第1話 ハーピィと親子丼①


 クソの三本はり出せるほどに長い話を聞き終えて、王都の目ぼしい酒場に足を向ける。よもやま話の駄賃にしては、釣り銭は恵み過ぎだろうか。だとしても、あの八百屋には二度と顔を出さないのだ。手切れ金も込みと思えば、まあ妥当な額かもしれない。


「あら、“盗賊”サン。ご無沙汰ね」

「“盗賊”はやめろっつったろ、“アマガエル”」


 『嘆きの灰色熊グリズリー亭』の女将は、顔を見るなり軽口を飛ばすと、ばかん、と景気よく古包丁を振り下ろした。まな板の上では、鶏の腿が骨ごと断ち割られている。隣でぐつらぐつらと湯気を立てて煮え立つ鍋に、そのまま放り込まれていくのだろう。


「仕込み中か」

「構いやしないよ。食っていきな」

「そのつもりで寄った」


 無駄話と引き換えに手に入れた一週間分の野菜を、どっかとカウンターに下ろす。

 女将の背後の石棚から、エールの小瓶を取り出して、栓を外す。硝子は氷細工かと思うほどに、キンキンに冷えている。クソまじめな“魔術師”とは最後までノリが合わなかったが、属性付与魔術エンチャントとやらをここまで市井に広めた功績に関しては、国を挙げて銅像でも造ってやりゃあいいのに、くらいには認めている。


「なに作ってんだ?」

「『よだれ飯』サ。教えてやろうか」

「いらん、見りゃだいたい分かる」


 鍋を覗き込む。黄金色のスープに浮かんでいるのは、香りの強い根菜のスライス。底の方に沈んでいるのは、ぶつ切りの鶏もも肉。他に具材は見当たらない。煮込み料理というよりも、スープ自体がメインだろうか。隣の大釜の蓋を開くと、炊いた穀物。石棚の奥には、卵が山ほど並べられている。


「……粥や雑炊とは何が違うんだ」

「米にぶっかけるのは、客に出す直前だね。卵も、スープの中にふわりと浮かべるんじゃなくて、肉と野菜を、スープを含ませた卵液でつなぐようにカッチリ火を通す。見た目の割に、ボリュームあるよ」

「そうか。しかし、名前がヒデェな。トロールのあほ面を思い出して、食欲湧かねえんじゃねえか」


 そうかい? と、首を傾げる女将を尻目に、革袋から小銭を取り出す。

 一食一銀貨。大衆食堂において、細かい勘定はご法度だ。


 空いている焜炉ストーブ小鍋スキレットを乗せ、火の通った肉を鍋底から火鋏トングで拾い、スープと共に、火の付与魔術で温める。すぐにふつふつと沸いてくるので、石棚から卵を失敬し、叩いて割ったら、小鍋スキレットの真ん中に落とす。黄身が分厚く、やや赤い。良い卵だ。


「『黄金飯』とか、どうだ」

「あー、ダメダメ。おんなじ名前で、宮廷料理に出されてる」


 まあ、良案を思いつけば、大抵は先を越されているものだ。箔のある料理名は、王族連中のご機嫌うかがいに持ってこいだろう。

 しかし、宮廷料理と来たか。さては、“僧侶”のやつが名付けたんじゃあないだろうな。いかにも派手好きなアイツの考え付きそうな名前だ。せっかくの俺のアイディアを潰しゃあがって。


「なあ、なんか薬味あるか」

「好きなの使いな」


 カウンターに並べられた漬け物ピクルスの塩加減をみつつ、小瓶のエールをあおる。

 『嘆きの灰色熊グリズリー亭』秘伝の漬け物ピクルスは、王都の名だたる高級料理店やら、各領地から届く特産品やらを退けて、王都グルメガイド・酒の肴部門堂々の第一位を飾った名物料理だ。


 臭い。そして、ちょっぴり辛い。

 づん、と、締め付けるような酸味のあとに、野菜の甘みがじわり、滲む。


 そうして残った酢の風味を、冷えたエールで喉奥に流し込む、清涼感たるや。

 ああ、喉が唸る。ここが天上なり。


「仕事がなけりゃ、こいつで一杯やれたんだがなぁ」


 そんな珍味をボリボリと貪りながら、漬かりの浅い茎菜をひとつ取り出して、糸ほどに長細く刻む。

 そうこうしている間にも、卵液が白く固まってゆく。ゆするように小鍋を動かして、具をスープに浮かせ、一度火を止める。浅めの椀に炊いた雑穀を軽く盛り付けて、その上に乗せる。漬け物を端に添えて、あとは木の匙でかっ込めばいい。


