第2話 川から海へ

 翌日は雨は降りそうにないので、ぼくは雨傘を持たずに出かけた。

 朝から強く日が照っている。昼には暑くなりそうだ。

 探しものをしているのはルピナだけじゃない。ぼくもダルレスを拠点にしつつ南へ北へと足を延ばして探しているものがある。

 今日はルウーナ河沿いに歩いてみることにした。

 南東から吹き付ける風が、温暖さの中に涼しさを彩ってくれて気持ち良い。

 ルウーナ河の水面には小さな白いものが幾つも浮かんでいる。細い線形の葉が群生している水草の花だ。

 鶺鴒が草叢から飛び立って、空に浮かぶ白雲を横切るようにし北へと向かった。


「あなた、また会ったわね。奇遇ね」


 聞き覚えのある、昨日聞いたばかりの声に驚いて、僕は背後へ振り向いた。いつの間に出現したのか、白いワンピースの美少女、異世界人のルピナ・ゼファーがすぐ側に立っていた。


「こ、こんにちは、ルピナ」


「あなたの名前を聞いていなかったわね。なんていうの?」


 昨日ぼくが、自分の名を言わなかったのは、名乗る機会が無かったからだ。聞かれなかったから、言わなかった。でも、聞かれていたとしても結果は同じだった。


「ぼくは自分の名前を知らないんだ。名前どころか、自分がどこのどんな人物なのか全く分からない。一人ぼっちなので、ぼくを知っている人もいない。だからぼくは、名前を含めて自分探しをしているところなんだ」


「自分探し? それって、あなたくらいの年齢の、14歳とかの男の子が自意識をこじらせてかかる病気ってやつなの?」


「ち、違うよ。本当に名前も年齢も何も分からないんだって。」


 からかわれたのだろうか。少し気恥ずかしくて、頬が熱くなった。

 ルピナはぼくへの興味を無くしたようで、足下に視線を落とし、左右を見渡して黒猫捜索を再開する。でも、ずっとぼくに背を向けて、ルウーナ河の水面ばかりを注視している。


「さすがに川の中には黒猫はいないと思うよ」


「あのね、川面に、白くて円っこい小さいものが幾つも浮かんでいるでしょ。最初雪かと思ったけど、この暖かさだと雪なんてすぐに溶けてしまうだろうし。あれって何だか知っている? なんか、プリンアラモードに添える生クリームみたいだよね」


 同意を求められたが、あまりにもルピナの譬えが変なので、うなずくことはできなかった。


「あれはね、石晶藻っていう川底に生えている水草の花だよ。雄花と雌花があって、あの白いのは雌花なんだ」


 真ん中に黄色い蘂があって、その周囲に三枚ほど、白くて丸っこくて可愛らしい形の花びらがある。そんな小さな花が、潺湲と流れる川の水面のあちこちに浮いていて、暖かい日差しを浴びて微笑んでいるようだった。


「せきしょうも? 雄花はどこにあるの?」


「たぶん、ほとんど目につかないと思う。地味な薄緑色の花だし。雄花は、きれいな雌花に対して届かぬ片想いをしているんだよ」


「それってどういうこと?」


 石晶藻は、冷たい川底から二本の長い茎を伸ばす。それぞれの先端に一つずつ蕾を付ける。

 背の高い茎の先端に付いている蕾は、そっと水面に顔を出し、太陽の下で歌うようにほころびて白い可愛らしい花となる。それが雌花だ。

 もう片方の蕾が雄花ということになるのだが、花を咲かせた雌花の美しさに見とれ、片想いをして恋い焦がれ、蔓状の茎を長く伸ばして泳ぎ、雌花に近づいて接吻しようとする。

 ところが雄花は背伸びをし過ぎてしまう。蔓状の茎というのは、自分を束縛するものであると同時に、自分の居場所をしっかり確立して守ってくれる存在でもある。

 薄緑色の雄花は、雌花に辿り着いて一瞬だけ口づけを果たす。が、背伸びが限界を迎え、茎と花梗がぷっつりと千切れてしまう。雄花は自由を手に入れたものの、その代償として保護者を失う。沼や湖ならずっとその場に漂っていることもできるかもしれないが、ルウーナ河だと水流に運ばれ海まで流されてしまう。

 そうして、雄花は海でそっと死んでゆく。


「そんな言い伝えまで知っているなんて、あなた、物知りなのね」


 ルピナは微笑んだ。褒められたのも素直に嬉しかったし、ルピナのような美少女に微笑みかけられるのは照れくさくもあった。


「でも、最後がちょっと違うと思う。海に至った雄花は、ただ死ぬんじゃなくて、ここではない異世界に転生するはずよ」


 異世界転生って、そんな容易にできるものなのだろうか?


「うふふ。今日は素敵なお話を聞くことができて良かった。ありがとう。また、会いましょうね」


 ルピナは日傘を持っていない方の手を振った。

 帽子から背中に流れ落ちる銀髪が風に揺れるのを、ぼくは見送った。ルピナの銀髪の中にひと筋、小さな三つ編みがあって、白いリボンで結われているのを見つけた。

 ルピナと出会うと、常に何か新しい発見ができるような気がする。

 そしてルピナが黒猫を探している限り、また会える。

 でもぼくは、ルピナと会うためには秘密を守り続けなければならないのだ。


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