった。赤い月が浮かぶ空は朝とも夕とも言えないような色味を帯びていて、歩きはじめてからどれほどの時間が経ったかわからなくなってしまっていた。

「誰かー、誰かいませんかー?」

 亜華音は辺りをきょろきょろと見回しながら声をかける。そんなことを繰り返していて、もう誰もいないのだろうかと諦めかけていた時だった。

「ふせて!!」

 突然の叫び声。亜華音が足を止めたと同時に、どん、と何かが爆発するような音が亜華音のすぐそばから聞こえてきた。音を認識したと同時に、亜華音の身体は地から離れて高く吹き飛ばされていた。

「きゃあああ?!」

 一瞬見えた地面は自分が想定している以上に離れていた。このまま地面にぶつかれば、大けがどころか死ぬかもしれない。受け身など取れるはずもない亜華音は、死を覚悟し始めていた。

「せめて……亡霊さん、見たかったなあ……」

 地面にぶつかる、と思って亜華音が目を閉じたとき。亜華音の身体は地面ではなく、柔らかな腕の中に落ちた。

「……え?」

 ゆっくりと亜華音は目を開ける。目の前に女性の顔があった。黒く長い髪、黒い瞳。美しい顔立ちの女性をみて、亜華音はぱちぱちと瞬きをした。

「あな、たは……?」

「どうして、ここに」

 亜華音が問うのと同時に、女性も口を開いた。が、その言葉は続かずに女性は亜華音を抱きかかえたまま、走り出した。

「え?! な、何?!」

「ごめんなさい、今は事情を説明できる状態じゃないわ」

 女性が言った直後、再び爆発音が響く。何が起きているのかわからない亜華音は、混乱したように辺りを見た。女性が走ると、その起動を狙うように音が響き、地面の砂が高く舞い上がった。どこから爆発されているのか、何が何故爆発しているのか、そして何故この女性が狙われているのか、亜華音は全くわからなかった。

「貴女、名前は?」

「え?」

 走りながら息を切らすこともなく女性が尋ねる。一瞬、誰に問われているかわからなかった亜華音はすぐに返すことができなかった。緊迫した状況のはずなのに、女性は穏やかな表情で亜華音の言葉を待っていた。

「えと、千条、亜華音です」

「亜華音。素敵な名前ね」

 柔らかく微笑みながら言う女性の言葉に、亜華音の頬は赤く染まった。きれいな人に名前を褒められるなんて、と喜んでいた亜華音だったが、直後に聞こえてきた爆発音でその熱くなった頬は一気に冷えた。そんな状況じゃない、と亜華音が思うと同時に女性も足を止めた。

「亜華音、降ろすわね」

 そう言って、女性は亜華音を地面に降ろした。改めて女性を見ると、自分と同じ暁翔学園の制服を着ている。下ろしている黒く長い髪は、さらさらと揺れていた。

「あなたは、一体……」

 女性は亜華音の呟きに気づいていない様子で、じっと目の前を見つめている。先ほどの爆発の影響で煙が立っているが、女性はその向こう側を睨むように見ていた。

「来る」

 女性が言うと同時に、煙の中から影が二つ現れた。そして、煙から抜け出した人物を見て亜華音の目がはっと開かれた。

「この二人……!」

 そこに現れたのは、先ほど亜華音が図書室で目撃した先輩だった。一人は目の前の女性同様黒く長い髪を高い位置で一つに結っているつり目の女子生徒。もう一人はふわふわとした茶髪の女子生徒で、左目に医療用の眼帯をつけている。

とおる

「ああ」

 透、と呼ばれた黒髪の女子生徒は茶髪の生徒の言葉に頷いた。

時雨しぐれ、お前を消しに来た」

「そう。貴女が終わらせるのかしら」

 女性――時雨は口元にわずかの笑みを浮かべて透に言う。二人の言葉の意味がわからず、亜華音は時雨と透の顔を見比べていた。そのとき、透の隣に立っていた茶髪の生徒が亜華音のほうに視線を向けた。

「透、そこに」

「何だ」

 透の鋭い視線が、亜華音に向けられる。その視線を受けた亜華音は反射的にびくりと肩を震わせた。まるで胸の中心を射抜かれたかのようなその感覚を、亜華音は生まれて初めて抱いた。

「……お前は」

「亜華音」

 透が口を開いたと同時に時雨が亜華音の名を呼んだ。直後、亜華音の視界が白く染まり始める。

「何?!」

 思わず叫んだ亜華音だったが、その声はどこかに届くこともなく飽和して消える。白かった亜華音の視界は、少しずつ黒に染まった。


***


 目覚めたとき、亜華音は図書室の床に仰向けに倒れていた。

「……あれ」

 図書室の独特のにおい。そして、夕陽が照らす薄暗い天井。亜華音は起き上がって、室内の様子を見た。つい先ほどまでと変わらない、誰もいない図書室の空間が広がっていた。

「やっぱり、今のは……夢?」

 呟きながら腕時計を見ると、そこにはきちんと針が存在していた。針が六時三十分示したと同時に、チャイムの音が鳴った。

『下校時刻になりました。校舎にいる生徒は窓とドアの施錠を行い、速やかに寮に帰ってください。繰り返します――』

 放送を聞きながら亜華音はぼんやりと窓の外を見る。何が起きたのかよくわからないまま、亜華音は図書室を出た。

 亜華音の足音が遠のいたところで、本棚の陰から2つの影が現れる。

「透。先ほどのあの子、どう思うかい?」

 先ほど、亜華音の前に現れた茶髪の眼帯の少女と黒髪の一つ結びの少女。眼帯の少女はどこか楽しげに一つ結びの少女、透に尋ねた。

「……時雨のことは、知らないようだった。それに、どれほどの力を秘めているかわからない」

「これからどうする?」

「簡単な話だ。我々と共に来てもらう」

 透は扉の向こう側を見つめて、はっきりと言った。

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