「手際いいね、相変わらず」


 下ごしらえもひと段落がついたのか、女将が揶揄うようにわざとらしく椀を覗き込んだ。


「また食うに困ったらいつでもおいで。三食付で雇ってあげる」

「手が足りねえのか」

「上の子は、よく働いてるよ。だが、いつ化け物に戻っちまうかも分からないのを、表には出せないね。厨房はアタシひとりさ」


 さもありなん。


「それで。ホントに、飯だけ食いに来たのかい」


 “アマガエル”というのは、女将の渾名だ。本名は当然他にあるのだが、酔っ払いが故郷のどギツイ訛りで呼んだのが、どういうわけか“アマガエル”と聞こえたようで、女将本人がたいそう気に入ってしまい、以来客にはそう呼ばせるようにしている。……らしい。間の抜けた愛称とは裏腹に、円にも近いほどにぐりんと見開かれた眼の光は、蛇を思わせるほどの鋭さがある。

 まあ、俺が姿を見せるだけで、ある程度用向きを察してもらえたのだから、予想するに足る噂話でもあったのだろう。話が早くていいことだ。


「最近、“残飯漁り”が来てないかと思ってな」


 ふと、料理名を思いつく。

 『親子煮』なんて、馬鹿らしくて残酷で、いいんじゃないだろうか。



◆◇◆◇



 王都の市の並びには、嫌というほどに暗黙の了解が敷かれている。見栄えのいい宝石やら金細工などは、宮廷により近い大通り。布屋やら小道具やらが続いて、野菜を含む生鮮市、とりわけ果物や雑穀は“許されて”いる方だ。何を、と問うのも馬鹿馬鹿しい話だが、ひとたび裏通りに足を踏み入れれば、大抵の人間は察する。鼻が詰まっていなけりゃあ、なお理解は早い。

 葉物、根菜、菓子。香辛料も便宜上の理由か、こちらに並ぶ。発酵食品と串焼きの露店を挟み、その向こうが肉と魚介。この辺りまで来るともう顕著で、道が臓物や血の塊で汚れているだとか、どこからともなく虫が湧いてくるだとか、そういったことはけっしてないのだが、不思議と息苦しい心地はする。お世辞にも、深呼吸をしたいとは言えない場所だ。空気が澱んでいるとさえ言い出す輩もいるが、とはいえ需要があればこその出店なのだから、店主たちが憚ることなど、なにひとつない。


 その裏通りの、もうひとつ裏の通り。


 民家も疎らな並びの、橋下へと続く道。

 道が脂で滑るわけでもない。

 死んだ動物の頭と目が合うわけでもない。

 橋が頭上にあるから、というだけではない。


 ただ、昼間だというのに、どこか仄暗いのだ。

 人の後ろめたさというものが、澱むほどに残されているのだろうか。


 ここは廃棄場だ。それも、暗黙の。


 破れたテント、割れた寸胴鍋、どこかから持ち込まれた古家具。その隙間に、時折売り物にならない動物の皮や、小さい骨が詰まっている。一度、赤子だか老婆だかが見つかったこともあるらしいが、あれは生きていたのか、それとも死んでいたのか。

 王都の市にも専用のごみ処理場はあるが、困ったことに王都が管理する施設なので、日が暮れてからのゴミは持ち込むことが出来ないようになっている。翌朝まで待てばいいだけの話ではあるが、それをしない横着ものたちにとって、この暗がりは絶好の匿穴というわけだ。

 そして、夜半に残飯を漁る魔物の子たちにとっても、身を隠すためのねぐらになる。


 ざり、と、靴が何かの破片を食む。

 足を除けると、薄く白い何かが、千々に砕けていた。

 屈んで、その中でも大きめの破片を指で摘み上げる。

 乾いている。


「ハルピュイアか」


 独り言ちた声が、反響する。声を潜めたつもりもなかったが、自分の声のようでいて、それを悪意で真似たようでもある。不気味さに顔を顰めた、直後だった。


 ことん。


 軽い何かが、擦れあうほどにささやかな音を立てた。

 身構える。

 腰の刃物に手を伸ばす。


(しまった、)


 橋下に、風は吹かなかった。ひとりでに揺れるはずがない。よしんば、吹いていたとしても、このタイミングは狙い過ぎだ。声が反響した直後に動いたのは、知覚した生物が緊張で身体を縮めたためだ。


 それでも、野鼠やら犬猫であったなら、そのまま逃げ出していっただろう。

 その足音すら、しない。

 潜めている。

 こちらの発した言葉を理解し、自身の置かれた状況を推察し、これ以上こちらに自らの場所の情報を与えぬよう、或いはその優位を崩さぬように、息を潜めている。

 魔物は、その身体に人の部位が残っているほどに、人に近い知性を持つ。


 迂闊だった。

 魔都であったなら、俺ばかりか、仲間の命もろとも道連れだ。

 なんてザマを。

 猪突猛進バカの“武闘家”じゃあるまいし。


「…………ハルピュイアだな」


 だが。

 確証を持てた分、やらねばならぬことは単純になる。


 ハルピュイア。または、ハーピィ。

 人の女の顔と胴体、猛禽の翼と爪を持つ魔物。

 その名は「素早く掠め盗るもの」を意味するとされ、主に食糧を、稀には人を、空高くから強襲し、盗んで運び去ってしまうという。風の精だとも、嵐を司る神性の成れの果てだともあるが、定かではない。

 下半身が猛禽であるため、生殖は卵生であるが、分類上は哺乳類である。異なる動物を掛け合わせたような外見を持つ魔物は、


 どちらかだ。成体か、雛か。


「ここで何してる」


 当然、返答はない。無遠慮に、ゴミの山へと歩を進める。

 音を殺す必要はない。

 むしろ逆に、音を立てる必要がある。

 話しかけながら、ゴミを踏み散らしながら、こちらが近づいているということを、教えてやらなければ。


「……ニワトリってのは、なんでか知らんが卵の殻を食おうとする。俺としちゃあ、あんなもん口ン中でじゃりじゃりして気持ち悪ぃし、卵焼きオムレツに入ってるとウンザリするんだけどな」


 ざり。ざり。ざり。みし、ばきん。


「学院のガリ勉どもが言うには、卵の殻を食うことで栄養不足を補ってんだと。どうにも本能的なモンらしいが、自分でそれと分かるもんかね」


 ざり。ざり。ざり。ばきっ。


「食うなっつってんじゃねーんだよ。って話だ」




「――――そこで何をしている!」


 僅かな音も聞き逃さんと待ち構えていた耳に、響いた怒鳴り声はいっそ不快なほどだった。

 普段は屯所から出てこないくせに、やましい臭いをかぎ当てるのだけは病的に上手い奴らだ。


「……衛兵か」

「ここは投棄所じゃあないぞ」


 そんなことは知っている。

 あちらとしても、不法投棄が疑わしい以上、通り一遍の忠告をしないわけにもいかないのだろう。


「……見ねえ顔だ。若いな、新人か?」

「はぁ? ……あのなぁ、どちらさんだか知らないが、」

「そうか」


 声を遮り、懐に手を入れた――――瞬間。



「カァアアアアアーーーーーーーッ!!!!!!!」


 間隙を縫うように、それは響いた。

 乾いた木を裂くような音。

 耳が憶えている。ハルピュイアの威嚇。


「な、ぁっ……!?」


 衛兵が目を剝いた。

 視線を、追う。

 視線が、合う。


 暗がりにあってなお光る双眸が、こちらを捉えている。

 薄汚れてなお鮮やかな赤の髪が、逆立っている。

 完全に、こちらを『住処を荒らしに来た敵』と捉えている。


「あっ、ま、魔物……!!」


 ああ、まずい。

 


 ごみ山の頂上からこちらを睥睨していたそれは、一度深く上体を沈みこませると、ぐわ、と黒の双翼を膨らませて、足場を強く蹴りつけた。


 飛び降りる――――否。

 ただの無作為な自由落下ではない。


 猛禽は、その身体のすべてを滑空に捧げたハンターだ。

 優れた視力。

 空気の抵抗を受けにくい骨格。

 風を切る羽根。

 その強襲は、ただ高所より飛び降りるよりも、


 ずっと速く、正確に、最短距離を―――――



「向かってきてくれるってんだから、手間がなくていいよな」

「な、何を、……うぉっ!?」


 俺は衛兵を突き飛ばすと、『、その身体目掛けて投げつけた。


「ア゛ッ!」


 どっ、と鈍い音がして、広げた翼を小瓶が打つ。

 姿勢を崩し、失速するハルピュイア。



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魔物の子ども、育てます。◆世界を救ったそのあとに◆ ガハラッド @gaharad

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